第7話 ソードラント公爵家の瓶

 とある休日、朝食後にマーガレット様からお茶会のお誘いが届いた。開催日は本日の午後。

 このお誘いを快諾したことにより地下での作業は明日になりました。それを知らせても我がメンティス伯爵家に関するを取り仕切っている執事の表情は変わりません。さすがです。


 お兄様の魔道具を首を長くして待っている人がいる?もちろん知っていますがそれそこ今更です。

 お兄様がすることはまずないので私一人でやるしかない。頑張っても一人で書き写せる量は知れてるんだから依頼者に待ってもらうことになるのはいつものこと。そう、一日伸びたくらいでは変わらない……はず。


 マーガレット様がお誘いして下さった理由は例の件についてだろう。

 あのお茶会からずっとマーガレット様は休学されてしまいこちらからの連絡は取れなかった。私もお二人のことが気になっていたので、せっかくいただいたお会い出来るチャンスを逃すようなことなんてしない。



 指定された時刻に遅れることなく美しい公爵邸のポーチに降り立つ。顔見知りのマーガレット様付きの侍女が出迎えてくれてサンルームへと案内された。

 先代の公爵夫人が先代公爵様から贈られたというサンルームは、下位貴族の小さめの屋敷ならすっぽり入ってしまいそうなくらいの大きさ。使用用途によって内部を変えられているので毎回足を踏み入れるのが楽しみな場所。


 今日は大きなサンルームの真ん中に小さな可愛らしい建物のようなものが作られている。

 ん?壁の模様がクッキー?屋根がレモンとオレンジの輪切り。窓がメガネの形をしているのは何故?扉には道化師の顔が……。

 建物の周りには刈り込まれた植木が建物を囲むように並んでいる。ウサギと馬、鳥に熊?他にもいろいろ。全て同じ大きさなので少し違和感があるけど遊び心満載で楽しい気分になってしまう。

 しばらく眺めていると、案内している侍女が私の表情を見て「素敵でしょう?」と言わんばかりにニコリとしてくれる。もちろん肯定して頷き返す。


 招待客を楽しませようとするマーガレット様のおもてなしは本当に素敵です。そんなおもてなしも学園に入学してしばらくしたころから影を潜めていた。おそらくマーガレット様本人が幸せや楽しみを感じることが少なくなってしまっていたからだろう。

 でもそれが復活したということはマーガレット様に幸せを感じる時間が戻った証拠のようで私はさらに嬉しくなった。


「いらっしゃい、ヘレナ。こんなにお久しぶりになってしまってごめんなさいね」


 道化師のホッペにある星型をした取手をひねって開かれた扉から中へ入ると、腰ほどの高さがある大きなかめの脇に据えられたテーブルセットからマーガレット様が立ち上がって挨拶してくれる。


 隣のその大きな瓶は何ですか?


 そう言えばマーガレット様はいろいろ不思議な思考をされる方でしたね。婚約されてからはめっきり鳴りを潜めていたので忘れていました。そんな過去へと少し想いをとばしてしまいました。


「マーガレット様、お招きありがとうございます。ようやくお会い出来ましたね。お元気そうで安心しました」

「ありがとう。ヘレナも元気そうね。でも少し痩せたようにみえるのだけど私の気の所為かしら?」

「いえ、おっしゃるとおり少し痩せたかもしれません。

 実はここのところ家の手伝いとは別に、いくつかやりたいことが増えたんです。それでそのやりたいことに空いた時間を費やしているんです。それに集中してしまうとついつい食事時間を削ってしまって。

 あ、もちろん食べないわけではないんですよ。手軽につまめる簡単な物を準備して貰っていますから。それでもどうしても食事量が減っているようで先日執事からその旨を注意されたばかりです」


 ここしばらく少し体がだるい感じはしているけど、日常的に体力を使うことはほとんどないからまず大丈夫。

 まぁ、さっき馬車から降りてこのサンルームまでの距離を歩いただけで少し息切れしていたのは内緒です。この建物の外観を見学していた間、鼻息が荒い残念令嬢にならないよう静かに深呼吸していたことは侍女にバレていないはずです。


 私のことよりマーガレット様のお話を聞きたいんですがその前に先に聞くべきことが。


「取り敢えず大丈夫ですので私のことは置いておいてください。

 それよりもマーガレット様、その大きな瓶は何ですか?こちらの公爵家にふさわしい装飾があるではなく、なんと言うか下町の水瓶のように素朴ながら存在感がとてもあり過ぎて気になるんですが」


「あらっ!やっぱり気になるわよね。ふふふ、ヘレナはこういう時すぐに聞いてくれるから嬉しいわ。

 この瓶はね、あるお方から送られてきたのよ」


 少しお転婆気味だった幼い頃のように表情豊かに楽しそうに笑うマーガレット様には、前回お会いしたときまではいつも漂っていた重い雰囲気はなくなっている。楽しくて仕方がない。表面だけではない感情そのものを表す笑顔を本当に久しぶりに見る事ができた。

 そして言葉の最後のところでマーガレット様はニヤッといたずらっぽく笑う。


「あるお方から?どのような方なんですか?公爵令嬢のマーガレット様への贈り物にしては随分変わった物ですよね」


「そうでしょ?でもその方のことは気にしないでいいわ。それよりこの瓶よ。とにかくヘレナもやってみるもいいわ。もう楽しくて仕方ないわよ。使い方はこうよ」


 そう言うとマーガレット様はいきなり大きな瓶の口の縁に両手をかけ、瓶の中に頭を突っ込んでしまった!

 背中が少し膨らんだかと思うとさっきよりさらに頭が瓶の中に入る。まさか…りきんでる?


 マーガレット様が?


 え?


 目の前で何が起きているのかが良くわからずにおたおたしているとマーガレットの頭が瓶から出てきた。


 とてもすっきりしたお顔ですね。


 何があったの?まさか……


「さぁ、ヘレナも吐き出してみなさい」


「……マーガレット様?何をでしょうか」


「え?何をって、もちろん日頃の鬱憤を全てこの瓶の中に大声で吐き出すのよ。とてもすっきりするのよ。不思議なことに音漏れは一切しないから大丈夫。さぁ、やってみて」


 そう言ってマーガレット様が指し示す大きな瓶の口には何やら見たことがある模様が見えた。ぐるりと瓶の口全体に彫られている模様。いえ、模様ではありませんね。先日見たものと同じです。


 もしやこれは試作品?


 そうですか、あるお方とはお兄様だったんですか。私に隠す理由なんてありますか?


ことわりの文字』を書いて彫り込む練習に使ったものなんですね。


 私とマーガレット様は幼馴染と言えるほどの長いお付き合いなので、もちろんお兄様とマーガレット様も気安い仲。

 とにかくいろいろ作るのが好きなお兄様と、新しい物や面白い物が好きなマーガレット様との間には一方通行の流れが出来ている。

 お兄様の試作品は我が家には残らない。全てマーガレット様の元に送られる。いつのまにかその流れは両家公認となっていて、公爵家にはマーガレット様専用のお兄様の試作品保管庫が作られてしまったほどだ。


「つまりこれは周りに迷惑をかけることなく大声で鬱憤を叫んで気晴らしをするための瓶なんですね」


 マーガレット様は素晴らしい笑顔でうなずかれました。まさに今、マーガレット様に必要な一品。お兄様さすがです。



 −−−−−



 マーガレット様が婚約破棄してから、あのお兄様がマーガレット様とかなり頻繁に連絡を取り合うようになっていたことを私は知らなかった。


 あの瓶の中で叫ぶマーガレット様にも衝撃を受けたけど、あの瓶と対になってる蓋があることにも驚かされた。

 そしてその蓋の持ち主はもちろんお兄様だった。で、蓋に耳を付けると直近で瓶に叫んだ声が聞こえるのだとか。

 その事実を初めて知った時にマーガレット様は我が家へ乗り込んで来て、公爵令嬢らしからぬ勢いのままお兄様の部屋へ特攻したのは仕方がないと思う。その日私は留守にしていたので後聞きだったのが悔しい。しかも何故私が聞くまで誰も教えてくれなかったの?

 え?守秘義務?…そう…。


 そしてどうやらそこで二人に何やらあって話がついたんだとか。サンルームのお茶会の次のお茶会でマーガレット様が恥ずかしそうにこっそり教えてくれた。


 それからの二人を見ているとお互いに隠し事のない関係ってかなり気楽なんだろうなと思った。


 蓋から瓶の方にも声が届くかどうかは私には教えてもらえてないけど多分そういうことだろう。


 マーガレット様が私の義姉になる日は近そうだけど、私が地下の部屋で作業しなくても良くなる日はまだ遠い。


 いろいろ気になることはあるけど下手なことには首を突っ込まないで生きていこう。でもたまにはこっそり覗き見くらいはするかもしれない。

 そんな時に何か役立つこともあるだろうから、これからもひたすら向上心を持って頑張るとしよう。うん。

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