第6話 メンティス伯爵家の使用人
お兄様が発注していた試作品の仕上げを済ませて出てきたのは、試作品が届いた日から二月ほど経った涼しい日のお昼過ぎだった。
今回はマイケルの甲斐甲斐しいお世話のお陰で少しやつれた程度で済んだらしい。興奮した様子で頬に赤みと笑みを浮かべたお兄様は完成した魔道具の使用方法を一通り私に説明してくれた。そして話し終えると座っていた三人掛けソファーに倒れ込むように寝てしまった。なよっとしなだれるその姿はほぼお姫様。スラックスに収まっていないシャツの裾が微妙にめくれているから色気増し増しなのはどうかと思う。
「それにしても使えるのがお兄様とその血縁者だけって魔道具としてはどうなの?」
お兄様が寝ているソファーの脇に置かれているのは全身を見ることが出来るサイズの
特別製だという枠は薄銀色にツヤ消しされているように見えるけど、ツヤ消しに見えるのは細かい文字が彫り込まれているから。枠全部を覆うなんてどれほどの文字数なのかと驚くけど、さらに驚かされたのは彫り込まれた文字の細かさ。
お兄様は自分で書き込んだと言っていたけどどう見ても彫り込まれている。言い間違えたにしては労力も効力も違い過ぎると思う。
全部『
魔道具に直接彫り込んであるなんて初めて見た。一つの文字の大きさは小指の爪の半分くらいしかない。それが大きな姿見の枠の全体に文字が潰れることなく彫り込まれている。書くだけでも大変なのにどうなってるのかわけがわからない。
まぁお兄様がやったことだからと納得しておく。聞いてもおそらく本人にもわからないだろうから。
と言うことで、それでもせっかくなのでお試しも兼ねてやってみることにした。
姿見の表面に手のひらを当てる。
「昨日、昼2の刻、お兄様」
日にちと時間、対象者を告げる。
姿見の表面が私の手のひらを中心として静かに波紋を広げる。表面が落ち着くまでこのままだとか。手のひらが姿見に引っ張られるような感覚に背筋がゾワゾワして不快感がひどい。
しばらく待つと波紋が落ち着き手のひらを押し返される感覚がした。ホッとして手のひらを離して姿見を見る。
先ほど私を映していた姿見から私はいなくなり、お兄様が床に置いた姿見の脇に座り込んで作業している様子が映し出されている。
本当だった。
姿見の中のお兄様はペンを片手にさらさらと枠に文字を書き込んでいる。
でもそのお兄様を映している姿見の枠のその部分には文字が彫り込まれている。
見せられている昨日のまだ作成中のお兄様の様子と、今ここにある完成した姿見の枠の状態との違いにさっぱり理解が追いつかない。書いてから何か
再度姿見の表面に手のひらを当てる。
「今この時を」
また引っ張られるような感覚を体に力を込めることで耐える。ゾワゾワが落ち着いたときには姿見には
こんな
でも例の調査に振り回されているお父様には待望の一品だろう。
それにしても毎回このゾワゾワ。
お父様、頑張ってください。
お父様なら愛するお母様に会うためにはこれくらいのことは気にもしないだろうけど。
ソファーで熟睡しているお兄様の顔には魔道具が完成した達成感からか笑みが浮かんでいるが、目の下に
静かに扉の前に控えて立っていた彼を見れば頷いたので頷き返す。
私はお父様に待望の魔道具完成の知らせを送るよう執事に伝えに行きましょうか。
私の退室する意思に気付いてお兄様に近寄ろうとするマイケルに後は任せる。部屋を出ると執事がいた。
「旦那様への連絡は済んでおります」
ニコリと笑って一礼するとくるりと綺麗なターンをして去っていく。腰に下げられているはずの鍵束を揺らすことなく、もちろん鳴らすこともなく。さすがです。
我が家の使用人達には足りないところなんて何もないと思う。私も自分で出来ることを増やさないと。
そう思い立ったところで早速書庫に向かうことにする。知識は資産!と足を進めて、気づけばティーセットを乗せたワゴンを押して侍女が後ろに付いて来ていた。さすがです!
書庫に入った左手にあるテーブルセットの前にワゴンを置いてもらう。ティーポットには保温性の高いティーコゼーが掛けられているから、あとはいつものように飲みたい時に自分でやるだけ。
これもまたいつものように缶に入れられたお菓子もティーポット脇にある。今日の中身が何なのか気になるけど少し頭を使ってからの糖分補給にしよう。
侍女には仕事に戻ってもらって私は一人書庫の奥へ。確かこの辺りにあったような覚えがあるんだけど……あ、あった。
見つけた本を持ってテーブルまで戻る。ワゴンの下段の引き出しから紙とペンを取り出す。私が好む青いインクもある。これらの準備まで抜かりない。さすがです。
さて集中。
読んで記憶することも出来るけど私は書いて覚える方が好きだった。今日はこの本を書き写す。
でも今回は覚えるのが目的じゃない。何故ならすでにこの本の内容は覚え覚えているから。では何故書き写すのか?それはもちろん寄付するため。
本が高級品と言われたのはかなり昔の話だけれど、今でも誰もがみんな気軽に購入できるかと言えば実はそうじゃない。
この国にも残念なことに孤児がいる。読み書きは孤児院でも教えているので識字率は高い。要らなくなった本を寄付することも出来るけど我が家に不要な本などない。知識は資産。書物は財産。
ちなみに私個人の考えなのだが「資産」とは自分に利益をもたらすもの。「財産」とは自分が持っている価値のあるもの。
その価値のあるものを不要などとは考えられない。であれば本その物を寄付することは出来なくても写しを作ればいい。何より私は書き写すことが好きだし得意。しかも普通の文字でただ写すだけなのだから尚更。
集中して一冊書き終えてしばし黙考。挿し絵はどうしよう……。
手元の原本の童話には美しい表紙絵と同様、美しい挿し絵もたくさん描かれていたのだった。
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