第3話 メンティス伯爵家の姿見

 先日お籠りから出て来て顔色が復活されたお兄様でしたが、気が付けばまた研究室に閉じこもってしまっていた。

 でも今回は扉の鍵穴を埋めてあるので、いつでも開閉出来るから大丈夫だとマイケルから聞いた。

 お父様から扉改造の許可が出たとは思えないのだけど、こんな時はマイケルに任せておけばお兄様も人間らしい生活を送れるはずだから気にしないことにした。


 私の部屋はお兄様と同じ2階にある。自室を出て廊下を階段に向かうのとは反対方向に歩くと壁に突き当たる。

 その壁に掛けられているように貼りつけられた青い薔薇の絵画。立体的に描かれた花びらを決められた順番に押して最後に一枚の葉を強く押す。

 すると壁の下部が私の身幅よりも少し広く音もなく引っ込む。そしてそこには穴が開いて奥に石階段が現れた。


 小柄な私はスカートを前方でまとめて持ってから軽くかがんでその穴をくぐる。

 私が壁の境界線を抜けると石階段が淡く光を帯びて足元の不安がなくなる。同時に開いていた壁の穴が閉じていく。

 そこはもう頭上の高さがあるので姿勢を戻し、階段を下りて進めばいつもの私の仕事場に到着。


 それなりに広い部屋ではあるけれど、壁に作り付けられた棚にはお兄様がこれまでに作られた魔道具の全てを整理して並べてある。

 部屋の真ん中に置かれた机。その鍵付きの引き出しの中には、ここにある魔道具の制作方法が書かれた書類が大切にしまってある。


 不思議なことにお兄様が書かれる文字は少しでも太陽の光が当たる場所にあると次第にインクが薄れ、やがて完全に消えてしまう。それは魔力波のイタズラだとお兄様は笑う。でも私はインクを魔道具にしているのではないかと疑っている。

 魔道具の制作方法は全て頭に入っているから消えても問題ないと言えるのは、発明とそれを作り上げ完成させることにしか興味がないお兄様だけ。

 魔道具の制作方法が書かれた原本の書類がなくては魔道具に命を吹き込むことが出来ないし、写しを渡して魔道具技師に作ってもらうことも出来ない。だからお兄様が書かれた大事な書類はこうして太陽光を遮って魔光のみで管理している。


 私の仕事はお兄様が書かれた書類の写しをすることと、改善点が判明した魔道具の書類を抜き出しお兄様に書き直してもらうこと。


 魔道具に命を吹き込む為には設計者の直筆で書かれた書類の原本を存続させる必要がある。その原本には魔道具の名前と存在理由、材料や作成方法が『ことわりの文字』で書かれ、最後に設計者の署名と血印がされている。


 この世界に生み出された魔道具はこの書類に紐付けられた命を吹き込まれて動く。そして写しを作れるのは血印をした設計者の血族のみ。さらに写し一枚で作れるのは魔道具一つ。

 それ故に魔道具の価格は恐ろしく高い。それでもそんな魔道具が欲しいと望まれるのは利用価値も高いからなのだけど。


 そんなわけで私はこの部屋で仕事をしている。書き写しながらお兄様の美しい文字を真似するようにしていたら私もなかなか美しい文字を書けるようになった。と思う。

 複雑な説明と文字配列ばかりなので、集中して書いていると一日3セット書ければ良い方。とにかく心身ともに疲れるので毎日は無理。だから明日はお休み。


 手を止めて開いていた原本を片付けて机に鍵をかける。書いた写しを専用の鞄にしまって机の上に。あとは執事が手配してくれるので石階段を上って壁裏にある表と同じ薔薇の操作をすると出口の穴が。それをくぐり抜ける。


 閉ざされた空間からの開放感につい伸びをしていまうのは許して欲しい。私は結構この瞬間が好き。握りしめて掲げていた両手を両脇に下ろすと体の強張りがゆるんでホッとする。

 夕食まで時間があるようなら部屋で休むけれど窓の向こうは夕闇のそれ。廊下には灯りがつけられている。なので向かうのは家族の居間。


 居間のソファでくつろいでいると執事がノックの後に入って来た。今日の仕事の内容を伝えればお疲れ様でしたと労いを受ける。お父様は今日も遅くなるらしい。お兄様にはマイケルが夕食を届けてくれる。

 今日も一人で夕食を取り部屋へ戻る。

 明日は何をしようかしら。


 −−−−−



 我が家と魔道具技師達とのやり取りは執事の仕事。

 基本的に執事から彼らに書類を渡して作ってもらっているのだけど試作品の時は違う。お兄様からマイケル経由で直接連絡をしている。

 複数並行して試作依頼をしても優先順位は既存の魔道具の方が高い。お兄様が作った魔道具は需要に供給が追いついていないので試作品が後回しにされても仕方がない。


 それなのに今日は試作品が届いた。どうやらお父様から依頼された魔道具の試作品らしい。

 届いてすぐにマイケルが持って行こうとしたそれは、男性が合わせた両手のひらに乗るくらいの大きさの包みだった。


 お兄様が遅めの朝食を先に食べ終えてから渡すようにと注意を促せば、マイケルはもちろんですと包みを上着のサイドポケットにしまい込んだ。

 マイケルのポケットも魔道具だったなと、一礼して去っていくマイケルの背中を見ながらぼんやり思い出した。


 魔道具は宝石や金属からしか作られないと言うことはなく、木や布等どのような素材からでも作ることが可能だということを証明したのはお兄様。

 発表当時は嘘つきだとか詐欺師だとか散々言われていた。しかし、実際に完成したそれらの魔道具を使った人々から真実だったことが証言されると、その技術を得ようとお兄様との接触を望む魔道具技師が増えた。


 お兄様の発表から数年で原材料を選ばない魔道具の存在は驚きと共に広くに知れ渡った。

 魔道具に魔術の力とこの世のことわりを繋ぎ留める方法が正式に書かれているのは原本のみ。写しには略式にしたものを書く。略式と言えど複雑なので気力を使う。


 ああ、いけない。また難しいことを考えてしまった。今日はお休み。やはり楽しいことをして過ごさなくては勿体ない。


 ふとマーガレット様と集めた小説を並べた本棚を見れば、同じ背表紙がいくつか混じっていることに気が付いた。

 二人がそれぞれ集めていたものなので重なって購入してしまうこともあった。なんとなく複数あるそれらを取り出して並べ替えていたところ当然指先にピリッと痛みが走り、思わず手にしていた一冊を落としてしまった。

 その本は床に落ちた衝撃でパタリと裏表紙が開いた。

 本を汚してはいけないのですぐに切れてしまった指先にハンカチを当てて握りしめる。

 反対の手を伸ばして拾おうとしてしゃがんだ私は気付いた。落ちて開いた裏表紙には何かが書き綴ってある。

 伸ばした手で拾い上げて読めば驚かされた。


 〜

 強く望む者は愛される資格を得る

 愛しき者の手にこれを捧げよ

 さればこの物語は真実となる

 〜


 うん、あれだ。

 それは『ことわりの文字』だった。

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