第9話

 男はジャック――〈生傷のジャック〉と呼ばれていた。迷宮病の作用で傷が治るのが妙に早いらしく、負傷に無頓着だった。彼は他の下宿屋の住民と同じく、よく人に無心していたが、一度断られた相手には二度と借りようとしないという良心的な性質があり、比較的界隈の迷宮守りからの評判は良かった。


 ジャックはある日、迷宮公社の地下の酒場でひと悶着起こし、乱闘に発展した。レオンは換金した帰りで偶然それを見る機会があった。ジャックは自分の手が損傷してそこから骨が見えるほどの力で、相手をぶん殴っていた。頭部から何か危ない汁を出して相手がぶっ倒れ、その仲間が、てめえ覚えてろ、夜道では背中に注意しろ、とかお決まりの脅し文句を唱えながらとんずらし、ジャックはまた黙って煙草をふかしていた。


 それから三日ほどして、実際にジャックは背中を刺された。もちろん大抵の傷ならどうってことはないが、ナイフには毒が塗られていた。それも、所持しているだけで取っ捕まるような危ないのが。なぜ単なる貧乏なチンピラであろう相手がそんなのをわざわざ入手し、ジャックを念入りに殺そうとしたのかは不明だ――単純に仲間の仕返しというより、何かに挑戦してみたかったのかもしれない。傷の治りの早い頑丈なこの迷宮守りを、その回復力を上回る暴力で捻じ伏せる。そこに何らかの活路を見出したのだろう――くだらぬ日々からの脱出口を。


 ジャックは死にはしなかったが、相応の後遺症を抱えたらしく少なくともこの界隈からは姿を消した。相手はもちろん逮捕され、しかし満足そうだったという。人生において挑戦は大切だ。だがそうせずに失敗も成功もなしにただ生きていくのも、別に悪いってわけじゃない。豚箱に入らずに済むならなおさら……

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