第10話 ブロンズ色のDのネックレス

 再びショッピングモールの1階まで降り立った。


「エントランスの方向って、こっちであってる?」


「いや…違います。…こっちこっち」


 方向音痴な自分の代わりに今度はドロシーちゃんが前を歩きだし、親切に自分を誘導してくれた。


 そしてほどなくして、フロアマップを眺め、しばらく足踏みしていたあのショッピングモールのエントランスまですんなり戻ることができた。


「あっ……」


 ドロシーちゃんの目はエントランスの一番近場にある、とあるアクセサリーショップに向いていた。


「あのネックレス…オシャレ…」


 ドロシーちゃんはブロンズ色に輝く、Dのアルファベットをかたどったアクセサリーを凝視していた。


 自分もそのことに気づく。


「あ…あれが欲しいってこと?」


「は…はい…」


 できることならそんなアクセサリーなんか目もくれず、このショッピングモールを早いとこ出て、お家に帰りたいところだった。


 先ほどのドロシーちゃんの服選びには20分も待たされ、それだけの時間を長居することになってしまった。


 …しかし、このドロシーちゃんは家族もおらず、家も失ったと言う。…服も薄汚れている。


 おそらく風呂にも長いこと浸かっていないのだろう。


 個人的には、早く自分の住まいにドロシーちゃんを招待して、そこで同棲生活をおっぱじめたいところなのだ。

 …だがそんな彼女は今まで、のほほんと実家で過ごしてきた自分とは違い、その間ずっと無法地帯と化していた外の世界を、1人寂しく生きてきたのだ。

 そのような過酷な状況下で生きてきた彼女だったが、今やっとのことで、腰を落ち着けられる場所へ行くことができるのだ。


 外の世界で長い間苦労してきた分、せめてその欲しがっているアクセサリーぐらいは、持って帰らせてあげよう。


「いいよ。でもすぐ戻ってきてね。……本当にすぐだよ?」


 直近の服選びで散々思い知らされてきたので、ここではちょいと念を押しておく。


「わかりました。……今度こそは、本当に時間を取らせません…」


 そう言うとドロシーちゃんは足早に、そのブロンズのアクセサリーが並べられている棚へ向かった。


 …一応時間を長く取らせてしまった自覚はあるのね…。


 ドロシーちゃんはブロンズ色のアクセサリーの周囲にある雑貨モノをあらかた、まるで金魚すくいで金魚をガバッと掻っ攫うかのように取っていくと、急いで店のレジへと向かった。


 レジに着くとドロシーちゃんのズボンのポケットからは、何かのマンガのキャラクターの絵が描かれているポーチが出てきた。

 その何とも可愛らしい紫色のポーチから札束を5枚ほど取り出すと、それをレジに置いた。

 そして大量のアクセサリーをじゃらじゃらと音を立てながら、その場でバッグに入れた。

 食料など物資をパンパンに積めていたバッグに、入り切らなかったいくつかのアクセサリーは彼女のズボンのポケットにしまったのである。


 ……どんだけアクセサリー買うんだよ。


 そうしているうちに、ドロシーちゃんはこちらの方へ戻ってきた。


「ごめんなさい~。待たせちゃいましたか?」


 ドロシーちゃんはさきほど申告した通り、だいたい20秒程度でここに戻ってきた。

 ……今度はその宣言通り、時間は取らせなかった。


「全然待ってないよ! ……さっきの服選びの時と比べたら格段にね…」


「はっ! ごめんなさい! …あの時はついつい、のめり込んじゃって…」


 ドロシーちゃんはそう言うと、またもじもじし出した。


「いやいやいや! 全然気にしてないから! …全然」


「本当に長いこと、付き合わせちゃってごめんなさい。わがままでしたよね? …以後気を付けます」


 全然わがままでいいよ! むしろドロシーちゃんには、ずっとわがままで居てほしい。

 女の子のわがままに翻弄される自分!


 こういうのもなんて言うか、ザ・青春! って感じがして、ものすごく心地がいい。


 心が洗われる気分だ。一種のカタルシスってやつ?


 灰色だったこれまでの自分の人生を思うと、こうしてドロシーちゃんみたいな可愛い女の子と会話をしているというのも、まさに夢物語だった。


 ……仮に今、これらが本当に夢であったとしても、永遠に覚めないでほしい。


 ずっとこのまま君と居たいし、もしこれが夢であったとしても、この現実の世界へ無理矢理にでも君をいざなっていきたい。……いや誘わせてほしい。


 つい昨日までは、無味無臭な人生を生まれた時からずっと送り続けていた自分だったが、これからの日常にはドロシーちゃんがいる。


 彼女がそばに居てくれるだけで、今後の人生が彩られていく。


 彼女と自分の日常は今後、どのような色を見せてくれるのだろうか?


 春のポカポカ日和を彷彿させる、甘酸っぱいだいだい色だろうか? …よくわかんねえ…。


 …まあここいらで、そういった想像はやめておくことにしよう。


「…お家に帰ろう。ショッピングモールから外に出ればもうこっちのもんだ。最短距離でドロシーちゃんを家まで案内するよ」



「ド…ドロシーちゃん…。やっと…やっとわたしのことを…名前で呼んでくれた…」


 ドロシーちゃんのほっぺたが、まるで熟したリンゴのように赤くなっていく。


 そしてまた服の裾を引っ張り、もじもじしている。


「ははははは……」


 自分はそんな彼女を見て、ただニヤニヤと笑うことしかできなかった。

 ……いや、ニヤニヤはまずい。


 そうして、ショッピングモールのエントランスを2人で一緒にくぐると、ようやく外に出ることができた。


 ……特に異常はなし。周囲には何もいないことを確認してから、自分はズボンのポケットに手を突っ込む。


「さてと、さっそく携帯を取り出して……」


 自分は携帯の電源を入れて、マップを開く。


「えっ…と…今はここだから、ここを通って、それでえっと…」


 1人不慣れなマップと格闘していた。


 普段から携帯でマップを開くことがないため、かなり要領が悪かった。


 そんな携帯の画面上に表示されている無数の点と線に対して、頭を悩ませていたその時、ふと自分の首元に腕が回されたのであった。


「うわ!? びっくりした!! …なんかいきなり腕がニョキっと見えてきたと思ったら…」


 腕が回された際、それと同時に、何かを自分の首元に装着させられたのも感じた。


 ……その腕はすぐにドロシーちゃんのものだとわかった。


「え? いきなりどうしたの!? ドロシーちゃん? …いったいこの自分に何をしたのさ?」


 そんなドロシーちゃんは何も答えず、ずっとうつむいたままだった。


 ずっとうつむき、顔を下を向けた状態であったため、その先にどんな表情を浮かべているのか、確かめることが出来なかった。


「…そ…そういえば。……気のせいかもしれないけど、ドロシーちゃん…自分の首元に何かつけてなかった?

 …も…もしかして、今つけられたのって時限爆弾!?」


 真っ先に浮かんだ可能性が、ドロシーちゃんに時限爆弾を仕掛けられたといったものだった。


「う…嘘だ! なんてことをぉぉぉ!!」


 自分はその想像に囚われてしまい、いきなり大騒ぎして、パニクりだす。


 ……その様はまるで両頬に手を当て、口をあんぐりと開けているムンクの叫びのようだった。


「ちょっと! わたしは別に何も怪しい物なんかつけてませんから! ……く……首を……」



「へっ? ……今、何て?」



「首を! …ちゃんと…見てもらっていいですか?」


 ドロシーちゃんに言われたとおりに、自分は首元をちらっと見た。


 そんなドロシーちゃんは、はにかんで頬を赤らめている。


「あれ? これって…ドロシーちゃんがさっき買ってたネックレスだよね?」


 自分の首元には、ブロンズ色のDのアルファベットをかたどったネックレスがつけられていた。


 自分がそのネックレスをちゃんと認識したところで、それと同時に、ドロシーちゃんは自身のズボンのポケットに手を突っ込んだ。


 ドロシーちゃんはそのポケットから、今自分の首元にかけられているのと全く同じネックレスを、彼女自身も首元にかけたのであった。


 …その行動の意図が全くもってわからない自分は、ドロシーちゃんの首元と自分の首元を交互に見ていた。


 自分にかけられたネックレスと全く同じものを、ドロシーちゃんもつけている……。


 なんじゃこれ?


 じーっ……。


 自分はしばらく、ドロシーちゃんの首元をじっくりと舐めまわすように見ていた。


「そ…そんなにわたしの首元をじろじろ見られると……困ります。……まあ、ともあれ…これで…お…おそろいですね」


「お…おそろい!? …おそろい!?」


 ドロシーちゃんの発した「おそろい」の単語の意味が一瞬わからず、自分は戸惑とまどってしまった。



「おそろいですよ! ベルシュタインさん。……何回も言わせないでください」



「お…おそろい…」



「こうしているとなんだか、お互いが仲のいいカップルって感じ……しません?」



「お…おそろい…」



「もう! 何回言うんですか! おそろい、おそろいって。……もう!」


 ドロシーちゃんはフグのように頬を膨らませ、怒った表情を見せてくる。


「と……とりあえず先を急ぎますよ!」


「う…うん」


 なんでそういきなり怒り出すのさ! プンプン! …ですか。

 まあともあれ、これでようやく落ち着いて家に帰ることができるってもんだ。


 ドロシーちゃんが勝手に自分の首元にアクセサリーをつけておいて、何で怒られなきゃならないのか理由はよくわからんけども・・・。


「…あと、…言っておきますけど、ベルシュタインさんの家に着くまで、そのネックレスを外すことは禁止ですからね!」


「え!? なんで!? なんで!? …なんでそうなるの? …なんかまるで罰ゲームみたいじゃん!! それ!」


「ば…罰ゲームだなんて……なんて失礼な!

 ……まあとにかく! そ…そのネックレスを外すことは禁止ですからね!

 …や…破ったら、ダメですよ?」


「ぐっ…。かっ…勝手にそんなこと、決めやがって……」


「え? …今何か言いましたか? …ベルシュタインさん?」


 ドロシーちゃんは笑顔を浮かべながら、若干食い気味にそう言ってきた。


「い…いいえ。な…なにも」


「ならよかったです。うふふふふふ……」


 何とも不気味な笑顔を浮かべながらも、ドロシーちゃんはそれで納得してくれたようだった。

 なんかさっきから自分に対する態度変わってない?

 …何たる凶変ぶりだ。…ドロシーちゃん…。


「…あ……そうだ。それと、そのベルシュタインさんの携帯、…わたしに貸してくれませんか?」


「え!? な…なんでまた急に?」


 自分の携帯を貸せだなんて、またなんて強引なことを言ってくるんだ!! ドロシーちゃん!


「ベルシュタインさんのさっきの様子を見て、何となく思ったんですけど、ベルシュタインさんはたぶん自分のお家の帰り方すらわからないくらいの方向音痴さんに見えます。

 自分のお家すら携帯を頼りにしないと、帰れないような人に、わたしの背中を託すことはできません……。

 …ということで、わたしにその携帯貸してもらえます?」


 自分のことを頼りないとみてか、ドロシーちゃんは半ば強引にそのことを要求してきた。


「は…はい…」


 ドロシーちゃんの有無を言わせぬ迫力に負け、自分はそっとドロシーちゃんに携帯を渡したのであった。


 …さっきまで照れ臭いそうにして、もじもじしていたくせに……自分にネックレスを首元にかけた途端、気が大きくなったのか、態度が急変しだした。


 …うぅぅ…女の子って、恐ろしい…。


 ドロシーちゃんは自分から取り上げた携帯をざっと眺めていた。そしてある程度、画面をじっくり見た後に、次のことを言ってきた。


「ベルシュタインさんのお家って、このマークがついてるところですか?」


 ドロシーちゃんは、携帯の画面に表示されている赤い押しピンのようなマークを指差している。


「そ…そうです…。…そこそこ」


「ベルシュタインさんのお家って、ここからそんなに遠くないじゃないですか…。

 ……ベルシュタインさんを頼りにしてたら、日が暮れちゃうところでした。

 しょうがないな~。…この際、ここからはわたしが後ろからナビゲートしてあげますね」


「はははは……助かります…」


 面目ない。まるでドロシーちゃんの尻に敷かれているようだ。


 ここは本来なら、自分が彼女をリードして、頼りがいがあるところを見せるべき場面なのだが、自分の能力不足のせいもあり、全くいいところを見せれなかった。


「じゃあ行きましょう、ベルシュタインさん。……あなたのお家まで」


「…は…はい…」


 くっ! お家に帰ったら、ちゃんと頼りがいのある男だって思われるよう挽回するんだからね!


 自分はそう心に誓い、スマホを片手に持つドロシーちゃんを後方に、前を歩きだした。


 ドロシーちゃんは携帯を眺めながら、「次は右に曲がってください」だの「左に行って、2つめの交差点の角を曲がってください」だの、自分の背後から指示を出してくれている。


 ……まるでドロシーちゃんはご主人様、自分はそのご主人様に仕える下僕のようだ。

 …な…情けない。とりあえず家に帰るまでの辛抱だ!


 恥ずかしさがこみ上げて来るのを必死に抑えつつ、自分はドロシー様の命令に従順に従っていくのであった。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「えっと…このまままっすぐ行ったら、次は2つ目の角を右に…」


 ドロシーちゃんとともに、まもなくショッピングモールの敷地から出るその直後の事だった。


「助けてくれぇぇぇ!!」


 前方から1人の男が、はるか遠方から自分たちが今いるこのショッピングモールの真正面の方に向かって、必死の形相で走ってきた。


「お~~~い!! 助けてくれ~!」


 その茶髪でパーマをかけた大柄の男が、自分たちを見つけると手を振ってきた。


 …何かに追われているようなそんな目つきをこの男はしている。


「な…なんか、ああいったタイプの人間とは関わり合いになりたくないな~」


「同感です。…む…無視していきましょう」


 …この男の見た目が非常にチャラチャラしているのもあり、自分とドロシーちゃんにそういった印象を強く抱かせた。


 おそらく外出禁止令を破って、それ以外にも何か別の悪さをして、警察官か軍人か何かに追われているところなのだろう。


 しかし自分と今背後にいるドロシーちゃんも、外出禁止令を破って外出していることに変わりはない。


 そのことに関していえば、自分たちも同罪だ。


 もしその警察官、もしくは軍人に捕まってしまうと、このチャラ男と同様の罪で罰せられるかもしれない。


 ゆえにこの状況は他人事ひとごとではなかった。


「……ちょっと遠回りかもしれないけど、あっちの方から逃げよう」


 自分はドロシーちゃんにそう提案した。


「!!……」


「ん?あれ?どったの?」


 ドロシーちゃんの耳には、自分の声が届いていないようだ。


「あの~ドロシーちゃん? もしもし聞こえてる? …あっちに向かった方がいいと思うんだけど……」


 もう一度ドロシーちゃんに、先ほどとと同じ言葉を繰り返す。


「ベ…ベルシュタインさん…あ……あれ……」


 ドロシーちゃんは、恐る恐るそのチャラ男の背後を指さしていた。


 自分もそれにつられ、チャラ男の背後の方に目をやった。


 ……そこにいたのは野生のグレズリーだった。野生のグレズリーがチャラ男めがけて追いかけていた。


 しかしそれはただのグレズリーではなかった。


 そのグレズリーの頭部には一本の細長い大砲がつけられ、それとともにそのグレズリーの背中には鋭利な刃物が、体毛が逆立つようにして、生え散らかしていた。


 ……間違いない。キメラ生物だ。


 このチャラ男がやつをこのショッピングモールまで連れてきやがったのだ。


「まずい! ひとまずショッピングモールの中に入ろう!」


 自分は背後にいるドロシーちゃんにそう声をかけた。


「はい! …ベルシュタインさん!」


 そしてドロシーちゃんとともに、自分も再びショッピングモールの方に引き返したのだった。


「おい! お前ら!! 助けてくれ!!」


 チャラ男は自分たちに助けを求め、ショッピングモールにすでに引き返していた自分たちのあとを追っていた。


 くそ! なんでついてくるんだ! 自分たちを面倒ごとに巻き込みやがって!

 …だからチャラ男は嫌いなんだ!


 平気でこうも他人を面倒ごとに巻き込むから!


 ……しかし今そんなことを思っていても仕方がない。


 今はとにかくショッピングモールの中に入り、なんとかしてこのグレズリーキメラの追っ手の目を撒いていくしかない。


「ベ…ベルシュタインさん! モールに入ったら、どっちの方角に行きますか!?」


「そうだな……なら左だ! 左に向かおう! ……いや、やっぱ右だ!」


「どっちなんですか!! もっとはっきりさせてください!」


「じゃあ左だ! 左に逃げよう!」


「はい! わかりました! ベルシュタインさん!」


 若干優柔不断なところをこのドロシーちゃんに垣間見せてしまったが、ひとまず逃げるルートを彼女と共有することはできた。


 振り返ると、チャラ男はまっすぐこっちに向かってきている。


 グレズリーキメラもそんなチャラ男を追いかけ続けているため、自分たちの方にそのチャラ男とグレズリーキメラが同時に向かってきている状態だ。


「おい! クズ人間! あっち行け! しっしっしっし!」


 3年間家でゴロゴロしていた人間が、この期に及んで何を言い出すのかと思えば、そのチャラ男のことをクズ人間呼ばわりしていたのである。


「ベ…ベルシュタインさん! い…いくらなんでも、クズ人間はないと思います!」



「おい! そこのブタ野郎!! なにがクズ人間だ!? ぶっ飛ばしてやる!!」


 しまった! 余計なことを言いすぎた! かえってあのチャラ男を怒らせちまった!

 しかもドロシーちゃんにも、さっきの発言を注意された!


 やっちまった! ドロシーちゃんの好感度まで下げちまった!


「す…すいません! 間違えました!」


 ひとまずこの2人に向かって、すいません! 間違えました! と言って謝罪しておく。


「おい! お前! なにがすいません! 間違えましたじゃあ!! なめてんのか!?」


「ひっ!!」


「ベルシュタインさん! あなたいい加減口を閉じていてください! ほら! もうすぐエントランスのところまで着きますから!」


「すいません! すいません! すいません! すいません!」


 自分はひたすら謝り続けた。


 ……もはや誰に対して謝っているのかすらわからなくなっていた。


 そして前方にいるドロシーちゃんが、エントランスのちょうど手前のところまで来たその時だった。



 ドゴーーーン!!



 突如轟音が辺り一帯に鳴り響いたのである…。


 ……鼓膜が破れそうになるくらい、どでかい音だった。


 その瞬間、前方のショッピングモールの壁がエントランスの入り口付近に向かって、崩れ落ちてきたのである。


 グレズリーキメラが、あろうことか大砲を撃って来やがった!


「ドロシーちゃん! 上だ! 危ない!!」


 ドロシーちゃんはショッピングモールの引き戸を引いて、ちょうど中に入ろうとしていたところだった。


 ドロシーちゃんの頭上に無数の瓦礫片が降ってきたのだ。


「……うそ!? きゃあぁぁぁぁ!!」


 ドロシーちゃんは逃れる術もなく、そのまま瓦礫片の下敷きとなってしまった。


「ドロシーちゃん!!」


 自分はすぐにドロシーちゃんの元へ駆けつけた。


 瓦礫の山をよけ、ドロシーちゃんの状態を確認しに行く。


「く…くそ! 瓦礫が足に…」


 ドロシーちゃんの左足が瓦礫に挟まれていた。幸い彼女の全身に瓦礫が降りかかることはなかった。


 しかし膝より下部分が瓦礫に挟まってしまい、身動きが取れない状態だ。


「くそ!! 今助けるから!!」


 自分はエントランス内部に回り込み、ドロシーちゃんの右手を掴んで、ショッピングモールの中に引っ張り込もうとする。


「よいしょ! …よいしょ!」


 しかし必死に引っ張り上げてるものの、瓦礫の山から彼女を救い出すことが出来ないでいた。


 ……何度も何度も強く引っ張った。…腕が引きちぎれるほどに…。


「くそ! ダメだ!!」


「ベ…ベルシュタインさん。…瓦礫を…まずわたしの足の上に乗ってる瓦礫を、どかしてくれませんか?」


「そうだった! くそ! …なにやってんだ! 自分」


 ショッピングモールの内側から、ドロシーちゃんをそのまま引っ張っていくことしか頭になかった自分には、その発想がなかった。


 急いでドロシーちゃんを救うべく、彼女の足に挟まっている瓦礫を下から持ち上げようとする。


「うぐぐぐぐ……」


 しかしその瓦礫は想像以上に重たく、いくら力を振り絞っても、ビクともしない。


「どうすれば! ……どうすればいいんだ!!」


 瓦礫を持ち上げようとしている中、自分は必死に頭をひねった。


 どうすればこの瓦礫をどかすことができる!? 考えろ…考えろ…考えろ!


 …………そうだ!


 自分は1つの方法を思いついた。


「てこの原理! ……てこの原理だ!!」


 てこの原理。大昔ジュニアハイスクール時代の理科の授業でならった『てこの原理』


 微小な力で重たい物を動かす魔法のような原理だ。


 ドロシーちゃんの左足とその瓦礫の隙間に、なにか頑丈そうな棒を差し込んで、力をぐっと入れたら、このおそろしく重たい瓦礫の山でも持ち上げることができる!


 …やってみるしかない!


「棒だ! 棒、棒、棒……」


「ベルシュタインさん! そこ! そこに細長い金属の棒があります!

 ……それならたぶんベルシュタインさんの力をもってすれば、持ち上げられるはずです!」


 ドロシーちゃんが指差した方向には、さきほどグレズリーキメラがぶち込んだ大砲の一撃で、瓦礫片と一緒に崩れ落ちていた鉄筋が無数に転がり落ちていた。


 これを何本も束にして、瓦礫の間に挟み込めばきっと持ち上げることができる。


 そして自分は、すかさずその鉄筋を拾い集め、急いで鉄筋の束をつくった。


「よし! 準備できた。持ち上げるよ!」


「はい! お…お願いします!」


 自分は素早く、その鉄筋の束をドロシーちゃんと瓦礫の間に差し込み、地面にむかって思いっきり力を入れた。


「ぐぐぐぐぐ……どうだ!? …いったか!?」


 するとその瓦礫の山が徐々に持ち上がってきた。


 …もうちょっと! …もうちょっとで、ドロシーちゃんの足から瓦礫をどかすことができる!


 力を込めて、さらに鉄筋を握りしめる。


 しかし鉄筋を力いっぱい握りしめたことによって、手のひらが非常にヒリヒリしてきた…


「ぐっ…痛い…痛い!」


 我慢しなければならない。


 今この手を止めたら、ドロシーちゃんは確実に助からないだろう。


 ここでしんどいからと言って、手を止めてしまえば、せっかくのドロシーちゃんとのこれからの日常が消えてなくなってしまう。


 父さんもいない、母さんもいない1人孤独の中、何ら充実感の得られない日々に逆戻りしてしまう。


 正直今すぐにでも、この鉄筋の束から手を離したかった。


 はやくこのしんどい時間が、心身ともにひどく消耗するこの時間が過ぎ去ってほしかった…。


「よし! もうちょっとだ! …もうちょっとで、そこから出してあげるからね!」


 瓦礫もようやくかなり持ち上がってきた。


 もう少しでドロシーちゃんがその瓦礫の山から解放される!


「うおおおお!!」


 ゴゴゴゴゴ…


 そしてついに、その瓦礫をドロシーちゃんの足からどかすことに成功した!


「よし!! いけたぞ!!」


 ドロシーちゃんの左足をふと見てみる。……かなりえげつないほどに赤黒くなっていた。


 …見るに見かねる光景だ。


 おそらく走って逃げることはできないだろう。


 だからこそ、ここは自分が肩を担いでドロシーちゃんと一緒に逃げるしかない。


 だがその前に、このショッピングモールの中に、ドロシーちゃんを避難させる必要がある。


 いつまでもモールの外にドロシーちゃんを置きっぱにすると、いつグレズリーキメラに襲われるかわかったもんじゃない。


「このまま、中まで引っ張り上げるよ!」


「は…はい! ベルシュタインさん」


 自分はドロシーちゃんの両手を掴み、彼女を引きずるようにして、ショッピングモールの建物内部へと避難させようとする。


 ……ちなみにその時掴んだドロシーちゃんの華奢な腕は、色白でとても透き通っていた。

 …すこし土ぼこりがついていて、薄汚れてはいるものの……。

 いやはや……それでも大変にお美しい…。


「はぁ…はぁ…はぁ…」


 ………バカが!! そんなこと考えてる暇があるなら、さっさとドロシーちゃんを中まで引っ張り上げんかい!


「頑張って! ドロシーちゃん!!」


 先ほどの雑念は取っ払い、必死にドロシーちゃんを引っ張り上げる!


 あともう少し!もう少しでショッピングモールの中まで、彼女を運び込むことができる!


 ひとまず中までドロシーちゃんを運び込んだら、どこか安全な場所でドロシーちゃんの足の手当てをした方がいいだろう。


 包帯かバンテージかで、ドロシーちゃんの挟まれた足をぐるぐる巻きにしておく必要がある。


 …いや……でもそんなものは持っていない。ならどうする?


 ……そうだ!


 それならさっき大量にドロシーちゃんが買い込んでいた服を包帯代わりにして、ドロシーちゃんの左足に巻いていけばいいんじゃないのか?


 そうだ! それそれ! ナイスアイディア!


 ……ひょっとして、自分は天才かもしれない。今日はやけに冴えてる! あとはドロシーちゃんを建物の中に避難させるのみ!


「いっけぇぇぇぇ!!」


 自分は今日一番の力をこめて、ドロシーちゃんをショッピングモールの中へと引っ張り上げていった。


 ……そうしてドロシーちゃんをようやく建物の中へ避難させることが出来た。


「あ…ありがとうございます! ベルシュタインさん!」


 やったぁ! この手でドロシーちゃんを助けることが出来たぞ! よっしゃあぁぁ!!


 …でもうかうかしてられない。早くドロシーちゃんと一緒にここから離れないと…。


 一方のグレズリーキメラはすでに、あの茶髪のチャラ男を取っ捕まえており、彼は全身を貪られていた…。

 …耳をつんざくほどの金切り声がこのエントランスの方まで響いていた…。


 チャラ男には悪いが、今のうちに自分たちは逃げ延びることとしよう。…仕方ない。

 …急ごう。…左だ。…左に向かって、ドロシーちゃんを担いで逃げよう!

 後ろを振り返ってる暇はない。…時は一刻を争う。グレズリーキメラがこっちに向かってくる前に早く逃げるんだ!


「行くよ、ドロシーちゃん!! ちゃんと僕の肩に掴まっててね!」


「はい! …ベルシュタインさん。…本当に…本当にありがとうございます…」


 ドロシーちゃんはそう言うと、見る見るうちに泣き出していた。


「いいよ、いいよ全然。やっとこれでドロシーちゃんと一緒に僕のお家に帰れるんだから!」


 ドロシーちゃんに自分なりに精一杯の励ましの言葉を送っていたつもりだったが、それでも彼女は泣き止む様子がなかった。


「…はい。…やっとわたし…これでお家に帰れるんですね…」


「そうだよ! 帰れる! やっと帰れるんだ!」


「はい・・・。嬉しいです・・・・」


 ドロシーちゃんの頬に滴り落ちている涙を時折、自分は彼女のほっぺたに直接触れて、それらを拭いつつ、必死に励ましの言葉をかけ続けていた。


 ドロシーちゃんも自分の言葉を聞いて、笑顔を浮かべてくれている。

 

 その表情を見て、微笑ましい自分。彼女もそんな自分の顔を見て、笑いかけてくれた。


 そうして自分とドロシーちゃんはお互いを慰めあい、こうして喜び合っていたのも束の間、……自分にとって、どうしようもなく受け入れがたい現実が、すぐそこに待ち受けていたのであった……。



「「グオオオオオォォォォ!!!」」



「きゃーーー!!!」



「ドロシーちゃん!!!」



 …自分はドロシーちゃんの背後にあのグレズリーキメラがすでに迫っていたことに全く気がつかなかった。


 …チャラ男の亡骸はどこにも見当たらなかった。

 先ほどキメラに捕らえられ、捕食されていた彼の死体はその地点から完全に消え去っていた。


 グレズリーキメラは人間の胴体の倍の太さを誇る屈強な前足で、ドロシーちゃんのケガをした方の左足を掴んだ。


 ドロシーちゃんはグレズリーキメラに足を掴まれるや否や、すぐに自分と離れ離れになってしまった…。



「ドロシーちゃん!!!」



「ベルシュタインさん! 助けてぇぇぇぇ!!! いやぁぁぁぁぁぁ!!」








 そこから先の記憶はごっそりと抜け落ちていた。


 彼女の最期の断末魔は今でも脳裏にこびりついている。


 その後の自分のとった行動すら全く覚えていなかった。


 必死に泣き叫びながら、その場から立ち去っていったのか?


 あるいはあのグレズリーキメラに、大切な存在だったドロシーちゃんを奪われたそのかたきを取るために、一矢を報いるため、何か行動を起こしたのか?


 気付いた時にはすでに家の中に居た。


 そしてドロシーちゃんに最後に手渡された服の数々。


 自分の首元にはドロシーちゃんが「おそろいですね」と言って、かけてくれたDのアルファベットをかたどったブロンズ色のネックレスがあった。


 それらはコミュニティードヨルドで強制労働をさせられている今も唯一の形見、唯一の彼女と過ごした思い出の証として、あのリュックサックの中に大事にしまってある。


 自分はそれから、リュックサックの中に入っていた食料と家に残されたサバ缶のみで、日々食いつなぎ、あの事があって以来、自分からは一切外の世界に足を踏み入れることはなかったのである。

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