第4話 母さんは強いよ

 父さんが死に、キメラが発生した翌日のこと。自室にあった父さんの遺体は、家の裏山に埋めることにした。


 父さんの遺体はすでに腐敗が始まっていたのだ。

 できるだけ早いとこ、父さんの遺体を家から出す必要があった。


  父さんが死んで1日も経たないうちに強烈な臭いが、鼻を突いた。

 父さんをこのまま家に放置させたままでいると、キメラにその臭いを嗅ぎつけられかねない。


 キメラ。それは銃火器を備えた変異動物のことを言う。メディアやネットでもそう呼ばれていた。

 その変異動物は、元々カラダの各部位に生えていた牙や爪の武器以外に、人間が装備する銃やマシンガンなどといった銃火器を生やしていた。

 そしてそれらの銃火器を手先の感覚のようにして使いこなし、人間を襲う。

 野生動物の圧倒的な身体能力の高さに加え、飛び道具を駆使されようものなら、まさに鬼に金棒。

 力のない人間がやつらにひとたび遭遇すれば、逃げ切ることは困難に近かった。


 そんなキメラは普通の野生動物がそのように変異を遂げた姿であった。


 しかしながらそんな野生動物の中でも、全部が全部キメラに変異を遂げているわけではない。

 キメラに変わってしまう動物もいれば、しない動物もいたのだ。

 具体的にどの動物がキメラに変異して、どういった動物が変異しないのか?詳細は未だ明らかにはなっていない。


 自室のテレビをつけてみるとニュースをやっていた。報道番組の司会者と専門家と思われる人たちがキメラ生物について語っている。



『少なくとも草食の動物がキメラに変わったといった報告は一度も受けていません」」



『だとすると、今のところキメラに変異するのは肉食の動物だけ…と?』



『その通りです。今のところは元々肉食動物、雑食動物であったものが、キメラに変異を遂げているとのことです。

 皆さんもすでに周知のことだと思われますが、元々人の手で育てらていたペットの動物、動物園で飼育されていた動物は、キメラには変異していません』



『ということは、キメラに変異してしまうのは、今のところすべて野生の動物に限られている……ということですね?』



『はい。人里離れた野生の動物、その大半がキメラと変異しているわけです』



『都心エリアでもここ最近、そんなキメラ生物の被害が増えています。国民は自身の身を守るためにも、今後も具体的にどのような行動を心掛けていけばいいのでしょうか?』



『まずはなるべく外に出るのを控え、自宅待機すること。政府からは緊急事態宣言が出され、不要不急の外出が制限されています。

 すでに地方では、キメラ生物の被害が拡大しています。そんな地方と比べ、都心の方では今のところ、被害はそこまで出てはいません。

 しかし決して、今がそうだからといって油断することなく、政府の意向に皆さんは忠実に従ってください。命に関わることです。十分警戒してください』



 そんなキメラ生物も翌日以降には、自分が住んでいるこの町から大幅に数を減らしていた。


 キメラの到来初日の段階では、おびただしい数のキメラがこの生まれ育った町にいたのだが、2日目以降はその大半が姿を消している。


 メディアやネット、動画投稿サイトから得た情報によると、都心でのキメラ生物の発生が頻発するようになっていて、専門家の見解によると、田舎のような人口密度が低いところから、より多くのエサを求めて、人口密度が高い都心の方へ向かっているのではないか?とのことだった。


 たしかにキメラ生物は、初日の段階で多くの地元住民を乱獲しすぎた。


 元々限界集落とまではいかないが、人口数百と満たない地元で、あれだけの数のキメラがあれだけの人間を食ってしまったのだから、当然すぐエサが尽きてしまうのは容易に想像がつく。

 1日にしてやつらのエサがなくなってしまったことで、別の土地へエサを求めて、大半が移動していったのだろう。


 ……父さんの死ぬ間際に残していった言葉の通り、外に出なくてよかったと思っている。


 おかげでキメラ生物は都心の方へと向かってくれた。キメラ生物に自分は発見されることなく、早々に奴らはこの土地を去ってくれた。


 …それでも時々、窓の外から覗くと、キメラ生物が数体まだ町にうろついてはいる。ピークを乗り越えたと言えるが、それでも警戒は必須だった。



「よっこらっしょ。…うう…重い」



 長年の引きこもり生活のしわ寄せがここに来た。


 3年もほぼ外に出ず、運動もしてなかったため、父さんを背負うだけで精いっぱいだった。

 それでもなんとか裏山のところまで、父さんを引きずっていく。

 まず最初に父さんを裏山まで運び出し、それが終わってから、遺体を埋めるまでの一連の準備に取り掛かろうと思っていた。

 ちなみにスコップもまだ持参していない。後で物置から持っていこうと考えている。



「はぁ…はぁ…心臓がバクバクいってる」


 裏山のとある地点まで、父さんを引きずっていったところで、ヘトヘトになり、座り込んでしまった。

 胸が苦しかった。手足を少し動かすだけでも体力を要した。


「まさかこんなに、体力が落ちてるなんて…」


 普段から自堕落な生活をしていたことに、この時ほど呪ったことはない。


 その裏山で束の間の休息をとってから、再び家の方に向かい、遺体を埋めるまでの一連の下準備に取り掛かることにした。



「まず消臭剤…消臭剤…あった!」


 母さんの部屋に入り、まず業務用の強力な消臭剤と消臭スプレーを手に取った。

 自室には父さんの血痕が残っていて、その部屋には父さんの血の臭いが充満していた。


 まず自室を消臭する必要がある。


 キメラが父さんの血の臭いを嗅ぎつけ、この家に侵入されたら、たまったものじゃないからだ。


 さっそく消臭剤と消臭スプレーを手に取ってから、自室へとむかった。



 そもそもなぜ死臭をも消臭できる業務用の消臭剤が家にあるのか?


 それは母さんが特殊清掃員のバイトをやっていたからであった。


 どうしても現場で作業していると、部屋に蔓延した死体の臭いがカラダにこびりつくため、それらの臭いをを取り除くために、業務用の消臭剤を家に置いているらしい。

 そして時間が空いた時に、消臭剤を自身のカラダに隅から隅まで徹底的に吹きかけておく。

 そのくらいのことをしなければ、死臭は全く取り除けないらしい。


 そもそも死臭がカラダにこびりつくの嫌がるぐらいなら、はなから清掃のバイトなんてよせばいいのにと、心なしかそう思っていた。



 母さんは年配者だった。


 普通、母さんみたいな年頃の女の人がバイトをするとしたら、近所のスーパーマーケットなどの精神的、肉体的な負担があまりかからないものを選ぶはずだ。

 しかし母さんはある時、何を思ってか夫の稼ぎが少ないからと言って、特殊清掃員のバイトをすると言い出したのだ。



「わたし明日から特殊清掃員のバイトをすることにしたから」


 そんな父さんもさすがに、特殊清掃員をすると宣言し出した母さんを引き留めていた。


「無茶だ! 何を言い出すのかと思えば…特殊清掃員だと!? 正気か!? メアリー!!」


 しかし母メアリーは父さんの言い分に対して、こう切り返していた。


「あんたの稼ぎが少ないから、わたしは特殊清掃員をするのよ! 時給は2300円! スーパーでバイトするよりも圧倒的に稼げるのよ!?」


「だからといって、特殊清掃員はいくらなんでも…ほかにもいろいろ選択肢があると思うぞ?」


「他に選択肢がないから特殊清掃員をするって言ってるの!

 …わたしに文句あるなら、あんたはもっとじゃんじゃんお金を稼いできなさいな!

 …そしたらあなたの言い分を聞いてあげなくもないわ」


 そんな母さんの迫力に押され、怒涛の説教を受け、逆に返り討ちにあった父さんは、泣く泣く母さんが特殊清掃員のバイトをすることを許可したのであった。


 父さんの説得の甲斐もむなしく、「稼ぐしかないの! お金は命より重いのだから!」とかそんなモットーを母さんはかがげ、単身、特殊清掃業界へ乗り込んでいった。


 するとそれが5年も続いていたのだ。


 そんな母さんの稼ぎもあって、我が家の家計は以前よりも大いに潤った。



 そんな特殊清掃でも堂々と渡り合っていける屈強なメンタルを持ち合わせた母さんを子としてもつ自分だが、なぜこんなにもやわな心を持ってしまっているのだろう。


 まさにガラスのハート。


 母さんのメンタルの強さは子供には遺伝しなかったようである。

 その結果がこの3年の引きニート生活だ。



 自室で消臭スプレーを吹きかけ、床についた血を雑巾やティッシュなどで拭き取ってから、庭先にある物置へと向かった。


 その物置からスコップを取り出し、消臭剤とスコップを両手に抱え、再び父さんの遺体がある裏山へと戻る。



「よし。まずは消臭剤を父さんに振り撒こう」


 さっそく持参した消臭剤を一袋全部使い切って、父さんの遺体に振り撒いた。

 そして消臭スプレーもスプレー缶が空になるまで使い切る。


 死臭もおかげである程度和らいだ。


「あとは、ここに父さんを埋めるための穴を掘る。……ここからが大変だな」


 裏山の土はあんがい固く、なかなか掘り進められなかった。

 しかも周囲を警戒しながらの作業のため、余計体力を消耗する。

 少しでも物音が聞こえたら、とっさに物陰に隠れ、辺りの様子を伺ったりもした。


 それらを繰り返しつつ、作業を進めていったのである。

 そんなこともあって、ろくに掘り進めることが出来なかった。


 やがてそんなこんなしているうちに、日も落ち始め、周囲も暗くなってきた。


 たいていの動物は夜になると活発に活動しだすらしい。

 視界もだんだん不明瞭になってくる時間帯だし、今日のところはこれで切り上げることにしよう。


 父さんの死体には掘り進められた分の土をかぶせておいて、木と木の間に隠しておく。


 このようなことをしても、焼け石に水かもしれない。動物は鼻がいい。


 いくら消臭剤を父さんにかけたところで、キメラ生物が近くを通りかかれば、一瞬で臭いを嗅ぎつけられてしまう。

 そうなると父さんはすぐ食い尽くされてしまうだろう。


 死んでしまった父さんを子供心ながら、可能な限り、土に返したかったため、キメラ生物に発見されないわずかな可能性に賭け、そのような処置を施しておいた。


 今までさんざん親不孝をしてきたのだ。せめてもの償いとして、最後くらいは自分の手で埋めて上げたかった。



 そして裏山を下りた。

 スコップはそのままにしておき、空になったスプレー缶と空の袋だけ手に取り、家へと戻る。


 父さんを土に返す。それまで絶対に死ねない。そんな強い思いをベルシュタインは抱いていたのである。

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