伯爵夫人は過去を話す ②

だからといってすぐに環境が改善するわけでもなく──ラウドがリグレのように長期休みを利用して帰省した際、八歳の誕生日を寂しくひとりで過ごしたヴィーシャムに偶然・・庭で出会うまで、その存在をハッキリと認識されなかったのである。

強い魔力の揺らぎに魅かれるように進んだその先に、まさか月の光を固めたような美しい少女がいようとは──今でもラウドはその衝撃を忘れることはない。

もっと驚いたのは、限られた人数しか使用人がいないということであり、しかもそれはガミス子爵家から当主夫人と産まれたばかりの妹と共に別邸の中心となる主人の部屋やそちらに近い部屋で暮らしており、ヴィーシャムこそが望まれたラウドの婚約者だというのに、別邸の端に作られた魔法を封じるための部屋に閉じこもっていたという話だ。

いつも一緒にいれたわけではないが、数日に一度でも何とか理由をつけて別邸を訪れ、ヴィーシャムが作り出してしまった天然のスケートリンクで遊んだ後、バスケットから取り出されたロールパンを割って作られたサンドイッチが美味しかったという話を、学園に戻ってから何度も親友たちに自慢したものである。

「そうだったな……あのパンを君が作ったと話してくれた時は、本当に驚いた。確か『自分の手はいつも冷たいから、パンの生地を温めずに作れる。だからクッキーやパイも上手に作れる』と言ってくれたな……あれ以来、あまり食べる機会がなかったが」

「あら……覚えててくださったの?」

ラウドが懐かしく話してチラリと流し目をすると、頬を染めたヴィーシャムはふわりと視線を娘に落とした。


そういえばそんな約束もあった。

クッキーはすぐに作って一緒に食べたが、パイは中にいれる果物が手に入らず、次の夏か秋にでもと約束をしたのにその後から王家からラウドとの婚姻に関して横槍が入りそうになって有耶無耶となってしまったのである。

それならば──

「そうね……では、これから皆で作りましょうか?ふふ……何年越しの約束かしら?」

「それは嬉しい。私も手伝えることがあるかい?」

そう言うとラウドが腕まくりをして、嬉しそうな顔で厨房の床に膝をついて何が必要かと妻を見上げた。

「あ……」

一瞬ギュッとアーウェンは苦しそうな顔をして小さく声を上げたが、リグレが繋いだ手を離さずに『家族』のもとに近付くのについていく。

それが嬉しそうではないことは振り返らなくてもわかったが、リグレは父が無言で促すままに、義弟の手をしっかりと握って離さなかった。


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