他心
@ktnoto
他心
この社会では当たり前のように人の心が見える。この国は犯罪が起こることを人が騙されることによって起こると定義した。そして、自分の心を相手へと可視化することができるコンタクトレンズ、眼鏡「他心」を開発し、国民への使用を促した。その結果、他心の使用はこの国の中でのエチケットへとなっていった。
「…お前、また他心付けてねぇの?」
「…ごめん。」
「いや、俺は別に良いけどさ!
そろそろ優也が変な目で見られないか心配だわ…。」
「いつも、ありがとな。春馬。」
俺は松村優也。この他心社会に馴染めないでいる異端児というやつらしい。そのせいで子どもの頃から親友の植村春馬にはいつも世話になってしまっている。
「まーた、他心付けてねぇのな。優也。」
こいつは佐々木隼人。同じクラスで連んでいる奴だ。
「いやー。優也ってば眼鏡は似合わなくて恥ずかしいけど、コンタクトはこわい!とか言うんだよ。ホントわがままだよね。」
春馬が呆れたように言った。いつもこうして俺が他心を着けていないことについてフォローを入れてくれる。春馬には本当に頭が上がらない。
「そうなんだよ。…俺、練習しねーとヤバいよな!」
「ウケる!頑張れよー。受験とかにも必須だろ!」
今のご時世、就活や受験には必須だ。他心は学生の本心が分かるということで、企業や学校は学生の選抜のツールとして重要視している。そのため、俺達は他心を着けていなければ就活も受験も出来ないという訳だ。
他心は着けることによって相手に自身の感情を送信し、他心を着けた相手には視界に相手の感情が映し出される。例えば、俺と春馬の両者が他心を着けて話し、俺が嬉しいと感じれば、春馬の視界の中の俺には嬉しいという文字が映し出されているのだ。
特に俺達は生まれてすぐに他心が普及し出したため、物心つく前から他心に触れ、慣れ親しんでいる。
「まあ、俺も優也の気持ちはちょっと分かるんだぜ。」
昼食を学食で食べている時、そう切り出したのは隼人だった。
「俺、他心を着けてない奴でヤンキーじゃない奴って優也がはじめてなんだよね。」
「ちょ、隼人。こういう話は人の多いとこでするような話じゃないでしょ…。」
そうこぼし、隼人を諫めようとした春馬に俺は
「大丈夫だよ。春馬。どっちにしろ、すぐみんな分かるから。」
と応えた。他心はその特性上、着けていない人間をすぐに見分けることが出来るのだ。
生きて、行動する中で感情を持たない人間はいない。つまり、何の感情も表示されない人間は存在しない。そして、他心を着けていない俺は誰から見られても、感情が表示されることはない。そうして、俺が他心を着けていないということはすぐに、気づかれてしまうのだ。
「で、俺が何?」
こういった真面目な話を性格上好まない隼人の発言に俺は少し興味があった。
「…なんか、悪いな。感情が表示されねーから…気分悪くさせてたら、すまん。」
「いや、俺の意思で着けてないわけだし。逆に他の奴らと勝手が違って悪いなって思 ってるくらいだから。」
申し訳なさそうにする隼人に罪悪感が湧き、即座にフォローを入れる。。
「そうなん?俺は優也と話すの好きだぜ。」
隼人が恥ずかしげも無く、俺の目をまっすぐ見て言った。
「いや、何、恥ずいんだけど。」
たまらず俺がそう言うと隼人は
「さっきの話の続きになるけど、何考えてるか分からん奴と会話すんのは始めてな訳よ。でも、一緒に過ごす内に気づくわけ、あれ、いままで連んだ奴らの中で一番おもろくね?って。」
「あー。でも、それは分かる。隼人と二人でいるときよりも、優也いる方が話してて面白いよね。」
隼人の発言に釣られて、春馬も同じようなおかしな事ことを言い出した。
「いや、何?怖いんだけど。…まぁ、サンキュ。」
小っ恥ずかしくなって、少し憎まれ口を叩いてしまいながらも、お礼を口にすることができた。
「やっぱ。あれかな。相手が考えてる事わかんない方が頭使う様な気すんだよね!」
「うわ、馬鹿っぽい発言!」
隼人に対して俺がそう反応すると
「それそれ、そういうの!ちょっと相手にとって悪口っぽいやつを優也以外、言わねぇんだよ!」
「まあ、相手が傷つく可能性のある言葉って言いにくいよね。人の目もあるし。」
興奮した様子の隼人の発言に春馬が冷静に返す。
誰かと話している時に話している相手の感情が陰った言葉が写されてしまえば、第三者にもその感情は見える。そのため、その人の発言で話している相手が傷ついているということがわかってしまうのだ。
以前は学校でいじめという特定の生徒をターゲットにした嫌がらせが学校で起きるという問題があり、それによる自殺者が一定数いた。しかし、他心の使用によって誰かに嫌がらせをすると、嫌がらせをしている際の嫌がらせをしている人の醜い心内が見えてしまう。それのおかげで他心普及後はいじめと言われるものはなくなり、それによる自殺者も自然となりを潜めた。
「え、悪い。傷ついた?」
思わず俺が隼人に謝った。
「いやいや!全然良いんだぜ!むしろおもろくて好きな訳よ!」
慌てて隼人が身を乗り出して、そう発言した。
「あ、あぁ、それは良かった…。」
あまりの隼人の勢いに、俺は少し引き気味になってしまう。
「確かに、隼人の他心の表記は嬉しいになってるもんね。」
こういった会話をしてる際も、二人は他心を着けているので二人同士は感情が筒抜け状態なのだ。(そう考えると、少し変な気分になってしまう)
隼人の言葉を信じていないわけではなかったが、春馬のその発言に安心してしまう。
「…こういうときって優也は他心着けてぇってなんねぇの?」
恐る恐るといった様子で隼人が俺に尋ねた。
「うーん。相手の感情を確実に知りたいとは思うけど、大体嫌がってるかどうかは分かるだろ?だから必要ねぇかなって思うよ。」
「なるほどなぁー!」
「へぇ…!」
俺が隼人の質問に答えた直後、隼人と春馬は同時にそれぞれ感嘆混じりに呟いた。
「俺だって他心の必要性は理解してんだよ。だから、受験とか、就活とか有事の際には着けるよ。でも、いつも着ける必要はねぇだろって思ってんの。」
「今更、ここまで社会に溶け込んでる他心を無くして生活するってのは無理だしね。」
春馬はいつも現実的だ。他心を着けられず、社会に溶け込めない俺と長く一緒にいても、自分はちゃっかり他心を着け、社会に溶け込む。その順応力が俺からすると羨ましいものである。
「じゃあ、優也は子どもの頃から他心着けてなかったのか?」
「優也とは幼稚園からの付き合いだけど、小さい頃は普通に着けてたよね」
春馬の言葉と被さるようにチャイムが鳴り、ちょうど昼休みが終わった。隼人から俺が他心を着けなくなった経緯を聞かれなかったことに少し安堵した。
俺も子供の頃は何の疑問も持つことなく、他心を着けて生活をしていた。
中学では当たり前のように全校生徒が他心を着けていた。(ヤンキーと言われる部類の人間は度々着けていないことで呼び出しを受け、その度に他心を着けられ、チェックを受けていた様だが)
俺も例に漏れず、他心を着けて学校に通っていた。ある日の授業でクラス全員の前で一人で発表を行うという授業があった。
「こ、こ、こ、これから発表をはじ、始めます。」
女子生徒の声は小さく消え入りそうで、ほとんど何て言ったのかを聞き取ることは不可能だった。
「せんせ~。声が小さくて聞こえませ~ん。」
男子生徒だった。普段からおちゃらけた生徒で、その時もおふざけのつもりだったのだろう。
「あ、あ、あ、ッツゥゥ!」
その瞬間、目の前を大量の感情の文字が埋め尽くし、ブラックアウトした。気がついた時は、病院だった。幸いにも意識を飛ばした生徒は自分だけだった。
どうやらその女子生徒は適応障害であったらしく、人前が苦手でパニックを起こしたようだった。他心がこれまで絶対に安全と謳われてきたこともあり、ニュースでも大きく取り上げられ、しばらく話題となった。しかし、事の顛末は俺の他心の安全装置が壊れていただけ、というものだった。
この日を境に俺は他心を着けることに疑問を抱き始めた。
この件で十分他心に対する恐怖があってもおかしくないのだが、俺は他心に対して恐怖よりも疑問を持った。女子生徒の感情は彼女が発表していたその場にいた全員が分かっていたはずなのだ。他心を全員着けていたのだから。感情が分かっていたのにも関わらず、その場の全員がその女子生徒に何も出来なかったという事に気がついたのだ。
感情が分かったところで何の意味も無い。そう、思ってしまった。
幸いこの経験をしているという事を知っている周りの人間達は俺が他心を着けていなくても、特段何かを言ってくることはない。しかし、他心を着けていない、着けられないということは今後の人生に大いに影響を与えるため、放って置くわけにもいかないらしく…。
「松村君。今日の放課後…大丈夫よね…?」
「はい。大丈夫ですよ。先生。」
俺は他心を着けていないということで、ヤンキー共よりも職員室で問題児扱いを受けているらしく、たびたび生徒指導のお世話になっている。(これに関しては納得がいっていない。ヤンキー共だって着けていないやつはいるのに。)
放課後、生徒指導室の扉を開けるとソファに母さんが座っていた。
「あ、優!」
「…母さん。また、ごめん。」
「良いのよ、気にしなくて!
母さんだって優の学校の様子、ちょっと見られてうれしいから!」
専業主婦である母さんは優しい。こうして未だに他心を着けることが出来ずに呼び出してしまう俺を一度も叱ったことはない。
「お忙しい中ありがとうございます。今日はお母様もご一緒にお話をしていただこう と思っておりまして…。」
「いえいえ、大事な息子のことですから。むしろ、気に掛けてくださってありがとうございます。」
母さんは十人に聞けばその大半がいい人だと応えるだろう。そんな母の旦那である父も悪人である筈がなく。その二人の間の子である俺がこんなに問題児である事に自分自身の事ながら甚だ疑問に思う。
「…では、本題に入らせていただきますね。」
教師の目もそう言っている気がする。他心を着けていなくて良かった。
「息子さんはやはり、小学校の時の件で他心の着用が出来ないのでしょうか?一応、私どもの学校では他心の着用を推奨しておりまして…。強制ではないのですが…。息子さんのトラウマ解決にも繋がりますし、今後の就活などにも関わってきますので。」
教師は俺が他心を着けないことを過去にトラウマのせいだと決めつけてくる。
「…そうですね。就活、受験の際だけ着けるというのは、やはり難しいですかね…。」
母さんが教師に遠慮がちに尋ねる。
「それは少し…。他の生徒の目もありますから…。
優也君はどうかな?」
「…俺は、」
理解されないことは目に見えているので言い淀んでしまう。
「…じゃあ、どうして他心が着けられないのか、着けたくないのかだけでも、教えてくれない?」
教師が質問に答えない俺に焦れてしまったのか、直接的な質問を投げかける。
「…。すみません。」
「申し訳ありません。気に掛けていただき、とてもありがとうございます。ですが、しばらくは本人の意思を尊重しても良いでしょうか?」
母さんがきっぱりとそう告げた。
「…そう、ですね。優也君も何かあったら、言ってね。じゃあ、本日はこれで…。」
教師はまだ何も解決していないのにも関わらず、終わってしまう面談に歯がゆさを隠せない様子だった。
「はい。ありがとうございました。」
「ありがとうございました。」
お礼を告げ、生徒指導室に頭を下げた担任教師を残し、俺と母さんは学校を後にした。
「母さん。…どうして俺に他心着けろって言わないの?
着けない理由も、なんで…聞かないの?」
学校での面談からの帰り道、俺は声を震わせた。
「お母さんさぁ、他心着けてるけど、あんまり便利だ!とか感じたことないし、絶対に必要だ!って思ってないからかな。あと、他心が普及したのもお母さんが大人になってからだしね。」
「…。」
母さんは俺の頭を両手で優しく包み、俺の目をしっかり見ながら言った。
「お母さんはこんな物使って優の心をチェックしたくないよ。
優也の心は感じられたら良いと思ってる。」
「母さん、感じるって何?」
「あー、そっか。ジェネレーション・ギャップって奴かー…。
感じるっていうのは心が動くって事かな。」
母さんがうなだれた様子で俺の質問に答えてくれた。しかし、今度は新しい疑問が生まれた。
「え、心が動くって何?言葉として成立してな…。」
「うわ!もうこんな時間、ご飯作らないと…。ごめん、先に帰るから!話はまた後で!」
俺の言葉を遮り、そう言うと母さんは慌てて家に帰ってしまった。
他心には嬉しい、悲しい、戸惑っているといった様々な感情が書き出される。心を動かす、心を感じるといった感情があるのだろうか。俺は最近、他心を着けていないから分からないが。
母さんの言った言葉に気を取られながら、俺は母さんが急いで通っていったであろう帰路をゆっくりと辿った。
いつも通りの誰もいない閑散とした公園を通って帰ろうとした時、いつもは誰もいないはずの公園に人が立っていた。無造作に伸ばされた黒髪を靡かせながら、タバコを吸っていた。血色が悪く、タバコを吸っていなかったら幽霊だと思ったかもしれない。(幽霊がタバコを吸わないと思っているのは偏見かもしれない)
しかし、血色の悪さを補って余りあるほど綺麗な女性だ。眼鏡の下の目にくっきり刻まれた隈が霞んでしまうほどに。
「…おや。君は他心を…着けていないようだね。」
「あ…。す、すみません…。」
見つめすぎてしまったのだろうか。俺の視線に気づいた女性は、俺に話しかけてきた。
「いや、責めている訳ではないよ。私も…着けていないからね。これはただの眼鏡だよ。」
「そ、そう…だったんですね。」
自分と同じだろうか。期待をしてしまう自分がいる。
「ところで、差し支えなければ、君がこの社会での当たり前である他心を使用しない理由を尋ねてもいいかい?」
もしかしたら、同じかもしれない。この人になら話しても大丈夫だ。そんな気持ちをそっと手に握らされたような気がした。
「…僕は、他心を着けることが怖いんです。これを着けてしまえば相手から完全に信用してもらえる。…おかしくないですか?信用ってそんな、そんなものでしたか?こんなものをつけて信用する、してもらうなんてそれこそ…相手を信用していないことじゃないか…って。」
「…なるほど。興味深いな。」
タバコを吹かしながら女性はそう言った。
「お姉さんは…どうして他心を着けないんですか?」
「ハハッ!私はお姉さんという歳ではないが…。私は…どうだろうね。職場には着けていっているよ。ただ、そうだな。なんて言うんだろう。」
女性の言い淀む様子から彼女の人間味というものが垣間見えそうな気がした。
「これを着けることで相手に自分を信用してほしい。自分は安全で健全な人間である と言うことを主張しているような…そんな気がしてね。私は私自身を信用していないのに他人にはそれをしていただこうなんて…おこがましくはないか?」
「僕と同じ…ということですか?」
「いや、違うよ。私は自分が嫌いなだけだが…。君はこの他心という物の存在自体を否定しているんだよ。こんな物がなくとも人を信用したい、されたいってね。」
「そんなこと、ないですよ…。」
俺はそんな大層なこと考えていないような気がする。他心唯一の悲報ニュースになったあの時の小学生であることに気づかれたくないばかりに抽象的な事を言い過ぎたことを後悔した。
「君は心がとても綺麗なんだね。こんな物で見なくとも、それが感じられるよ。」
「感じるって何ですか?」
母さんの口から出た言葉がここでも聞けるとは予想外だった。やはり、他心の言葉なのだろうか。母さんにも後で聞いてみようと思っていたが、他でもないこの女性から聞いてみたい。
「!そうか。他心の使用普及されたのは君が生まれた頃かな。」
「そう、ですね。」
「心が情報となっている今では実感が湧かないかもしれないが、心は動く。他心によって視界に表示される文字列としての意味だけではないんだ。本来、心というものは。」
「うれしい、かなしい、と言った言葉には他にも意味があるということですか?」
「うーん。そうじゃないんだ。」
女性は困った様に笑った。他心は自身の心を相手に伝え、相手はそれを視覚情報として捉える。その言葉の意味が分かっていなければ、他心を使っても相手の感情が分かることはない。自分は賢くはないが、馬鹿ではない自負があった。しかし、言葉の意味を理解していないかもしれない自分に焦りを感じた。
「例えば、君が感動する映画を見るだろう。感動は分かるよね?多分、他心にも入っているし。」
「分かります!」
思わず、向きになってしまった。
「ハハ、感動した時、涙が流れる時、心臓が熱くならないか。口で言い表せない感情があるだろう。それを心が動いている時なんだ。」
「それは、他心にも写らないんですか?」
「そうだな。制作者もきっと心が動くことを言葉に表せないだろう。」
彼女はどこか切なそうな顔をしていた。
「…貴女は、他心に関わるお仕事をされているんですか?」
「どうだろうね」
そう言って彼女は怪しげに笑った。
「他心はお互いが他心を着けていることで始めてその機能を発揮する。人間はこれを着けることによって1つの生き物になったような気がするんだ。個人が何かを思ったとしてもそれは体内の臓器の1つが不調を訴えたに過ぎない。」
確かに確かにそうだ。片方が着けていなければ相手の感情を映し出す物がないし、相手に自身の感情を送れない。
「それぞれが違う目標を持って生きているのに、ですか?」
「そうだよ。余程の変人でない限り、自分の視界にあなたが嫌いです、なんて表示されるのは見たくないだろう?
そうすれば、集団意識はより高まり、他心による感情表示への依存が始まる。簡単に言えば、自分で相手の感情を予測できず、その感情に到った経緯が分からなくなる。」
女性は嘲笑するような笑いを浮かべた。
「…あなたもあまり、他心に対して好印象を抱いてるようには思えないんですが。」
「私には、他心の存在を否定する資格はないよ。」
「どういう意味ですか?」
「言葉通りの意味だよ。」
はぐらかされた。そう感じた。他心を持たない者同士の会話は相手の考えている事、感じていることを予測しなければならない。楽しい、と感じている自分がいる。それ以上にこの女性と話すことに楽しさを感じてしまう。隼人や春馬もこんな気持ちだったのだろうか。
「少年。時間は大丈夫?そろそろ帰らないとご両親が心配するんじゃないか?」
「ホントだ…。もうこんな時間になってる…。」
女性と話し始めたのは夕方くらいだったのに、もう公園の街灯が点灯を始めている。
「…あの、また、お話出来ませんか?こんな話できる方、お会いしたことなくて。」
「どうだろうね。私は、こう見えて忙しい身なんでね。」
確かにそうだ。目の下にこんな隈を作っている人間が忙しくないはずがない。
「そう、ですか…。」
「私は、ここで君と話せて良かったと思うよ。でも、こういった話は余り大っぴらにするものじゃない。社会に馴染めないことは決して褒められたことではないから。この社会が他心を選び続ける限り、私たちは少数派の身体にとっての異物、外敵となってしまう。」
「いいね。この話、ここで私と話したことも忘れるんだ。君と私のために。」
「…。」
その女性とは挨拶をして別れ、帰路についた。しかし、女性との会話は頭から離れることはなかった。
「ただいま。」
家に帰り着いた時にはもう母さんは食事の支度を終えていた。
「お帰りなさい。遅かったわね。あの後、どこかで何かしてたの?」
母さんは不思議そうに俺に尋ねた。
「いや、特に何もないよ。寄り道してただけ。」
あの女性との出会いを隠す必要はなかったが、なんとなく、話す気にはなれなかった。あの時間は自分だけの時間にしておきたかった。
「ただいまー。」
「おかえりー。」
母さんと一緒に父を出迎えた。母さんは俺の帰りが遅かった理由について納得していない様子で、追求してきそうだった。しかし、タイミング良く父さんが帰ってきたことによって追求されることなく、逃げ果せることに成功する。
「父さんも帰ってきたし、ご飯にしましょうか!」
母さんの一言で、家族全員が食卓を囲み、夕食の時間となった。
食事中、母さんと学校から帰っている際の話を思い出した。母さん、父さんの両方に尋ねてみたくなった。他心が使われることが普通であった時代を過ごしている人達に。
「母さん、そういえば、心が動くってどういうこと?」
「あー。帰りに言ってた奴ね!」
俺の質問に対し、今夜の夕食である唐揚げをかじりながら母さんは応えた。
「何の話だ?」
今日の学校からの帰り道での母さんと俺の会話を知らない父さんが尋ねる。
「今日、私、優也の学校に他心の件で行っててね。帰りに他心の話してたら心が動くって何?って優也に言われちゃって!ジェネレーション・ギャップよねー…。」
「そうだったのか。他心なんて着けなくても優也は人の心の分かる優しい子だからな!」
母さんの言葉は普通の親であれば心配しそうなものだが、何の問題も無いというように父さんはきっぱりと言った。しかも、なぜか誇らしげだ。本当に優しい人たちだと思う。
「父さん、ありがとう。でも、俺早く心が動くってどんなことか知りたい。学校帰りに聞いてからずっと気になってたんだよね。」
「優也は勉強熱心だな!」
偉い!という副音声が聞こえてきそうだった。
「そういうの、いいから!早く教えてよ!」
あまりの親バカっぷりに耐えきれなくなり、ついぶっきらぼうな発言をしてしまう。
「すまん、すまん。」
父さんが笑いながら謝った。
「心が動くって実際に説明しようと思うと難しいのよね…。シュチュエーションで意味合いが変わってくるし。」
「んー。そうだなぁ。映画を見るだろう。動物と人間の絆の話のやつ。絶対感動するだろ?それを心が動いたって言うんだよ。」
「でも、スポーツ観戦してて、選手同士の熱い友情とか見ても心動かされない?」
両親は例え話で俺に分かるように説明をしてくれた。
「心が動くと感動するって同じ意味なの?」
両親の例え話を聞いていて心が動くと感動するということは同じである気がしたのだ。
「一緒、なのかぁ。」
母さんはもうお手上げ状態に入ってしまったようだった。
「心が動くの中に感動することも入ってたり、入ってなかったりって感じかな。感情が高ぶった声に表せない状態のいろんな感情を心が動いたって言うんだと父さんは思うよ。」
こういう時、普段は親バカなだけの父さんが研究者という職に就いている頭のいい人だということを実感させられる。
「うれしいとか、かなしいとかの最上級が心が動くってこと?」
「そうだね」
とても納得することが出来た。会話に区切りがついた丁度このタイミングで食事も終わった。今日はあの女性に出会ったことで、一日が充実していた気がする。
明日、春馬と隼人にも心が動くということを知っているか、確認を取ってみよう。隼人はきっと馬鹿だから知らないだろう。あの女性とのようにはいかなくても、明日も二人と今日のような話をしたい。
「私は無力だが、強力な力を作り上げてしまった。」
私がそれを開発の構想を始めたのは君くらいの年頃だった。私は君とは違って、人を信用する手段を物として欲してしまったんだ。
松村優也君、君には謝っても許されないほどの申し訳のないことをしてしまった。本当に。
私は君が小学生の時、やっと自分の開発した物の危険性に気が付いたんだ。確かに他心は人を疑う必要性を無くしてくれる。だが同時に、相手を本当に思いやる気持ちを人間から失わせてしまった。相手に嫌な思いをさせないことが相手を思いやることではないんだ。やっと、気づいた。でも、気づいたときには遅いんだな。
このままでは取り返しがつかないと思った私の最終手段だった。
商品化された他心には安全装置が着けられた。これしかないと思った私は商品の一つである他心の安全装置を外した。社会に絶対とされた他心の安全性を問いかけたかった。
結果は火を見るより明らかだった。私の危険性のメッセージは届くことなく、他心は世の中に普及した。社会には似たような人間が溢れかえり、自身で考える事無く、相手の意思を汲むことばかりの人間が圧倒的に増えた。さらに、相手の感情を汲めない異分子はすぐに見つかり、吊るし上げられてしまう。
相手の嫌なことをしない思いやりでは人の心を動かすことは出来ない。
私は君に嫌なこと、をしたはずなのに君は本当に心を動かされてるんだ。世論として誰かの記憶に残っているか怪しいというのに。他でもない、君が私の危惧していた事を汲み取ってくれるかのように他心の使用を嫌煙してくれていたなんて、私は君にどう償いをすればいいんだろう。
…誠に勝手ながら、君との関わりから他心の使用に疑問を持つ人が一人でも増えてくれることを願う。
「開発したことを後悔するわけではないが…これが必要なくなる社会がくることを祈ってしまうね。」
「優也!起きなさい!今日も学校でしょ!」
母さんの呼びかけで、いつも通り目を覚ます。
「ほら、早くご飯食べて!遅刻するわよ!」
「はぁ…~い…。」
寝ぼけながら、母さんの用意した朝食を食べる。
「お早う、優也。」
そう話しかけてきたのは父さんだ。
「おはよ。」
そう返事をして、早く朝食を食べ、春馬と合流して学校に行こう、そう思った。しかし、時計を確認すると、まだ、いつも学校に行く時間よりも三十分ほど早い。
「母さん!いつもより、三十分も早いじゃん。なんでこんなに早く起こしたの? 俺、なんか今日学校であるって言ってた?」
「…今日、いつも優也が学校の登下校で通る道で亡くなってた人がいるみたいなの。」
優しい母さんはその件を口に出すことさえ、嫌なのだろう、恐る恐る口にした。しかし、俺はその内容を聞いた瞬間になぜか昨日の女性を思い浮かべた。
「…その人、どんな人だったの…?」
俺も母さんと同じように恐る恐る尋ねた。
「黒髪の研究員の女性だよ。三十三歳って言ってたかな。綺麗な人だったよ。」
俺の様子がおかしいと感じたのか、母さんが口ごもったため、父さんが応えてくれた。
「あー、でも、目の下に隈がすごくあったよ。それでも、とても綺麗な人だったけどね。」
その言葉に思わず、俺は家を飛び出していた。
どうして、なぜ、朝から頭を棒でガツンと殴られた様な衝撃を受けた。俺と話していた、あの場所で、あの人は亡くなってしまったのだろうか?
昨日の公園には立ち入り禁止の黄色いテープが貼られ、昨日までの閑散とした様子が嘘のように人だかりができていた。俺と昨日話していたこの場所で昨日の女性は亡くなった。俺と別れた後に亡くなってしまったのだろう、女性のことを一人にして帰ったことを後悔していた時、野次馬のある声が耳に入ってきた。
「相当、恨みが強かったらしいわね。顔の判別がつかなくて、身元が特定できないみたいよ」
「あ、ニュースでやっと今分かったみたい。綺麗な人~。」
その言葉に背中を冷たいものが流れていく感覚がした。
タイミングがおかしい。父さんはなぜ、彼女の情報をあそこまで知っていたのだろう。
母さんは亡くなった人がいる、としか言わなかった。来た道を全速力で戻り、家へ向かった。
家の玄関から父さんが出てきて、今から出勤するという様子だった。
「優也!どうしたの?そんなに慌てて…。何か忘れ物?」
母さんが驚いた様子で尋ねてくる。
「どうしたんだ?優也?」
いつもは優しい父さんの口調が今はとても冷たく聞こえる。
「父さん…昨日の帰り道、いつもの公園通った?」
「いつも通り帰ってきたよ。…どうしてそんなこと聞くんだ?」
「…その公園で昨日、人が亡くなってた。そこに人だかりができてて、野次馬の人が言ってたんだ。さっき、身元が確認されたって…。
父さん、なんで…あの女性の容姿を…知ってたの?」
父さんはそっと、俺の方に手を乗せて尋ねた。
「優也は今、他心を着けているかい?」
「え…。着けて…ないよ。」
父さんの質問の意図を理解する事が出来なかった。頭の中で、なぜ、どうして、すぐに否定してほしいという思いがグチャグチャに混じり合う。
母さんも何かを感じ取ったのか
「あなた…?」
と心配げに、父さんに呼びかけた。
「他心は絶対だ。」
この父さんの言葉が沈黙していた三人の間に落とされた。
「他心を着けることで自身の安全性を相手に証明し続けることが出来る。他心を着けられない人間は相手の信頼を得られない。他心を着けるだけで、相手との絶対的な信頼が築けるんだ!今までこんな画期的な物は存在したか?何のデメリットも無いじゃないか!それなのに、なぜ他心を着けない?他心を着けない人間はやましいことがあるんだ…。他の人間に知られたくない自身の醜い感情が!
だって、そうだろう?やましい感情を抱いていなければ、他心を着けられるはずだ…!他心を着けて社会の信頼を得られない奴なんて!犯罪者同然じゃあないか!」
いつの間にか、父さんの手は俺の肩に食い込んでいた。しかし、肩よりも激しい痛みを心臓から感じる。呼吸をすることが苦しい。
「他心の感情表示率の精度は初実験では九十四パーセントだったが、現在では九十八パーセントだ!他心は素晴らしい!現に、学校でのいじめによる自殺者も減少した!
なのに、あの女…。他でもない、俺の息子を社会不適合者にしやがった!」
「あなた!やめてください!」
母の悲鳴のような声が響き渡る。
「なぁ、優也。どうして他心を着けないんだ…?本当は俺だって何度も精神科を進めようとしたさ。でも、理由が明確だから…。優也、もう他心の安全装置は壊れていないよ。大丈夫だ。ちゃんと…着けられるから。」
あぁ、父さんは俺が他心を着けないことをあの小学生の時の一件のトラウマが原因だと思っているのか。俺をよく知りもしない教師と同じように。
「…父さん、俺さ、他心を着けることが怖いよ。でも、トラウマとかじゃなくて、これを着けてしまえば相手から完全に信用してもらえるなんておかしくないと思う。他心がなくとも人を信用したい、されたいんだ。」
女性に言ったことを口走ってしまった。
「…昨日、優也もあの女に会ったのか?」
父さんが、人が怒りに肩を震わせる様子を初めて見た。もし、ここに他心を着けている人間がいれば安全装置が作動しただろう。しかし、そんなことよりも父さんがあの公園に行っていたということから、俺も怒りという感情が湧き上がってくる。
「やっぱり、父さんがあの人を……人を殺しておいて、何が信頼だよ…!」
「そうだな…。俺はもう信頼されるべき人間じゃあないよ。でも、許せないだろ…?俺の大事な息子から他心を奪うなんて…!他心を着けてさえ、いれば優也は完璧なんだ。誰にも何も言われないんだよ。あの女を殺したって優也のトラウマがなくなって、他心を着けられていた頃に戻るわけじゃ無い!でも、優也の他心の安全装置に細工して作動させないようにしてトラウマを作るなんて!たとえ、俺と職場で意見が食い違ったからってそんなこと…違うだろ!」
父が何を言っているのか理解が出来ない。あの女性は腹いせにそんなことをするような人にはとても見えなかった。父さんは他心にとらわれ、他心を通した感情でしか、人を判断できない人間だと、そう思ってしまった。
「警察はもう呼んであるんだ。元々、出頭するつもりだったから。」
父の発言に呼応するかのように、どこからかパトカーのサイレンの音が響き渡り、家の前で止まった。
「これはお父さんが勝手にしたことだ。優也は何も責任を感じなくて良い。じゃあ、二人とも元気でな。」
父はそう言って警察と共にパトカーに乗り、遠ざかっていった。あの女性が言っていたのは父のような人のことだったのだろうか。
父さんが警察に連行された後、俺は呆然とする母さんを連れて、家の中に入った。どちらも固く口を閉ざしたまま、沈黙が続いた。その沈黙を破ったのは俺だった。
「…母さんは知ってたのか。」
「ごめん!優也、お母さんは…。」
「俺は!父さんの事…。母さんもなんじゃないのか?俺は他心を着けてない!母さんも父さんと同じで俺の事、本当は…!」
これ以上、聞きたくなくて母さんの声を遮る。
「…優也。ごめんなさい。お父さんの事はごめんなさい…本当に。でも、お母さんの気持ちだけは信じてほしいの。他心を使って見てくれたって構わないから。」
「…。」
俺はその言葉に返事が出来なかった。
「優也のお父さんへの信頼と尊敬を感じてたら…。言えないよ、本当のことなんて。」
母さんの声は小学生の時に聞いたあの女子生徒の声の様だった。
他心を着けようが、着けまいが、人が本当に苦しんでいる時は、その人の言葉で言ってもらわなければ分からない。社会は、他心を使うことで誰も傷つけることはなくなったという。じゃあ、俺の目の前で泣いている人は、他心を着けていない俺に傷つけられたのだろうか、他心を着けていない父に傷つけられたのだろうか?
ここに他心を着けた父がいれば、母の涙は止まったのだろうか?
その日のニュースで俺の小学校時代の事件が取り上げられ、父に同情的な意見が集まった。逆に女性には他心を作った人でありながら、他心否定派だったとして具体的な問題の無い他心の問題をあら探しし、問題を作り上げようとしたとして否定的なコメントが連日報道された。
他心 @ktnoto
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