005

彼は今日も暇を持て余していた。

働かずとも食事は出るし、一日中好きなだけ寝ていられる。暇な事自体には全く何も文句は無いのだが、ただ何となく、その日は偶々何か退屈な気分だったのだ。

ベッドから身体を起こして窓に近付く。空には眩しい煌月がこれでもかという程輝いていた。

成程。今日は煌天宮だったらしい。

人間の御飯事の様な生活に付き合うようになって長いが、自分が本能を忘れていない事に少し安心した。

さて、それと言っても暇に違いはないのだが。

どうしたものかと思案に耽る。

じきに傍係がやってくる。退屈を紛らわせ血を落ち着かせる為に、手を出してしまおうか。殺してしまっては面倒だが、少し手を出すくらいなら大丈夫だろう。

廊下から足音が聞こえる。

さて―…

刹那。足音は悲鳴に変わった。

普段なら興味は湧かない。だが、退屈が気まぐれを引き起こし、彼は扉を開いて廊下へと出た。

「―――」

眉を顰める。

どれだけ一瞬の出来事だったのか。

廊下は鮮血に塗れ、肉片が四方八方へ散らばっていた。それを見て悲鳴が上がったのではない。悲鳴の主がそれになったのだ。

折角なので、新鮮な生肉の欠片を摘みあげて口に放り込む。久しぶりの肉は甘くて旨かった。

しかし何が起こったのか。

軽く見回すが、生物の気配は無い。

「―――…?」

いや、『何か』の気配は感じる。

目を凝らすと、廊下の隅の陰が揺らいだ。

訝しげに見詰めてみても、それはゆらゆらと燻るだけで動こうとしない。そもそもそれに意思が在るのかどうか解らない。少なくとも敵意は感じないが…この場にあれしかない以上、この惨状の原因はあれなのだろう。

どうしたものか悩んだ結果、一歩、それに近付いた。

変化は無い。もう一歩。

更に一歩近付いた時、それは大きくぶれた。

驚いて足を止める。

しくじった。

それは、嗤った。

すぅ、と。

静かに音も無く、それは自ら近付いてくる。

声を聞いた。

『………みつけた………』と。




目が覚めた。

なんだかとても不吉な夢を見た。やけにリアルな感触の夢。

折角睡眠をとったのに安らぐどころかひどく疲れてしまっていた。

映画の様に外から眺めているだけだったらいいのだが、完全に主観に支配されている。たとえば、口内に放り込んだ肉の食感だとか。たとえば、影がぶれた時に感じた背筋を駆け抜ける寒気だとか。

ただの夢と言い切るには何かが引っかかって、とりあえずシールに相談してみる事にした。


「おはようシール。ちょっと訊きたい事があるんだけど」

朝とはいえもう昼に近い時間で、シールは既に宰務室に居た。

「どうした」

仕事中の手を止めてKを見る。

「うん。あのさ。変な夢を見たんだよ」

「はぁ」

困り顔で切り出したKに、シールは淡々と相槌を打つ。少々怪訝ではあるものの馬鹿にした響きはないのだが、自分の言を振り返ってKはその馬鹿馬鹿しい切り出し方に混乱をきたした。

「あ。いやえっと、妄言じゃなくて」

慌てるKに構わずシールは先を促す。

「ああ。いいから言ってみろ」

「あ、うん」

ほっと一息、夢の流れを振り返る。

「たぶん、グールの記憶…。廊下で殺戮が起こって、出てったら妙な影に纏わり付かれて…」

言っている内に自信がなくなってきた。

目覚めてすぐは何か感じるものがあったのだが、冷静に振り返るとやはりただの夢なのかも知れないという思いが強くなる。

「普段ならただの夢で片付ける所なんだけどさ。昨日司書さんが変な事言ってたから、ちょっと気になって」

とは言えもう口にしてしまったのだからと、言い訳じみた言葉を連ねる。

「レルベリーダ女史? …なんて?」

「なんか、『夢を繋いでおく』って。『探し物を手伝う』って言ってさ」

「そうか。なら、ただの夢じゃない可能性は高いな」

「へ?」

「彼女は眠鬼の血を継いでいる。夢の世界は得意領域だ」

眠鬼は世界の共通意識にアクセスできるという。彼女たちはすべての生物、すべての思念体を覗けるのだ。情報を選別して、夢として受け渡す事もできる。

「じゃあ、なんでグールの夢を?」

グールの不在は隠されているのだから、彼女が言った「探し物」とは真犯人の事だと思う。

だが、このタイミングで夢に見たのはグールだ。

「知らん。彼女に隠し事は出来ないと言う事かも知れんし、単におまえが見たいものを見れるようにと設定したのかも知れん」

「…よく解らないけど…あの夢、信用できるって事かな?」

「じゃないか」

「そっか…。じゃあもう少し探ってみようかな」

あれが真実であるとすれば、こんなに簡単な方法はない。

本人視点からの途絶える事ない監視映像だ。真犯人もグールの居場所も難なく辿れるだろう。

「好きにしろ。ただ、夢の世界は長居すると引き込まれるって言うからな。気をつけろよ」

「あー、魂の蔵。そうだね。サンキュ」



aの部屋も覗いてみたが、既に外に出ているようだった。

Kは召喚獣による捜索を続けようか迷ったが、乱獲の件を考慮して驪と貝空のみにお願いする事にした。そも、そろそろ外の探索は期待できない。

今日も外の捜索は3人に任せ、ティールームへと足を運ぶ。起き抜けに働いていられない。朝の一時くらいは許されて然るべきだ。

「あ」

「げっ、オレンジ!」

そこにはリュオウスが居た。

「なんで来るのよ。折角今日は時間ずらしたっていうのに」

「いやぁリューちゃん。それはさぁ、もう運命なんだよ」

さっとリュオウスの向かいの席を確保する。

「嫌な事言わないで頂戴。ああもう、朝から気分悪いわ」

「つれないなぁ。ウチは嬉しいよ? リューちゃん」

全身で不快を表して、リュオウスは立ち上がった。

「頭オカシイ人の相手はしていられないわ」

今日もふられてしまった。

仕方がない。少しでも株を上げる為に、事件の解決に尽力するとしよう。



城門の付近で見張りと話しているダークさんを発見した。

「やほー。お疲れ様です」

「十三師団長…。客人は見つかりそうですか?」

当たり前と言えばそうだが、流石に彼らはグールの不在を知っている。

「うーん、難しいかもね」

その様子が納得いかないのか、少し真面目な様子でKを見返す。

「十三師団長は、あまり興味がないんですね」

「まあね」

とはいえ意外と捜査に取り組んでいると自身では思っている。

「彼が喰ったとお考えですか?」

その問いには流石に苦笑いで首を振った。

「なんだかんだあの子が一番の常識人だったからさ。城に迷惑かけるような事を進んでやったとは考え難いね」

でも、と。少しだけ間をあけてKは続けた。

「でも万一食べちゃったんだとしても、オーサマの言った通りさ。人喰いが人を喰うのは自明の理だよ」

その答えにダークは複雑な表情を作る。

「貴方は…解り難い人です」

きょとんとして、Kは笑う。

「そうかい。結構単純なんだけどね」

それからまたカラリと笑みの種類を変える。

「しかしダークさんマジメだね! 思わず珍しくマジメに応えてしまった」

ダークは複雑な面持ちのまま、少しだけ笑みを加えて言った。

「陛下に少し似てる、という評価もなんだか理解できます」

「え、ウチが? オーサマに? 誰そんな評価下すの。恐縮だね」

とは言え決して喜んではいない。

「そろそろ失礼します」

一礼してダークさんは去って行った。

…マジメだ。



昼過ぎ。

再びグールの部屋を訪れてみた。

「どうシルエッタ。昨日の変な奴、また来たりしてない?」

シルエッタは首を横に振る。

「そっか」

その不審人物に関して解る事は『城に入れる』というだけ。おそらく男。だとは思うが、人間と前提していいものか。

「そういやシルエッタ。そいつ、入ってきて何かしていったりはしてないの?」

首を振って否定するシルエッタ。

それもそうか。いないと思っていた人物が部屋に居たのだ。そのまま侵入してきたりはすまい。

「………」

昼の日差しに誘われて少し眠気が訪れる。

今なら眠れる。夢の続きが見れるかも知れない。

グールのベッドに横たわって、Kはゆったりとイドの海へと潜っていった。

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