第五章6 決着

「……」


 沈黙。二人とも、きっとわかっていた。


 肩で息をする俺。スマホを操作し、音を止める甘音。

 スマホをしまって、ため息を一つ吐いて。


「――あたしの負け、だね」


 彼女は、笑った。

 寂しげな、しかし満足げな笑顔で。


 俺は頷く。この勝負は、俺の勝ち。

 お互いが納得できる結果だった。

 ――そして。


「俺が勝ったら、何でも言うこと聞く……だったよね」


 今度は、彼女が頷いた。

 何を言われても後悔はない。そんな表情だった。


「じゃあ……」


 さぁ、最後の見せ場だ。

 言え。ついさっきこの手でつかんだ――勇気を持って。

 深呼吸を一つ。震える声を抑えて、俺は言った。



「俺と一緒に、踊ってほしい。――アニソンで」



 息を呑む音が聞こえた。

 甘音は両手で口を押える。

 その目がゆらりと、大きく揺れた。


「……何でも聞くって、言ったよね?」


 促すと、彼女は何かを飲み下すような動作をして。

 一呼吸の後、大きな声で答えた。


「はい! もちろん!」


 彼女によく似合う、満面の笑み。

 そこに一滴の涙がついて。


「ふえぇ……よかった、よかったよおおおぉ!」

「いや、ちょっ……」


 と思ったら、急に泣きだした。

 ペタンとその場に座り込んで、勢いよく泣きじゃくる。


「いやいや……泣くことはないでしょ……」


 なんて言いつつ、オロオロしてしまう。

 ホントやめていきなり、女の子を泣かした経験なんてないんだけど。

 こういうときどうすればいいの。


「泣くよ、バカ! あたしがどれだけ……っ、このひねくれものー! うわああああ!」

「ええ……いや、捻くれてるのは知ってるけど……」

「っていうか、なんでそんな遠くにいるの! ふつー近寄って慰める場面でしょー!」

「いや、俺にそういうの求められても……」

「もう、バカ!」


 いや、もうこれどうすればいの手ぇつけられないよ。

 ……あー。


「その……とりあえず、これ」


 泣いている女の子への鉄板。とりあえず、ハンカチを差し出してみた。

 顔を上げると、しばらく不満げにそれを睨んだ甘音。


 が、「ありがと……」と言って受け取ってくれた。

 目元をハンカチで押さえ、


「あ、ごめん真っ黒になっちゃった」

「えぇ……」


 ホントだ。目元のメイク取れたのか。

 それを見て、甘音はプッと吹き出す。


「ふふっ……あははははは!」


 そのまま、タガが外れたように笑いだす。どうした急に。

 ひとしきり笑った後、ヒーヒー言いながら目元をまたハンカチで押さえて、


「……はー。力抜けちゃった。起こして」


 万歳するように両手を上げる甘音。何たるわがままお姫様。


「……はいはい」


 その両手を取り、踏ん張って引っ張り上げる。

 意外とすんなり立ち上がった彼女は、でもどこか不満げだった。


 いや、今ので俺としては相当頑張ったんですけどね。

 今たぶん手汗とかヤバいよ。心臓もバックバックだよ。不整脈かな? これは病院に行かないといけないので今日はもう帰りますね。


「ありがとう」

「どういたしまして……」


 ニコっと笑いかけられ、俺はスッと目を逸らす。

 が、彼女は逃してくれない。


「本当に、ありがとう」


 俺の顔を覗き込む。

 そこにはいつもの、キラキラした満面の笑みがあった。


 いつだかのように眩しくて、けれど今度は引き込まれるように見てしまう。

 目が焼け付いてしまったとしても、後悔はしないと思う。


「これからよろしくね、咲楽くん。パートナーとして」


 と、甘音が手を差し出した。


「……ん」


 差し出された手を取るのは、やっぱりまだ勇気が要るけど。

 勇気なら、さっき手に入れたから。


 握った手は温かく、柔らかく。

 でも、力強く握り返してくれた。


「さて! ここから忙しくなるよー! っていうか遅れがヤバい。動画審査の期限、六月末だからね?」

「マジか……間に合うのそれ?」


 たぶん、他のチームはとっくに準備を始めてる。

 早ければもうフリが完成して、練習に明け暮れてることだろう。


 対して、俺たちは曲すら決まってない。ヤバくない?


「んー? なんとかなるでしょ」

「いや軽いな……」


 なんでそんな自信満々なんだ、と思ったら。


「だって、一人じゃないし!」


 ……だから、さ。


「そういうの、ズルいって」

「え、何が!?」


 その笑顔がですよ。他にもいろいろだけど。


「……まぁ、頑張りますよ」


 誤魔化すような口調に、確かな決意を混ぜ込む。


 ――ずっと、一人で踊ってきた。

 この屋上で、誰にも見られないよう、コソコソと隠れながら。


 でも、今は。


「うん、頑張ろー!」


 頼もしいパートナーが、ここに。

 これなら、頑張れる。ここから、頑張れる。


 と、チャイムが鳴った。予鈴だ。


「あ! あたし、まだ着替えてない!」


 ……前言撤回。不安だ。


「ちょっと、早く出てって! ここで着替えてくから!」

「はいはい」


 呆れながら、荷物を手早くまとめる。

 出口へと向かう背中に、「覗いちゃダメだからね!」と声がかかった。


 いや覗かないし……と考えて、とっておきの返しを思いついた。


「覗かないよ、甘音さんじゃないから」

「……バカ!」



 予鈴に負けない大きな声が、青い空に吸い込まれていった。

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