第五章2 来客

 家に帰って風呂に入ったあと、ベッドに横たわってぼんやりと考える。


 これで、よかったんだ。

 俺は踊れない。彼女の貴重な時間を割く価値は、俺にはない。

 だから、これでよかった。


 そう思ってみても、虚しさは俺を逃がしてくれなかった。

 自分から手放したくせに、勝手に喪失感に打ちひしがれている。

 本当にみっともない。


 スマホが短く鳴った。MINEだ。

 だが、今は見る気にもならない。

 何度か鳴るそれを完全に無視して、ベッドの上で脱力し続ける。


 さすがに、このタイミングで彼女からは来ないだろう。

 他の奴なら事務連絡とかだ。急いで見る必要もない。


 それに、仮に彼女だとしても。今は返す言葉がない。


 そのとき、インターホンの音が響いた。はーい、と母さんの声がする。

 こんな時間に、誰が。まさか――


「踊介、お客さん!」


 思わず飛び起きた。

 そんな、まさか本当に。いや、そんなはずは。


 固まっている俺。

 母さんは構わずその人物を家に上げたらしい。足音が近づいてくる。

 どんどん近づいて、部屋の前までやってきて。


 ガチャリ。ノックもなくドアが開けられた。

 そこに立っていたのは――


「よう、踊介!」

「……修二?」


 予想外の人物だった。


「その顔、やっぱりMINE見てねぇな? そうじゃないかと思ったから来たんだけどさ」


 言われて、慌ててスマホを開く。


『よう、踊介』

『お前に届けなきゃいけない物があるんだけど』

『今から、お前んち行っていいか?』


 スマホの画面と、彼の顔を交互に見る。


「届けなきゃいけない物……?」


 見当もつかない。

 俺とコイツの縁は、もう切れていたはずだ。

 縁があったとすれば、この前の――


「この前のあの子、甘音舞ちゃん、だったよな? さっき、あの子とぶつかってさ」


 そう言って、修二はカバンの中からノートを取り出した。


「これ、落としてったんだ。お前から渡しといてくれよ」


 そういうことか。

 すごい偶然だけど、理由は納得だ。


 無言で受け取って、表紙に目を落とす。

 下の方に、『甘音舞』とちゃんと名前が書かれていた。

 他に書いてある文字は――


「……『さくせんノート』? なんだこれ……」


 俺がこぼすと、不意に修二が声を上げた。


「なぁ。あの子、ダンサーなんだな」

「は? なんで……あ、お前もしかして」

「あ、中は見てないって。すれ違ったとき、一瞬誰か分かんなくてさ。髪型と化粧が全然違って。あれで踊介のツレなら、たぶんダンサーだろって思っただけ」


 あぁそうか、メイク落としてなかったもんな。


「たぶん、さ。そのノート、お前は見たほうがいいと思う」

「はぁ? なんでそんなこと」

「ただの勘だけどさ。あの子がダンサーで、お前と仲良くなって、あんな顔で走ってて……『さくせんノート』、ってさ。たぶんあの子、お前と踊りたいんだろ?」


 何も言えない。

 だが、沈黙が答えになった。


「踊介。ごめんな」


 唐突な謝罪に、顔をしかめてみせる。


「俺、ずっとお前に謝りたかったんだ。ただ、謝るのも思い出させるみたいで気が引けて……いや、これは言い訳か」

「何の話」


 なんて、本当はわかってる。

 コイツが俺に謝りたいことなんて、一つしかない。


「あのとき、無責任に盛り上げて、無理に告らせてさ。お前がどれだけ傷ついたか、俺たち、全然わかってなかった」

「……やめろよ」


 違う。別にお前らに謝ってほしいわけじゃない。

 だって、お前らに悪気がないのなんて、最初からわかってる。


「お前、せっかくダンス頑張ってたのにさ。ダンス好きだったのにさ。俺たちのせいで、ダンスに嫌な思い出を作っちゃって。それでもし、ダンスを嫌いになったんだったらさ……。謝って済むようなことじゃないけど。本当に、悪かったと思ってる」

「だから、やめろって」


 そこで謝られたら、わかってしまう。

 結局、俺は俺が許せないだけなんだって、わかってしまう。


「ホントごめんな。俺たちのことは許さなくていいけど……ダンスだけは、嫌いにならないでほしい。もう遅いかもしれないけど」


 そこで修二は、何かを噛みしめるように声を詰まらせて。


「お前のダンス、本当に最高だからさ。お前がダンスを続けてくれたら、俺は嬉しいよ」


 その言葉は、驚くほどストレートに俺に入ってきた。


 そう言えば、コイツはこういうヤツだった。

 大雑把で、ノリで生きてて、人との距離感がバグってるヤツだけど。


 どこまでも真っ直ぐ、正直な男。

 だから、俺はコイツを嫌いになれなかった。


「何だよ、それ……謝ってんのか頼んでんのか、ハッキリしろ……」

「……そうだな、悪い」


 歯切れ悪く返す俺と、ガシガシと頭を掻く修二。

 恥ずかしかったり、気まずかったりしたときの癖だ。


「踊ってるよ」


 その言葉は、口から滑り出ていた。

 え、と驚く修二を見て、俺はきちんと伝える。


「ダンスを嫌いにはなってない。嫌いになんてなれなかった」


 そうだ。

 踊らなかった時期もあるけど、嫌いになったことは結局なかった。 


「今も踊ってるよ。誰にも見せてないけどさ」


 そう言って、胸がチクリと痛んだ。たった一人、それを見た彼女を思い出して。


「そっか。ならよかった」

「うん」


 数秒の沈黙。手に持ったノートが、急に重たく感じる。

 それを上げて修二に見せつつ、沈黙を終わらせる。


「これ、ありがとう。ちゃんと返しとく」

「……おう。よろしく」


 その意図を察し、カバンを肩にかけなおす修二。

 話はこれで終わりだ――今日のところは・・・・・・・


「じゃあ、俺、帰るな」

「うん」


 部屋を出る修二を見て、俺も後を追う。

 修二はちょっと驚いたようだった。

 玄関まで一緒に歩き、靴を履く修二を見守る。


「それじゃ」

「うん」


 最後にそう言葉を交わし、彼がドアを開いたところで――


「……またな」


 俺の言葉に、バッと振り返る修二。

 また驚いたような表情、それがすぐに笑顔に変わった。

 ニカッと笑う彼は、昔のままで。


「おう! またな!」


 そうして、修二は出ていった。

 閉まった扉を数秒見つめてから、俺はゆっくりと鍵を掛けた。

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