第五章 勇気の話

第五章1 思い

 ――フラれちゃった。


 あたしは走る。

 ひたすら走る。

 どんどん強くなる雨の中を走る。


 涙はもう、抑えられなかった。

 あぁ、きっとあたし今、ぐちゃぐちゃでヒドい顔。


 運命の出会いだと思った。


 あの日、あの朝、あの屋上で。

 扉の隙間から見た彼のダンスは、間違いなくあたしの理想のダンスで。


 あぁ、この人と踊るために、あたしはダンスを始めたんだ。

 本気で、そんなことを思ってた。


 ずっとアニメが好きだった。

 周りの皆は、アニメを見なくなったけど。

 アニメはいつも、あたしの心を夢中にさせた。


 アニメには夢がある。

 ワクワクする冒険がある。キラキラした青春がある。ドキドキする挑戦がある。時には、ギュッと締めつけられるような愛しさだって。


 そして、アニメのそばには、いつも音楽がある。

 アニメにもらった感情を、保存して、増幅して、圧縮して、いつでも思い出せる、そんな素敵な音楽が。

 いっぱい、いっぱい。


 あたしは、それを誰かに伝えたかった。


 ダンスと出会って、それができると興奮した。

 あたし頭悪いし、語って伝えるのは、たぶん無理。歌もあんまり自信はない。

 けど、昔から運動は得意だった。


 体を使って、人はこんなに感情を表現できる。思いを届けられる。

 あたしはダンスを使って、あたしの大好きなものを皆に伝えられる。伝えたい。

 そう思った。


 だからこそ、あのとき。


 あたしと同じようにダンスが好きで、あたしと同じくらいアニメが好きで。

 そんな人だって、直感したから。

 話をして、語り合って、それを確信したから。


 どうしても、咲楽くんと踊りたかった。


「うおっ」

「ごめんなさい!」


 誰かとぶつかった。でも、どうでもいい。

 形だけの言葉を叫んで、あたしは走り続けて。

 後ろから大きな声が聞こえたけど、それも無視して。


 息が切れる。速度は鈍り、それでも走る。

 角を曲がった。その先には、大きな橋がある。

 限界が来た。橋の真ん中まで来て、フラフラと手すりに手をつく。


 川に向かって、大きく息を吸い込んで。


「うわああああああああああああああああああああ!」


 叫んだ。力の限り叫んだ。息が続く限り叫んだ。


 運命の出会いだと思った。

 運命の出会いだと、思ったんだ。


 あたしの大好きな、アニメみたいに。

 あたしもきっと、主人公になれたんだって。


 そう言えば、川は二つの世界を隔てるものだって、何かのアニメで言っていた。

 さっきまで、あたしは主人公だった。

 運命の出会いによって、晴れて夢を叶える主人公。


 川を渡る。ゆっくりと、冷たい雨に打たれながら。

 川を渡りきった。あたしは今、別の世界へやってきた。


 雨が降りしきる、夢が叶わない、あたしが主人公じゃない世界へ。


****************


 家に帰ってお風呂に入った後、ベッドに横たわってぼんやりと考える。


 これからどうしよう。

 実は、愛から「一緒にコンテストに出よう」と誘われていた。

 本格的に取り組む前に咲楽くんに出会って、今は保留にしてもらっている。


 それもあったから、発表会を終えたら最後に聞いてみるつもりだった。咲楽くんに。


 これでダメなら諦めるしかないって、そう思ってた。

 そのはずなのに。


 ――何であたしは、諦めきれてないんだろう。


 やり場のない思いに迷った視線が、本棚でふと止まった。

 本じゃなく、DVDがしまわれているそこに。


 一巻分の空きがある。『轟け!』の最終巻。

 ちょうど今、咲楽くんに貸していた。


 その巻には、あたしが好きなシーンが収録されている。

 主人公の久美くみが、先輩の朝香あさかに思いをぶつけるシーンだ。


 先輩の大人ぶった態度に対して、久美は全力で、子どもみたいに、自分の希望を、思いをぶつける。

 子どもで何が悪いんだって。先輩だってただの高校生なのにって。


 久美はそれで、先輩の心を動かした。

 でも、あたしには無理だった。

 咲楽くんの心を動かすことはできなかった。


 ……本当に、そう?


 あたし、ちゃんと思いをぶつけてた? 久美みたいに。

 久美は、飾らない言葉で、思いの丈のすべてをぶつけた。

 あたしは。


 これまで、咲楽くんと仲良くなろうと頑張った。

 それは、ちょっとずつだけど、できてたと思う。


 でも、結局。あたしは、自分の思いをぶつけてない。

 正面から、咲楽くんとぶつかってない。


「バカだなぁ、あたし」


 だからだ。


 仲良くなることに気を取られて、仲良くなることが楽しくて。

 大事なことを、伝えてなかった。


 それを伝えるのに、あたしにできることは。すべきことは。

 スマホを手に取った。MINEを開く。


 送る文章は、すぐに決まった。

 これしかない。あたしの思いを、全部ぶつける。だから。


 メッセージの送信ボタンは、意外なほどに簡単に押せた。

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