第四章5 あの日の笑い声

 卒業パーティー当日。


 ダンスを踊り終わって、先輩たちに一言送る時間が用意されている。

 その時間で、事は起きた。


「実は、先輩たちに見届けてほしいことがあるんですけどー!」


 健也のその台詞と同時、修二に送り出される俺。


「我らがエース踊介、なんと好きな子がいるそうです!」


 フー! と盛り上がる先輩方。

 大変ノリがよろしい。


 そして、そこまで空気を作られたら。もう行くしかない。


「えっと、その。俺、こういうの初めてなんですけど。最初は、美人だなー、大人っぽいなーってだけだったんです」


 一応、何を喋るかはちゃんと考えてきていた。

 緊張であまり回らない頭で、頑張って覚えた文句を口にする。


「でも、だんだん仲良くなって、すごくかわいいなって思って。あ、見た目だけの話じゃなくて、性格とか、喋り方とか。そういうの含めて全部」


 おいおーい、みたいな声が上がる。

 会場内のあちこちから囁き声が上がり、静かに盛り上がっていた。

 悪くない空気だ。


「それで、気付いたら――好きになってました」


 『好き』という単語が出たことで、ひとしきり盛り上がる場内。


 ――ここで名前を呼んだ時点で、すべてが確定する。

 空気に背中を押してもらい、俺は意を決した。

 最後の一線を越えることを決めた。


 その名前を呼んだ。


「輪」


 叫ばず、しかしはっきり。

 他の部員に押され、輪はステージの前方に出てくる。


 戸惑いが見えるその顔をしっかり見て、心臓の鼓動が耳元に聞こえて、体中が熱を帯びて。


 短い人生の中で、間違いなく一番の大舞台。

 だが、場の空気が、これまでの彼女との思い出が、俺に自信をくれる。大丈夫。


 右手を差し出し、震える肺で息を大きく吸って――俺は、最後の一言を告げた。


「好きだよ。俺と付き合おう」

「ごめんなさい!」


 …………………………へ?


 完全に、固まる。

 思考が停止し、体は動かず、心は取り落とされる。


 全員の視線が俺に集まっていた。

 好奇の視線、哀れみの視線、怖い物見たさの視線、不満の視線、生暖かい視線。


 それらの視線は棘もないのに、どれもこれも俺に突き刺さっている。

 体からは冷や汗が、心からは血が、どくどくと流れ出る。


 シンと静まり返った空気の中、


「……は、」


 誰かの漏らした声を合図に、沈黙が晴れる。


 何かが決壊したように、笑い声が押し寄せた。土砂降りの勢いだ。

 その一粒一粒がまた、俺の心に傷をつけていく。

 そして、


「いや、ノリで告ってくる人はちょっと。っていうかここ、先輩を送り出す場だし。それは空気読めてないでしょ」


 輪は、改めてそう言った。

 怒ってる風ではない。笑いながら、たしなめるように。


 でも、俺にはキツかった。全部、気づいてしまったのだ。


 心のどこかで、OKをもらえると思っていた。

 彼女も俺を好いてくれていると思っていた。


 思い上がりだった。とんだ勘違い野郎だった。

 ダンスを始めて、皆に認められて、調子に乗っていたのだ。

 自分がイケていると勘違いしたのだ。


 ダンスをやる奴がモテるなら、世の中もっとダンサーで溢れてるに決まってる。

 そもそも自分が女子だったら、ダンスができるからってだけで好きになるか?

 なるわけねぇだろ、アホか。


 恥ずかしい。

 何でこんなことしてしまったんだろう。

 周りにおだてられて、乗せられて、こんな形で告白してしまうなんて。


 恥ずかしい。

 輪の言うとおり、ここは先輩を祝う場だ。

 主役は先輩たちで、それを差し置いて自分のことで悪目立ちするとか、本当に空気が読めてない。


 恥ずかしい。

 大衆の面前で、自分が彼女のことをどう好きなのか滔々とうとうと語ってみせるとか。

 そんなのは二人きりのときにやれ。


 恥ずかしい。

 挙句、俺と付き合おう、だって。

 断られると思ってない奴のセリフだ。相手の気持ちを分かってない奴のセリフだ。

 どこまで勘違いすれば、そんな気持ち悪いセリフが吐けるんだ。マジでキモい。あり得ない。


 恥ずかしい。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい――


「すいません先輩たち! 最後にお見苦しいものお見せしてー!」


 と、修二が場を納めにかかった。


「ドンマーイ!」

「いい見世物だったぞー!」


 先輩たちも、茶化して盛り上げて誤魔化してくれる。

 それで場の空気はまとまる。


 でも――俺の心にあるのは、恥だけ。


 だから俺は、逃げだした。


「あ、踊介!」


 追いかけてくる修二の声と、皆の視線。


「あちゃー、泣いちゃったかー。すいません先輩がた、後でちゃんと慰めときますんで!」


 健也が取り繕う声。それを受けてさらに大きくなる笑い声。

 その全部が、恥ずかしくて。


 俺は全力で、舞台から逃げだしたのだった。


****************


 そのすぐ後のこと。

 俺は転校することになった。


 一人で暮らしている父方の祖父が体調を崩し、一家揃って父の実家に戻ることになったのだ。

 とは言え市内だったので、「残りたければ残ってもいい」と父は言ってくれた。


 だが俺にとって、その転校は渡りに船だった。

 ダンス部の連中と顔を合わせたくない、かと言ってこれでダンス部を辞めるのはダサすぎる。

 あれコレ詰んでね、もう死ぬか俺? となってたところだ。


 転校した先にはダンス部もなく、目立たないように日々を過ごした。


 今回の問題点は三つだ。

 調子に乗ってしまったこと。

 周りの空気に流されてしまったこと。

 そしてそもそも、好きな人を周囲に知られてしまったこと。


 調子に乗らないように、というのは気をつけるしかないが、目立たなければかなりリスクは減る。

 残りの二つは、そもそも人と関わらないようにすればいいことだ。

 特に、人の心にズカズカ踏み込んで来る、ダンサーという人間とは。


 そんな意志のもと、腐った生活を始めた俺。


 いろいろあって一人で踊る楽しさに目覚め、それで少し快方に向かうわけだが――あれ以来、一度も人前では踊れていない。


****************


 ここが潮時だった。

 いや、遅すぎたくらいだ。


 甘音と過ごす時間は楽しかった。

 それはもう認めるしかない。


 甘音のダンスはすごかった。上手かったし、ワクワクした。

 それも認めるしかない。


 でも、だからこそ。

 ここで終わらせなくてはいけない。


 あんな間違いを、二度と犯さないために。

 あんな辛い思いを、二度としないために。


 俺は話した。

 俺が人前で踊らなくなった理由。俺の恥の過去。

 それをすべて、洗いざらい。


「笑っちゃうだろ。俺、こんな下らないことで、もう踊れないんだ」

「それは……それだけその子のこと、」


 彼女の言葉に、俺は首を横に振る。

 そんなこと、言い訳にもならない。


「自分でやらかしておいて、自分で怖くなって。ただ恥ずかしいってだけで、もう踊る勇気が出せなくなった。そんな情けない奴なんだよ、俺。究極のヘタレだ」


 だから。


「俺は甘音さんとは踊れない。ごめん」


 もう一度繰り返し、俺は頭を下げた。

 こんなダサい奴、彼女にふさわしくない。


「……そっか」


 顔を伏せる甘音。

 そんな彼女を見たくなくて、俺はもう一度空を見上げた。


 ぽつり、と顔に冷たさを感じる。雨だ。

 パタパタとかかる雫がうっとうしくて、俺が顔を下げると、


「そっかぁ」


 顔を上げた甘音。

 眉をハの字に下げ、それでも無理やりに笑顔を浮かべて。


 その頬が濡れていたのは、きっと雨のせいじゃない。


「あま……」

「ご、ごめん! あたし、もう帰るね!」


 甘音はバッと顔を伏せ、一目散に駆け出した。

 俺の横を通り過ぎて、足音がどんどん遠ざかっていく。


 中途半端に伸ばした手を、もどかしく握りしめた。

 振り返って追いかけることなんて、俺にはできなかった。

 そんな資格も勇気もない。


「……ごめん」


 届くはずもない謝罪の言葉。

 そんなことをしたって、許されるはずもないのに。


 降り注ぐ雨の音が、あの日の笑い声と重なって聞こえた。

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