第二章6 勝ちなのか負けなのか

 で、翌朝。

 いつもどおり挨拶をして、DVDを受け取って。


「昨日の、何だったの」


 どうしても不安が拭えず、聞いてみた。

 藪蛇かもしれないが、このまま生殺しよりはずっといい。


「え!? うー、あー……」


 かなり面食らった様子に、ますます不安が募る。

 しばらく何やら呻いていたが、結局答えることにしてくれたらしい。


 珍しく俺から目を逸らしながら、少し頬を染める彼女。

 その言葉に――


「昨日……っていうか、最近。あたしのことよく見てる気がして……」


 今度は、俺が目を逸らす番だった。

 これはたいして珍しくもないけど、目の泳ぎ方はいつもの比じゃない。

 いつもが平泳ぎだとすれば、今日はボビング。あれ、ボビングって泳ぎ方じゃないか?


「な……なんのことやら……」

「あ、その反応は当たりだ!」


 照れを吹き飛ばすためなのか、彼女は一段と大きい声を出した。

 やかましいですよ。あと人を指さすのはやめてくださいね。


 なんて胸中ではぐらかしてみても、ズバリ指摘されて全身が熱くなった。


 昨日だけじゃなく、「最近」。

 言われて初めてそれを実感したのだ。そのことにまた熱が強くなる。


 確かに、最近気がつけば彼女を目で追っている。


「……いや、その何ていうかこう、ほら、俺そもそも友達少ないし、友達か知らない奴なら友達に目線が行くのは仕方ないっていうか……」


 慌てて言い訳を捻り出す俺。

 が、何を言ってみても駄目だ。


 自分で自分が気持ち悪い。馬鹿すぎて辟易へきえきだ。

 こういうの・・・・・は、もう懲りたはずなのに。


「いやごめんキモいよねすいません死にます」

「死なないで!? いや、別にイヤとかじゃなくてね!?」


 心の底から出た自分への罵詈雑言に、彼女は慌ててそう言って。


「ただ、その……ちょっと、ハズい……」


 ぎゅっと、心臓をつかまれたような錯覚に陥る。


 顔を少し右に向け、斜め下に逸らした視線。

 右手でスカートの端をぎゅっと握り、左手の小指で髪を耳に掛ける。

 その瞬間に、真っ赤になった耳がよく見えた。


 その挙句、少し赤くなった顔のまま、今度は真っ直ぐこちらを見て、いつものキラキラとした満面の笑みで、こう言うのだ。


「でも、今、友達って言ってくれた! 嬉しい!」


 ああダメだ それはダメだよ 甘音さん


「ディ、DVD! ありがとう! 俺、もう行くから!」


 そう言って逃げようとした俺を、


「あ! 待って!」


 またも彼女は捕まえた。

 だから、そうやって軽々しく手を握ったりとかですね、特に今はこうアレがアレでして――


「あ、あのね! これは、オタク友達としての提案なんだけど……」

「は、はい……」


 振りほどけない。

 手をしっかりと握られたまま、彼女の言葉を聞いてしまっている自分がいる。


 そんな俺に、彼女が告げたのは。


「咲楽くん、ブレイブ好きだって言ってたよね」

「え? それは、うん」


 急に話題が変わり面食らう。


「それで、あの……実はね」


 そこからどう会話が転ぶのか。

 そんな風に思っていたら、彼女はカバンを漁りだした。

 それで手が離されて、ほっと一息。


 危ない危ない。

 もうちょっとつかまれていたら、たぶん心臓に何か重篤な後遺症が残ってた。


 対症療法として、『父親が女児向けアニメを観ているのを見たときの感情を思い出す血圧低下術』を実行する。…………あ、クラッときた。


 だが、次の彼女の言葉で、心臓は別の方向に飛び跳ねる。


「試写会のペアチケット、当たっちゃって」


 一瞬、固まる。

 言葉を咀嚼そしゃくし、取り出されたそれを見て、文字を判読して、理解して。


「マジか! マジでうわ、いいな俺外れたのに! うらやましい、うらやましすぎる……!」


 これまでの全部が吹っ飛んで、俺の感情は羨望に支配された。


 そう、少し前、『ブレイブ』新作の試写会の発表があった。

 当然応募したんだが、俺の席はご用意されませんでした。

 これが物欲センサーってヤツか……。


「くそー、おめでとう。あ、頼むからネタバレはやめて」

「しないよ! っていうか、ね?」


 と、甘音はチケットをズラす・・・


ペア・・チケット、だから。それで、その……」


 そう、チケットは二枚。ということは。

 何か意を決したように、目をぎゅっとつぶって彼女は叫んだ。


「もしよかったら、いっしょに行きませんか!」

「マジで、いいの!?」

「へ!? は、はい!」

「へ?」


 え、何、その反応。そんなの行くに……決まって……いや、待て。


「……ペア、チケット?」


 コクリ、と頷く甘音。


「行けるのは、二人だけ?」


 コクリ。


「俺と、甘音さんで……?」


 ……コクリ。


 ……それって、つまり。

 それはつまり、俗に言う……!


「ちょっ……と待って。十秒、いや一分待って」


 どうしよう、どうする。目の前には黄金のチケット。

 喉から手が出るほど欲しい。


 ただ、これは甘音が当てたもの。

 手に入れる方法は、たった一つ。


 だが、はたしてそれは許されるのか……!?

 そんな、俺と最も縁遠いと思っていたイベントに行くことが?


 でも、ブレイブは。ブレイブだけは。

 俺にとって特別な物語。それを観に行くためならば。


「……一分、経ったよ?」


 死の宣告。


「ぜ」

「ぜ?」


 あぁ、負けた。負けましたよ。


「ぜひ……お願いします……っ」


 いや、勝ったと言うべきか。

 俺のオタク心は、この瞬間何かに勝利したのだ……!


「ホント!? うん、行こ行こ!」


 はい、とチケットを渡される。


「えへへ、楽しみ! 集合時間とか場所とか、またMINEするね!」


 俺は渡されたそれをしっかりと持って、足早に立ち去る彼女を見送る。

 これでチケットは手に入れた。その代わり、俺は――


「やっぱり、負けたのでは……?」


 こうして俺は、自分が体験することがないと思っていたイベントに。



 ――デートに、臨むこととなってしまった。

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