第三章 スマートな作戦

第三章1 作戦はスマート

『デート:恋い慕う相手と日時を定めて会うこと』


 だそうだ。ソースはネットの辞書。


 恋い慕う相手。ということは、今回のコレはデートじゃない。

 甘音にとって俺は、あくまでダンスのパートナー候補だ。うん、そうだそうだ。


 そう、デートじゃない。

 なのに、なんで俺はタンスの前で小一時間悩んでるんだ。


 別に適当な服でいいだろ、と最初は思った。

 だが相手は甘音、ファッションにはうるさそう。なんてったってギャルだし。

 あんまりダサいと機嫌を損ねるかも。


 いや、機嫌を損ねたらマズいか?

 別に好かれる必要はない。むしろちょっと引かれるくらいが、ダンスを強要されることもなくなっていいのでは。


 ただ、今回の目的は『ブレイブ』の試写会。

 それに行けるのは彼女のお陰なんだから、感謝と礼儀を示すべきだ。


 っていうか、そもそも『ブレイブ』は俺にとって特別な作品。

 気合いを入れたって不自然ではない。

 特別な行事には、特別な服を着る。普通のことだ。


 ただその場合、逆の問題が生じる。


「え、なんでそんな気合い入ってるの? もしかしてワンチャンあるかもとか思ってる? ないない、ないから! キモい! 変態! ヒヒオドシ!」


 となる可能性。

 そうなった場合、俺の精神的な死は確定する。

 だから直接的な言葉はやめてって言ってるだろ。


 あとヒヒオヤジな。鹿威ししおどしと混ざってるから。

 カッコーン。


 結局、『無難で小ぎれいな服装』というコンセプトのもと、白いシャツと黒の綿パンに決定。


 自己採点は七十点ってところか。

 とりあえず、襟さえ付いてれば何とかなると思ってる。


****************


 ゴールデンウィークでごった返す街。

 集合場所である駅の時計付近には、それでも余裕を持って到着できた。

 普段から早起きしてるおかげだ。


 いや、三十分前は少し早すぎたかな。

 街中に出るのが珍しいからって警戒しすぎた。


 待ち合わせの相手を待つ時間。

 同性相手ですら、胃の辺りがムズムズして苦手な時間だ。いわんや異性をや。抑揚形。


 スマホを見ながらしばらく気を紛らわしていると、


「あ、咲楽くん!」


 紛れすぎて、めっちゃビクッてなった。


 いや、今のは声が大きすぎるのも悪い。

 こんな往来で個人名を大っぴらに叫ばないでください。プライバシーポリシーしっかり。


 あと、時間が予想外に早い。集合時間まではまだ十分ある。

 それは悪いことではないけど、俺の心臓にはたいそう悪かった。


 絶対遅れてくると思ってたんだけど――と振り返る。


「おはよー、お待たせ!」


 甘音はいつもどおり、満面の笑みで立っていた。

 服装は――よくわからないけど、そこら辺を歩いてるかわいい女の子って感じ。


「……おはよう。いや、まだ時間前だし」


 当然そこに触れる余裕も胆力もなく、それだけを返した。


「たしかに! ダンス部の皆とかだと、だいたいあたしが一番なんだよね。誰かが待っててくれるって新鮮」

「そうなんだ」

「そうなんです。じゃ、行こっか!」


 至極楽しそうにそう言って、彼女は先に立って歩きだす。

 それを追いかける形で歩きだすと、彼女は自然に隣に並んできた。


「ね、昨日のアレ見た?」


 そして、いつものオタクトークを始める。

 ぶっちゃけ助かる。


 休日に女子と二人で並んで歩く。

 経験がなさすぎて緊張もひとしおだったが、こうして普段どおりにしてくれると多少マシだ。


 ショッピングモールに併設されたその映画館には、十五分ほどで着いた。


「何か買うー?」

「あ、じゃあお茶だけ」

「ポップコーンは?」

「いや、映画に集中したいから」

「さすがガチ勢! じゃ、あたしもそーしよっと」

「いや、別に合わせなくてもいいけど」

「横で食べてたら気にならない? 飯テロ的な」

「それはまあ……」

「でしょ。それに、終わるのお昼時だしね」


 確かに。というわけで売店の列に並び――ある懸念が頭をよぎった。


 ここはもしかして、俺が払うべきなのでは……?


 この試写会に来られたのは彼女のおかげだ。

 礼の一つもして然るべき。


 なら、ここでお茶を奢るというのは大いにアリだ。

 値段的にもお手頃で、向こうも気軽に「じゃあ、ありがとう」と言いやすいくらい。たぶん。


 しかも、支払いの時に「俺が出すよ」と言って、サッと出してしまえば任務完了。実にスマートでは?


 いや別にカッコつけたいんじゃないけど、こう、お互い気を遣う要素は少ないほうがいいと思うんだ。

 それにほら、やっぱり礼儀は大事だし。


 うん、そうだな礼儀は大事だな。

 よしそれで行こう、そうしよう。


「こちらお伺いします」


 店員さんの呼び声を受け、注文を済ませ、いざお会計。

 今こそ作戦を実行に移すとき。

 こういうのは慣れないから緊張する。


 っていうか、やっぱこれカッコつけすぎじゃない?

 これはこれでキモくない?

 いやでも、やっぱり何らかのお礼はしたいわけで。


 いまいち勇気を出せずにいると――


「あ、あたし万札しかないや! ごめん、小銭持ってる?」


 甘音の衝撃発言が、思考をぶっ飛ばした。

 万札……だと……!?


「ま、万札、持ってるの……?」


 しかもその気軽な言い方、明らかに慣れてる。

 俺なんか今日、財布に五千円入れてるだけで緊張してるんですが?

 この子もしかしてボンボンなの? 実は本名鈴木だったりする?


「え、別にふつーじゃない? あ、咲楽くんってバイトとかしてないの?」

「してないけど……甘音さんはしてるんだ」

「うん、ファミレスでね」


 そ、そういうことか。何だか、急に彼女が大人に見えた。


「で、小銭ある?」

「あ、うん。はい」


 もう一度問いかけられ、ジャラジャラと小銭を慌てて取り出す。

 彼女はそれを受け取ると自分の財布に入れ、一万円札で支払いを済ませた。


「あ……」


 ――しまった。万札の衝撃で、普通に自分の分だけ払ってしまった。

 っていうか、先に支払いについて言及された時点で終わってる。


 スマートな作戦、丸つぶれ。


「ん、どーかした?」

「いや……なんでも……?」

「何で疑問形?」


 どうしたもんか、と考えているからです。


 まぁ、別にいいか……。

 過ぎたことを悔やんでも仕方ない。

 今さら彼女の分のお金を渡すのは変だし。


「お待たせしましたー」


 店員さんに商品を渡されたことで、場は完全に流れた。

 次の客に追い立てられて移動し、入口付近で開場時間を待つ。


「あ、これおいしー」


 甘音は、期間限定らしいドリンクにそんなことを言っている。

 当たり前だけど、俺の考えなど知るよしもなく。


「一口飲む?」

「いや、いい……」

「え、なんで。おいしいのにー」


 まったく、本当にこの人は。

 きっと、いろんな意味で何も気にしてない。

 だから大丈夫――と、自分に言い聞かせる。


『お待たせしました。ブレイブ試写会にお越しの皆様、入場を開始致します』


 時間だ。考えるのは、いったん脇に置いておこう。


「じゃ、行こっか」

「うん」


 先を行く甘音を追う形で、俺たちは入口へと進んだ。

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