〈六〉



 城の使者と聞いて、てっきり丞必か高竺こうとくだと思っていた紅珥はよりによって苦手とする父親が現れて身を強ばらせた。一緒に入ってきた獅徇をうらめしげに見る。当主と数人の面を着けた使者が揃い、紅珥はどうしたって逃げられなくなった。

「父上……」

「やってくれたな。いま表では騒動になっている。当主の息子が足抜けを手伝うなどあってはならんことだ。お前はそれを分かっていてやっただろう」

 図星を突かれ俯いた。

「でも、折檻を受けていて……ぼくはこいつを拾ったときに、非道ひどいことはするなと命令したのに」

「保護したまでは誰のものでもないがりが終わればそれは引き取った主のものだ。お前がどうこう言うべきことではない」

 息子は口をすぼめた。萎縮した様子に当主は内心溜息をつく。

「それを渡してもらおう。のりを無視して勝手をするよう教えた覚えはないぞ」

 しかし意外にも、幼い彼は少女を庇うように前に立ちはだかった。迷いつつも父を睨む。

「……民をいたずらにしいたげてはならぬと掟にはあります。聞得キコエは民を守る為に戦うのではないのですか。砂人も我々の民ではないのですか」

 少女が半泣きで紅珥にくっついたのを見て使者のひとりが渋い声を出した。

「五のきみ、あまりお近付きになってはなりません。それは百五十年ぶりの本物の砂人です。これは大変な凶事です。病憑やまいつきかもしれんのですぞ。砂人は信用できません」

 その言葉には頭に血を昇らせた。

「馬鹿を言え!砂人が信じられないと言うなら当主を愚弄ぐろうしたのも同然だということがお前には分からないのか!それに、たとえ病憑きでも、だからといって売り買いして粗末に扱っていいことになるのか!」


 獅徇がわずかに顔を伏せた。たとえ本人が族領ぞくりょうで生まれた子孫だとしても、容姿で砂人だとうとまれる。砂人に、しかも妓女に子を産ませた当主もまた、当時はかなり臣下たちの顰蹙ひんしゅくを買った。だから獅徇の息子の誕生は大々的には公表されなかったし、今でも風当たりは順風とは言い難い。とはいえ近年は当主と閼氏が尽力したおかげで幾分ましになってきている。……と、いう時に、今度は閼氏の実子が妓楼と問題を起こすとは。


 当主が腕を組んだ。

「ではどうするつもりだ?城に置くことは許されぬ。お前も、街で暮らすことは出来ぬ。大金を払ってそれを引き取った楼主をどう納得させる気だ?」

「不本意だけれど、その分の金を支払えばいいのでしょう?ぼくのものをすべて売ってください」

「到底足りぬ。それに、先ほども言ったようにそれは久方ぶりに現れた砂人だ。妓楼にとって、生粋の砂人は客引きとしてはかなり使える。だから楼主も大金を出したのだ」

 紅珥は今までにないくらい苛立っていた。唇を噛みしめ、自分に迫る全ての大人おとなたちを睨み続ける。

「……ぼくが、ずっとこいつを買い続けます。死ぬまで」

 確固とした声音に当主は眉を上げた。息子は片手でこぶしを、もう一方で異人の少女の手を握る。

「あっちの楼主が出した金額の倍、耳を揃えて払い終わるまで通い続けます。だから獅徇のところに置いてください。お願いします」

「その金をどう工面するつもりだ。戦で手柄を立てるか?間諜かんちょうとして功績を挙げるか?」


 突然、紅珥は顔を歪めた。口角を上げて歯を剥き出しにする。さも可笑おかしげに高笑いすると父親を畏怖の念なく、怒りに満ちた眼差しで傲岸に見据えた。


「いつも父上は言っているではないですか。お前は当主の息子だ、継嗣あとつぎだと。その意味をなにも分かっていないと思っているのですか。――――私が当主になります。当主になってもっと一族を大きくします。父上のことを昏君こんくんだったと民に言わしめるほどの賢君になってみせましょう。いずれは妓楼も、競りも、この一族全てを私が変えてみせる。誰も争わず泣かなくていい、砂人も聞得も分け隔てなく生きる西方浄土らくえんにしてやる」


 使者たちが戸惑う空気を醸した。当主はじっとしたまま動かない。しばらくそうして見つめ合うと、やがてふいと顔を逸らす。


「…………大きく出たな」

 呟くと脇に控えた獅徇を見た。

「私はこれの親だが城の金と民の上納を私的に使うわけにはゆかぬ。お前には迷惑千万だが、ひとまず立て替えてもらわねばならない。向こうの妓楼には私も行こう」

 当主、と周囲は狼狽してどよめいたが目線で黙らせ、再び息子を見下ろす。

「……言質げんちはここにいる者全てが確かに取った。書面も後で正式にしたためる。お前は自らの生をもはや自分の為に生きることは許されぬ。良いのだな?」

「これが、私がこれからしたいことの全てです。自分自身の為に私はそうします」

 ふん、と鼻で笑った父は身をひるがえした。

「では、お前の全てをもってあかしてゆくがいい」

「言われなくてもそうします」


 背に言い返したのにはもう全く反応せず、当主はいまだ不服そうなしもべたちを連れて去っていく。あとには獅徇と残った使者が一人だけ。まだ何かあるのかと身構えると、その者は面を顎下から引き剥がし、喜色を浮かべた顔で近づいた。


「我が息子ながら格好良かったぞ。しかしほんに大それたことを言ったものだ」

 腰に手を当てて頭を撫でてきた閼氏に紅珥は憮然とした。

「なにも間違ったことは言っておりません」

「分かっているよ。ただ、言ったことはやり通せ。当主はお前をすでに無力な子どもとは見ていない。誓いをたがえたならば追放される覚悟は出来ているな?」

「もちろんです」

 語気の強い返事に母は爽やかに笑った。獅徇を振り返る。

「世話をかけてすまない」

「いいえ。五君の啖呵たんかを切るお姿を初めて見たので驚きました」

「こいつは実は短気だぞ」


 その子を休ませてやれ、と言って息子を少女と共に出て行かせた。獅徇は閼氏に囁く。


「本当によろしかったのですか。紅珥さまに次期当主の座が巡ってくる可能性は低いのでは?」

「確かにまだ残っている義兄あにたちは皆優秀揃いだからな。……どうなるか私には分からない。しかし今回のことで、あれの道筋は定まった。聞得が安定するのも早いだろう」

 獅徇は首を傾げる。「というと?」

「聞得の調節というのは、いかに自分を俯瞰ふかんして操れるかがミソなんだ。あいつはいつも当主の息子と言われるのを嫌がる節があった。しかしそれを受け入れて自分が何者になるのかを決めた今、無意識でも力を制御し、支配しようとするだろう。聞得の力よりも常に自我の意識を優位に保てればそれは最も強力な武具になる」

 腕を組み、少し寂しげに笑った。

「どんな形にせよ己の立ち位置を明確にしたんだ。なかなかあの歳で出来ることじゃない。……これから、荊棘いばらの道を歩んでいかなくてはならない」

「諸国の敵と、自分の民に挟まれた苦難の道……」

「予想外の顛末てんまつにはなったが、結果は上々だな。母としては複雑だが」

 獅徇は閼氏の手を取った。

「大丈夫でございますよ。私どもがついております。それに、紅珥さまは心がお強い。もしかすれば本当に一族を変えてしまうやも」

 閼氏はその希望を束の間思い浮かべ、頷いた。とはいえ、自分たちとて成しきれなかったものは次代へと繋ぐ為のいしずえとなるよう、まだやるべきことは満載している。



 閼氏は辞去しながら獅徇の肩を叩いた。

「また酒でも持ってくるよ」

 それと、と照れ臭そうに振り向く。

「私も本当に感謝している、獅徇。本来ならば一番可愛い時分の我が子を取り上げられて恨めしいだろうに、私に任せてくれたのは今でもとても申し訳ないと思っている。すまない、そしてありがとう」

 獅徇のほうは微笑み返し本心から首を振り、昨日まみえた立派な我が子の姿を思い返す。

「育ててくださったのがあなたで良かった。あのように健やかにお育ちになられたお姿を見れて、私は感無量なのです」

「そう言ってもらえたと当主にも伝えておくよ」


 では息子をよろしく、と颯爽と出て行く後姿に再び笑みつつ頭を下げ、さて、と息をついた。ここからが踏ん張りどころである。全ての手続きと商談を問題なく完了させるのは自分にかかっている。当主に託されたのだ、必ず成功させてみせる。そう誓って気合いを入れ、閼氏の真似をして腰に手を当ててみせた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る