第17話 新しい女官
ソフィア・ウル・シエルの葬儀はしめやかに、そして密やかに行われた。
参加者は三人だけだった。
王妹であるアレクシアと聖騎士オーフィス、女官長であるバーサだ。
シェルマータ国は、大臣の一人が、王妹アレクシア・L・クロスティアーネ・シェルマータの暗殺を『四門』へ依頼したことを発表した。
それは国の恥部となることだが、アレクシアの兄である王は、それをあえて国民に伝えてみせた。
そして、それの犠牲者として、姫つきの女官が亡くなったことも付け加えた。
そのため王宮の敷地内での葬儀が許されたのだ。
アレクシアとバーサが、彼の納められている棺に、花を手向けた。
彼女が最後だった。
いつもの白い騎士服ではなく、黒い喪服に身をつつみ、棺の前に立つ。脳裏には、ただ思い出だけがよぎっていた。
いつも笑っているヤツだった。怒らすとデザート抜きと言って、容赦のないことをしてくれた。結局勝負には一度も勝てずに、勝ち逃げをされてしまった。食事はみんなで、いただきます、と唱和するものだ、と頑なだった。何度注意しても、オミちゃん、と呼ぶことをやめなかった。
あいつがいた一ヶ月間は、たえず騒がしく、喧しくて、間違いなく、ここで暮らすようになって、一番たのしい時間だった。
すべてが、走馬灯のように過ぎ去った。
それは、もう二度と戻ってこない日々。
棺を見下ろす。ここにソフィアが納められている。
オーフィスは、花を一輪、捧げた。
視界の端に、金色に輝くものが見えた。
それは、彼のしていた鈴をかたどった耳飾りだった。それを彼女はあえて身につけていた。ソフィアの形見として。彼のことを決して忘れないという思いを込めて。
「ソフィア……」
そうして、オーフィスは彼の名前を呼んだ。もう、返事が返ってこないことを知っているはずのに、そうせずには、いられないというように。ただ何度も、何度も、呼びつづけた。どこからかひょっこりと彼が現れて、オミちゃん、と呼んでくれるような気がして。そんなことがあるはずもないのにと自嘲しながらも、いつまでも、いつまでも、彼の名前を呼びつづけた。
「ソフィア……」
最後に、棺に火をいれた。
それは、シェルマータが誇る聖なる浄化の火。死者の罪を洗い流し、神のもとへと導く尊き炎だ。
これも特別に使用する許可がでた。
平民に対する扱いとしては破格である。
白く清らかな炎につつまれて、ソフィアの納められた棺は、花ともども、ゆっくりと灰となる。白い煙が天へと昇っていった。
オーフィスは、ただそれを見あげていた。
もし、神がいるのなら、もし聖なる炎が、本当に彼を導いてくれるのなら、ソフィアを天国へ連れていってほしい。生きているあいだに辛いことしかなかったあいつに、許されることなら、死後の安らぎをあたえてほしい。
そう祈っていた。
それから一週間がたった。
ソフィアの墓は、離宮の裏庭につくられた。
簡素な石造りのものだ。
あれから、毎日ここに立つことが、オーフィスの新しい日課となっていた。
彼女は、墓の前に立つと、その墓石を愛しげになでた。
そこに、背後から草を掻き分ける音が聞こえた。それを見るまでもなく、気配からアレクシアとデュランだということがわかった。一週間ぶりに森から出てきたのだ。
「なにをしているのだ、オーフィス?」
アレクシアはソフィアが死んだからといって、とくになにを変えるでもなく、悲しんでいるわけでもなかった。葬儀が終わると、すぐに黒い喪服を脱ぎ捨て、姿を消してしまった。たぶん慣れないことをしてストレスが溜まったぶんを森で発散でもしているのだろうと思っていたが、案の定だったようだ。
「ソフィアに、花を……」
「そこに、ソフィアはいないぞ」
一瞬、なにを言われたのか理解できなかった。
「なん、ですって?」
そう訊き返すと、アレクシアは世間話でもするように、気楽に返してきた。
「そこにソフィアはいない。奴の骨は葬儀の後すぐに『四門』の草に回収されている。埋められたのは空の棺だ」
アレクシアは墓の前に来ると、その墓石をぽんぽんと叩いた。
「だからこの下には、なにもはいっていない。これはただの石も同然だ」
その言葉に、オーフィスは黙り込んだ。拳が知らず知らずにうちに強く握りこまれていて、ぎちぎちっ、と音をたてて軋んでいた。あまりの怒りに意識が赤く塗り潰されていき、胸を掻き毟りたくなるような衝動がその身を焼いた。
「では、『四門』は、あいつから家族を奪い、故郷を奪い、友を奪い、命まで奪ったくせに……ッ、死体すら残さずに、始末すると言うのですか……ッッ!」
それは沸騰寸前の声だった。
それを、意志の力で無理やり抑えつけているような、鬼気迫るような昏い声色だった。
アレクシアはその言葉を聞いて、鼻を鳴らした。
「始末するのではない。──始末したんだよ」
震える手で、鈴の耳飾りを握りこんだ。
彼女は怒りに眼の前が真っ白になっていた。
もし許されるのなら、今すぐここを飛びだして、『四門』の暗殺者どもを皆殺しにしてやりたかった。
怒りに身を震わせる彼女を見て、アレクシアが嘆息した。そしてデュランの首をやさしくなでる。
「今日は、新しい女官が来る日だな」
──あいつ以外の女官などいらない!
それを言わないために、どれだけの自制心が必要だっただろう。オーフィスは黙り込み、奥歯を軋ませただけだった。
「こちらにいらっしゃったのですか」
そこに女官長バーサ・ベティーナの声がした。
「ああ」
アレクシアがそれに答えた。オーフィスはそれにも背をむけたままだった。
「紹介してもらおうか」
はい、と応じたのは、鈴をころがすような涼やかな声だった。
「ソフィア・ウル・シエルと言います。よろしくお願いしますね、姫さま。デューくんも」
その軽薄な口調に、オーフィスは振り返った。
女官長が、なんですか! その口のききかたは、無礼ですよ! と慌てて窘めている。申し訳ありません彼女と一緒の名前だったもので、姫さまたちがお喜びになるかと思いお連れしたのですが、とんだ粗相をいたしました。
その言葉のほとんどは、オーフィスの耳にはいっていなかった。
ただ、呆然としたように、その女官を見つめている。
その容姿は儚げで、髪は長く銀色に流れている。その顔には邪気のない笑みが浮かんでいた。
「よろしくね、──オミちゃん」
その言葉に悲鳴のような叱責が、彼女──否、彼をうった。
それをことごとくいなしながら、彼が笑っている。
オーフィスは動けなかった。声をかけた瞬間、触れた瞬間に、消えてしまうんじゃないかと、怯えるように、ただ、じっとしていた。
「バーサ、あとはいいから戻れ」
それをアレクシアが宥め、なんとか追い返した。
オーフィスは彼女が帰ったことすら気づかなかった。
「なんで……?」
やっとでてきた言葉はそれだけだった。
それにソフィアは笑って答えた。
「約束したからね。──絶対に死なないって」
その言葉を聞いた瞬間、感情が溢れてとまらなかった。
オーフィスは涙を流しながら、ソフィアの胸に飛びこんだ。
それをやわらかく受けとめられながら、オーフィスはその首に抱きつき、あまい──お菓子のような匂いがする髪に顔をうずめた。
ソフィアの匂いだ。彼がここにいる。生きて私のそばにいる。そのことに、オーフィスはただ泣いた。
彼女の背に、彼の手がまわされる。
「オミちゃんがいたから、がんばれたんだよ」
その声がやさしく耳朶をうった。
その言葉にさらに涙が、ぼろぼろとこぼれ、とまらなかった。もう絶対離すものかと思った。絶対に失ってなるものかと、ただただその手に力をこめた。
どれくらいそうしていただろう。やっと落ち着く余裕ができたオーフィスは彼の顔を見ながら尋ねた。
「なんで、どうやって生き返ったんだ?」
それに少し答えにくそうに、ソフィアは苦笑した。
そこにアレクシアが真相を告げた。
「最初から死んでなかったんだよ。お前が見た死体は、わらが用意した代わりの死体だ。『四門』に回収させるために必要だったからな」
「は……?」
よく意味が理解できなかった。
「いつ、そんなものを……?」
それを訊くのがやっとだった。
「わらが離宮を出るときに用意した。本当は、別の場所で、刺客を迎えうって、相打ちにでも見せかけるつもりだったんだが」
「だって、オミちゃんが、絶対に出ていかせないって言うんだもの」
「おかしいと思って、戻ってみれば、なぜかソフィアは死にかけておるしの。用意した死体に認識票と耳飾をつけて手に短剣をもたせて、急いで医者に見せに行ったわ。それもわざわざ足がつかんように闇医者まで足を運んだぞ」
「へ?」
ただ混乱の極みだった。
相打ちに見せかけるつもりだった? なにと? 『四門』の刺客と? なんで?
それでも疑問は口をでた。
「か、代わりの死体って、そんなに簡単に手にはいるものなのですか?」
「まあ、国家単位の力があれば容易いな。それを利用するために、こいつは亡命を申し出たのだからな」
アレクシアはことなげもなく答える。ソフィアを見ると少し困ったような顔で笑っていた。
あぁ、やっと理解できた。
要するに、最初からそのつもりだったのだ。
ソフィアは『四門』の刺客と戦い、死を偽装する。代わりの死体を姫が用意して、それを『四門』が回収する。
わざわざ国王が女官ひとり犠牲になった話に触れ、敷地内での葬儀や、本来高位貴族に許されない浄化の火の使用を許した。
なぜおかしいと思わなかったのだろう。『四門』が幻魔──ソフィアが死んだと誤認させるためのものだったのに。
そんなわけで、──死んだと認識させて、『四門』から抜けだすという、当初の予定通りにことが進んだというわけだ。
理解した。そう、理解はしたのだが、──だったら、最初からそう言っておいて欲しかった。そうすれば、一週間も泣き伏せったりなどしなかった。そう、決して、しなった。私はこんな茶番につき合わされて、あんなにも、みっともないところを見せていたというわけか。
このとき彼女は、確かに自分の中でなにかがキレたのがわかった。
オーフィスは、ソフィアから離れると、腰にさしてある長大剣トゥヴァイハンダーを、すらりと抜き放った。陽光が鋭く反射して、やけに剣呑な光を宿しているように見える。
「あ、あの、オミちゃん?」
ソフィアが恐れ戦くように後退した。
「剣を振りかぶって、どうするつもりなの……?」
オーフィスは、その問いに答えることなく、ただ自分の言いたいことだけを口にした。すでに問答は無用だった。
「言い残すことがあれば聞くぞ……?」
「うぇ? ちょっ、ちょっと待──って、うっきゃあああああああああああああああああああああっっ!」
それからしばらく、魔界に一番近いとされるシュラトーの森では、なにかを破砕するような音、痛々しい悲鳴、そして、それらすべてをうわまる怒号が響きわたったという。
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