第15話 負けられない戦い
森の中を疾走していると、すぐそれに気がついた。
おびただしい血の匂いが風に漂っていた。それに誘われるように、オーフィスは足をはやめる。視界はすぐにひらけた。
森の木々は、切り開かれ、その合間合間に、多くの魔獣が倒れていた。どれも原形を留めていない。首がなかったり、上半身と下半身がわかれていたりしている。どれも一太刀で葬られていた。
その技量の凄まじさに、オーフィスは身体の芯から震えた。
魔獣の領域であるこの地を、人の身である列空が、我がもの顔で蹂躙している。
それでも、オーフィスは愛剣トゥヴァイハンダーをもつ手に力を込めると、彼の進路をふさぐように立ちはだかった。
斬りつけるような鋭く冷たい殺気が、オーフィスにむけられる。背筋に汗が流れていることを自覚した。
「幻魔はどこだ」
その声は、冴え冴えとした刃のようで、それだけで斬られたような錯覚をいだいた。
それでも、オーフィスは笑ってみせた。
「お前が知る必要はない」
オーフィスは長大な剣をかつぐように構えた。長年ともに戦った愛剣トゥヴァイハンダー。それをもつ自分に、自信と自負をたぎらせながら口をひらく。
「お前はここで、私に倒されるのだからな!」
その言葉に列空が口の端をゆがめた。嘲笑ったのだ。
「貴様には無理だ」
列空が刀の柄に手をそえる。鞘走りから生じる不可視の刃。間合いは圧倒的にあちらが有利だ。
だが、攻撃力だけなら、オーフィスも負けてはいない。間合いにはいることさえできれば、勝機はある。
要はさっきと同じなのだ。鞘走りし、納刀するまでに斬る。それだけだ。
オーフィスはじりじりと列空が攻撃する機をうかがう。取るのは、後の先。意識のすべてを相手の動きに集中する。少しでもヘマをすればそこで終わりだ。
──閃光がはしった。
オーフィスは闘争本能が命じるままに地を蹴る。
頬が切り裂かれ、鮮血が宙を彩る。それでもオーフィスは足をとめなかった。間合いを縮められるだけ縮める。
さらに鞘鳴りの音がする。
その前に、身体は横に跳んでいる。音より迅く刀がはしるので、音を聞いてから動いているのでは遅すぎるのだ。いままでの戦闘経験と、勘だけをたよりに、真空の刃を避け、間合いを詰めていく。肩口を斬られ、血が舞った。
さらに連続した鞘鳴りが空間を揺らす。
その度に鮮血が舞い散り、空気が赤く染まる。
それでも、オーフィスはただひたすらに前を目指していた。
次々と襲いくる不可視の刃の間隙を縫うように、オーフィスは身体を踊らす。
急加速と急停止を繰り返し、意識がもっていかれそうなほどの慣性を無視して、鋭角に方向転換する。そして、停止状態からいっきに急加速する。その驚異的な加速力と、奇跡のような歩行法と体捌き、それらがオーフィスの命綱だった。踏み込みひとつ、避ける角度が少し違うだけでも、即座に死の刃がその身に降りかかる。それは命をとした死の舞踏であった。
だが、それでも、まだたりない。まだ届かない。
ようやく、間合いを半分まで縮めたぐらいだ。
すでにオーフィスの身体は血にまみれていた。そこかしこに傷がある。だが、致命傷や、動きを阻害する傷はひとつも負っていない。
「はあっ……はあっ……」
荒げた息がこぼれた。極度の集中が招いた疲労だった。
それでも、視線はまっすぐ敵に。その意志は決して折れてはいなかった。
やっと、半分。だが、ここまで来れば、あと一足で間合いを詰めてみせる。
そこに隙さえあれば、それが可能な──瞬足歩行が、オーフィスにはあるのだ。
彼女の背後では、伐採したかのように、木々が倒れていた。
「ずいぶんな切れ味だな」
「当然だ。オレの真空刃に斬れぬものなど存在しないのだからな」
それにオーフィスは片方の唇をつりあげることで応じた。
「ほう、私はまだ生きているぞ。それとも──」
そして、嘲笑うように言い放った。
「──こんな薄皮一枚裂いたぐらいで、斬ったつもりなのか?」
これは、彼の矜持に揺るがす一言だった。
列空から凄絶な鬼気が撒き散らされた。空間が圧迫され、空気が硬質化していく。それに肌が粟立つような怖気を感じる。魔界に一番近い森が、本当の魔界のように雰囲気を変質させていく。
そうとう激昂しているらしい。
オーフィスは全身を震わした。背筋へ這い蠢く怖気をとめることができなかった。それでも、──ふてぶてしく笑ってみせた。
怒りは視界を狭くする。安易に激情にかられるものじゃないよ──か、そう彼に言われた時のことを思い出しながら、オーフィスはトゥヴァイハンダーを背にかつぐように構えた。
そう、彼女はわざと列空を挑発したのだ。見えざる刃の軌道を狭めるために。真空に絶大な自信をもつ奴は、その自信ゆえに真正面からくるだろう。
それを、その自信ごと真っ向から打ち砕く。奴の納刀、抜刀速度に隙を見いだせないなら、無理やりにでも抉じ開けるのみだ。
列空は前傾に身体を倒し、右足を大きく前にだした。これまで以上の破壊力をもつ真空を放つつもりらしい。
だが、そのぶん、いままでより動作が大きく、機を察しやすい。
「──散れ……ッ!」
──ここだっ!
列空が刀を鞘走らせると同時に、オーフィスは踏み込み──足元の地面が弾けとんだ。文字通り、一足で、間合いを詰める。瞬間移動じみた驚異的な速度に、眼の前のと空気が一気に圧縮された。
心のなかには、ソフィアの言葉があった。
オミちゃんなら、──勝てるよ。
その言葉に背中を押されるように、剣をもつ手に力を込めた。ぎちりっ、と手のなかの柄が軋んだ音をたてた。
「──ぁあああああああっっ!」
そして、眼の前のすべてを薙ぎ払うかのように、長大剣トゥヴァイハンダーを振り下ろした。
その剣身は遠心力を加えられ、最大限の威力をもって、──真空の刃を、断ち斬った。
砕かれた空気の断層が弾けとび、オーフィスの全身に多くの裂傷を刻んだ。血が霧のように後ろに流れる。
それでも、──真空刃を破ったのだ。
「なに……ッ?」
列空の驚愕の声が聞こえた。唖然としたように、刀を振りきった格好で固まっている。
だが、オーフィスは動きをとめなかった。そのまま踏みだし、さらに加速する。
列空は、自らの技に絶大な自信を持っているから、それを破られたとき一瞬動きがとまった。
オーフィスは、ソフィアの言葉を信じていたから、とまらなかった。
「これで──」
そのまま長大剣を振るった。
「──終わりだァっ!」
トゥヴァイハンダーが銀の弧をえがき、列空の脇腹から肩口までを斬りあげた。
血の線が斜めにはしり、ずるりっ、と上半身が滑り落ちる。
その顔は信じられないものを見る表情のまま絶命していた。
加速の勢いに踏ん張りきれず、オーフィスはその身を投げだすように地に倒れた。受身もとれず、叩きつけられたため、傷口に響き、かなり痛かった。
それでも、その顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「勝ったぞ……。ソフィア──」
その呟きは、闇夜にとけて消えた。
それでも、その言葉は、彼に届いていると信じた。
冴え冴えとした月だけが、すべてを見つめていた。
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