第13話 哀しいウソ


 ソフィアがここに残るとなれば、やることは決まっていた。


 刺客を出迎える準備だ。

 最強者であるアレクシア姫がいない今が好機と──あの抜き身の刃みたいな殺気を放つ暗殺者──列空がまた刺客として現れるだろう。おそらく今晩にも。


 だがら、ソフィアの提案で、城や、裏庭などに罠を仕掛けることにした。オーフィスとしては真正面からやりあっても負ける気はしなかったが、ソフィアが頑として譲らなかった。できないのなら出て行くと言い出す始末だった。ここでまたあの議論を繰り返すつもりもなかったため、素直に彼の提案通りにした。


 その準備が終わると、交替で仮眠をとり、徹夜明けの疲れをとった。


 そして、黄昏時──

 二人は、早めの晩御飯にすることにした。腹が減っては、戦はできぬということである。


 ソフィアが腕によりをかけ、ご馳走をつくってくれた。

 ──最後の晩餐だよ、と縁起でもないことをぬかすので、一発殴っておいた。


「で、冗談はそれぐらいにしておいて」


「冗談に手がでるのはよくないよぉ、オミちゃん」


「うるさい。変なこと言うからだ──と、また話がずれた」


 オーフィスは咳払いをひとつすると、さりげなさを装って、口をひらいた。


「それで、ひとつ訊きたいのだが」


「ん、なぁに?」


 ソフィアはパンをちぎりながら、首をかしげた。


「いやな、お前の友達が母親を殺したことで、記憶を取り戻して逃げたのだったら、お前はいつ記憶を取り戻して、組織を抜けようと思ったんだ?」


 さりげなさを装い、直接顔を見ないようにしながらも、ちらちらと視線がソフィアの顔にいってしまう。彼はことさら表情を変えるでもなく、笑ったままこう答えた。


「ボク最初から記憶失ってなかったんだ。だから昔からずっと組織を抜けたいと思ってたよ」


「はァ?」


 オーフィスは思わず彼の顔を直視してまじまじと見てしまった。


「だって、お前、名前も覚えていないって」


「うん、ごめん。あれ、ウソ」


 ソフィアは悪戯っぽく舌をだした。もちろんそんなことで誤魔化されるはずもなく、オーフィスは盛大に怒った。


「ふざけるなっ! あれでお前を傷つけてしまったかも、ってどれだけ心配したか!」


「心配、してくれたんだ?」


 ソフィアがうれしそうに微笑んだ。それに、うぅっと詰まる。


「い、いや、いまのは間違いだ。心配など微塵もするものか!」


 オーフィスは顔を赤くしてそう怒鳴った。


「いや、ごめんね。そんなに怒らないでよ。ほら、僕のぶんのプリンもあげるからさ」


 そう言って、プリンがのった皿をオーフィスの前まで滑らせてくる。毎回同じ手段で誤魔化されると思うなよ、とそう思いつつ、視線はすでに。ぷるぷる揺れるプリンに釘付けだった。


「今日は調理法と材料にこだわった、なめらかさが決め手のプリンなんだよ。口当たりがなんとも言えず、クリィミィ~だよぉ」


 そんな誘惑の言葉に、思わず、ごくりっ、と咽がなる。


「ま、まあ、今日のところは許してやる。で、記憶があるなら、お前は暗殺者になる前はなにをやっていたんだ?」


「なにをやっていたんだって、暗殺者になる前って、ボク小さな子供だよ。とっても愛らしいくてね、お姉様方のアイドルだったよ」


「ああ、そうか」


 オーフィスはしらけたように、そっぽを向いた。


「ああ、ひどいなぁ、信じてないの?」


 オーフィスはなにも答えなかった。ソフィアは気にしなかったのか、自分がどれだけ可愛かったのかを力説していた。

 そして、それは自分の故郷がいかに素晴しいところかに移っていった。


「ボクのいた里はね、夢幻の里っていう幻術師の住まうところだったんだよ。いろんなところから依頼を受けてたくさんのことをして、それを収入源にして暮らしていたんだ。ボクは可愛らしさだけじゃなく、幻術師としても才能があったからね、将来を有望されてたんだよ。もうほんとにモテモテだったんだからね」


「はいはい」


 オーフィスは適当に流しながらも、その話に興味をもった。


「ボクには仲のいい幼馴染がいてね。まあ、里の子供全員が仲間だったから、みんな幼馴染なんだけど、とくに仲のいい娘がいたんだ。その娘はボクよりひとつ年上で、いつも一緒に遊んでた。あたしのほうがお姉さんなんだからね、っていつも偉ぶってて、それでいつもボクを護ってくれた」


 その視線は懐かしむように細められ、窓の外を眺めていた。そこには銀色に輝く月が浮かんでいた。


「そう、あのときもそうだったな。たぶん、夢幻の人たちを邪魔に思うどっかの国が『四門』に依頼したんだろうね、ぜんぶ憶えているよ。あのときも今日みたいな月夜だった。何人もの暗殺者が里を襲ってきたんだ。そこには、あの列空もいたよ。里の人たちはひとたまりもなかった。どれだけ抵抗しても無駄だった。いとも簡単に殺されていったよ。その娘はいつもみたいに、あたしがお姉ちゃんだからって、あたしがいるから大丈夫だって言ってた。ずっとボクの手をひいて逃げてくれた。そして、ボクを護って、殺された。ボクのせいで、死んだんだ。それなのに、ボクは──その娘のために泣くことすら、できないんだ」


 ソフィアは月を眺めたまま言った。


「ボクはね、記憶は失くさなかったけど、かわりに感情を失くしちゃったんだ。だから、そのことを哀しいとも、思えないんだよ」


 彼がこちらを向いた。その眼には涙も浮いておらず、いつもどおりに笑っていた。


 オーフィスはわかったような気がした。この笑みは仮面なのだ。感情を表すことができないから絶えず笑っている。それは楽しいわけじゃない、ただ、他にどんな表情をしていいかわからないのだ。


 恐怖がないから、デュランのような魔獣の王を前にしても笑っていられる。


 喜怒哀楽がないから、感情的に言われると、戸惑ってしまう。


 それは、相手がなにを思っているか、わからないから。どうしていいか、わからないから。

 だからこんな哀しいことを話しても、笑っていられるのだ。


 それでも、感情をすべて失くなってしまったわけじゃないと、そう思った。

 もし本当に感情がないなら、組織を抜けようなんて思わない。

 もし本当に感情がないなら、友達を殺したからといって、彼の本当の名前も知らなかったなどと悔やみはしない。

 もし本当に感情がないなら、昔のことをこんなに切なげに語ったりしない。


 彼はただ感情を心の奥底に隠してしまっているだけだ。そうしないと生きてこれなかったから。そうしないと人を殺すこともできなかったから。


 そのことに、オーフィスはただ涙を流した。


「なんで、オミちゃんが泣くの?」


「哀しいから。それなのにお前が泣かないから、私が、かわりに泣くんだ……っ」


 ソフィアは少し困ったように笑いながら、首をかしげた。どうしていいかわからないように。


 オーフィスは涙をぬぐって顔をあげた。


「なあ、ソフィア。お前の本当の名前はなんというのだ?」


 ソフィアは微笑し、そして答えた。


「これに生き残ることができたら、教えてあげるよ。──オミちゃん」


 意味ありげな笑みをオーフィスのむけると、彼はナイフとフォークをテーブルに置いた。


 それで、オーフィスにもわかった。


 ──敵が来たのだ。


 窓から、外をのぞくと、夜の帳がおり、冴え冴えとした月だけが変わらずそこにあった。

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