第12話 間違った選択


 それから、オーフィスは『四門』の刺客の死体──バラバラになった腕や足、内臓など──を森にばら撒き、魔獣どものエサとして始末し、ソフィアが部屋の血糊を手早く拭っていった。しばらく血臭は消えないだろうが仕方ない。姫さまにしばらく我慢してもらおう。どうせ、ほとんど離宮にいないのだし、そのうち臭いも消えるだろう。


「そっちは終わった、オミちゃん?」


 いつの間にか、傷の手当てをして、ソフィアはボロボロの女官服も着替えていた。


「ああ、こんなもんだろう」


 それらの片づけが一息つくと、アレクシアが全員を部屋に集めた。

 そして一言。


「とりあえずわらは、これからしばらく身を隠すので留守を頼む」


「それは、森の中に、ということですか?」


 それならば、普段とあまり変わらないが、とオーフィスが考えていると、アレクシアが首を横にふって否定した。


「いや、これ以上暗殺者を送られるのもうざったいのでな、わらを殺すよう言った依頼者を始末してくる」


「は? できるのですか、そんなこと?」


 オーフィスが素で尋ねると、アレクシアは獰猛に笑った。


「ああ、内戦中も一度、『四門』の暗殺者に狙われたことがあってな。いくら返り討ちにしても、しつこいぐらい刺客を送ってくるので、頭にきて依頼主を調べて、殺してやったことがある」


 オーフィスは眼を丸くした。初耳である。


「そうしたら、金を払うやつがいなくなったからか、ぱたりと刺客がやんでな」


「へえ、すごいですね。『四門』に命を狙われて生き残るなんて、歴史に残りますよ」


「今回もそうなる。まあ、その当てもあることだし、なァ」


 アレクシアが意味ありげに、ソフィアを横眼で見た。彼は表情を変えるでもなく、ただ笑っていた。


「手土産が役にたったようでよかったです」


「ああ、おおいに役にたった。というわけで、少しでてくる」


 そう言ったそばから、彼女はデュランをともない離宮をあとにした。出ていくときぐらい扉から行けばいいものを、なぜ窓から行くのだろう、と内心首をかしげたが、オーフィスはこれで暗殺の問題は時期に解決するだろうと安心していた。


「で、手土産とはなんのことだ?」


「ああ、ボクが亡命するときのために用意していた依頼主の情報。いままで動かなかったっていうことは裏でもとってたんじゃないかな?」


「そうか」


 そういえば、亡命した翌日の食卓で手土産がどうのこうのと言っていた気がする。暗殺者の亡命騒ぎがあまりにも非常識だったのでそれについて言及するのに手一杯で、それどころではなかったが。


 そこに、ソフィアが立ちあがり、伸びをしながら言った。


「じゃあ、ボクもそろそろ出ていくね」


「はァ?」


 オーフィスはなにを言われたのか一瞬理解できなかった。


「な、なにを言っているのだおまえは? おまえはここに亡命したのだろうが。な、なのになぜ出ていく必要があるのだ……?」


 ソフィアは苦笑して肩をすくめた。


「うん。当初の予定では出ていく必要もなかったんだけど、よりにもよって『列空』が来ちゃったからね。計画の大部分がおじゃんになっちゃった」


「け、計画?」


「うん。組織を抜けるために、これでも色々と工夫してきたんだよ。組織では誰もボクの本当の姿を知られないように常に幻術をつかって姿を変えていたしね。それもいまことのとき、亡命先で死んだと見せかけるための下準備だったんだけど。『心眼』使いである列空は気配で人を区別するからね。ボクが生きていることがすっかりバレちゃったし、生きているとなれば、追っ手がわんさかとやって来るし。そうなると一箇所にじっとはしてられないからね、早めに逃げないと。うん、それじゃあ、そういうことで。いままでありがとね。オミちゃん」


 かるい別れの挨拶を残して、ソフィアはさっさと扉にむけて歩きだした。オーフィスはすぐに立ちあがり、彼の手をとって止めていた。


「こ、ここを出て、どうするつもりなんだ?」


「どうしようもないよ。裏切りには死を。まあ、それを覚悟して『四門』を抜けたわけだしね」


 大したことじゃない、とでも言うようにソフィアは答えた。そのままオーフィスの手をはずして出て行こうとする。だが彼女は決して手を離さなかった。


「こ、ここにいればいい! ここだったら、刺客が来ても、私が倒すことができるし、姫さまだっている! だから──」


「──ダメだよ。組織は絶対に裏切り者を許しはしない。ボクを殺すまで、ずっと暗殺者が送り込まれてくるよ。それこそ朝も晩も、食事中や、用をたしているときも、寝ているときも関係なく、ヤツ等は襲ってくる。気の休まるときなんてないぐらいに、ね。だから姫さまが『四門』に狙われて生き残ったっていうのは本当にすごいことなんだよ」


「だ、だがっ!」


「それにボクの場合は、姫さまみたいに依頼主を殺せば事が済むってわけじゃないしね」


 だから生き残る方法はないんだ、とばかりにソフィアは話を打ち切り、今度こそオーフィスの腕をはずした。

 そのまま背中をむけ、歩み去ろうとしている。


 オーフィスは制止の言葉を口にしようとするのだが、声がでなかった。ソフィアの背中がそれらを拒否していた。


「…………っ!」


 どうしていいかわからないまま、オーフィスは、ソフィアの背中を見ていた。


 そして彼が扉をくぐろうとした瞬間──なにかに突き動かされるように、オーフィスは長大剣トゥヴァイハンダーを抜き、彼に斬りかかっていた。

 鋭い斬撃が放たれ、ソフィアを切り裂こうとする。


 ソフィアはそう動くのが当然とばかりに横に跳び、オーフィスの剣を避けていた。


 長大剣は石畳の床を切り裂き、その剣身を深々と石畳の床に埋めた。

 オーフィスは俯きながら、その剣先を見つめていた。


「……あの、オミちゃん。いくらなんでも別れの挨拶に後ろから斬りかかるのは、どうかなぁって思うんだけど」


 さすがのソフィアも苦笑を隠さずにそう呟いていた。


「……舐……な……」


 オーフィスは唸るようにそう言った。


「え?」


 彼女の言葉を聞き取れなかったソフィアが首をかしげながら顔を近づけた。それの襟首をつかまえて、思いっきり声を荒げてみせた。


「私を舐めるなと言っているんだっ! 暗殺者がなんだ! そんなものいくら来ようと、私が退けてみせる! お前ひとりぐらいは、私が護ってみせる!」


 その言葉をきいたソフィアは驚いたように眼をまるくしていた。その眼を睨みつけるようにしながら、オーフィスはさらに言葉をつむぐ。


「だから、絶対に出て行かせたりはしないぞ!」


 彼はなにも言わなかった。ただ唖然としてオーフィスのことを見つめている。彼女は眼をそらしたら負けだとばかりに、それに睨みつけていた。

 ソフィアの大きな青灰色の瞳と、オーフィスの切れ長な黒眼の視線が、絡みあったかのように離れない。


 最初に、根負けしたように口をひらいたのは、ソフィアだった。


「で、でもね、オミちゃん──」


「でもも、オミちゃんもない! お前が言う言葉は、ここにいます、の一言だけだ!」


 そ、そんなー、と途方にくれたようにソフィアが肩を落とした。オーフィスはまだ彼を睨みつけていた。ここにいる、と言うまで、絶対に視線をそらすつもりはなかった。


 それに、ソフィアはため息をつくと、さらにこちらの説得を試みた。


「あのね、オミちゃん。さっきも言ったけど、『四門』は絶対に裏切りを許したりしない。組織ができて以来、一人たりとも生きて組織を抜けたものはいないんだ。ボク自身、刺客として、裏切り者を殺したこともあるくらいなんだよ」


「それで?」


「ボクが殺した人は当代最強の暗殺者の一人だった。無類の強さを誇り、純粋な戦闘力では列空を超えていたかもしれない。それでも『四門』は執拗に刺客を送り続け、最後にはボクに殺された。彼は、ボクの何倍も強かったのにね……」


 ソフィアはその当時のことを思いだしたのか、窓から月を眺めている。


「そいつとは、仲がよかったのか?」


「うん、そうだね。よかったと思う。そう……友達といってもいいぐらいに。でも殺すしかなかったんだ。彼は、疑問をもってしまったから、人を──殺すことに」


 彼は、とつとつと続ける。


「それはある貴族の女性の暗殺に端を発していたんだ。彼は依頼でとある婦人を殺したんだよ、それが──自分の母親とも知らずにね。彼は自らの母親をその手にかけてしまった。皮肉なことだよね、その子は母親のことを忘れてしまっても、彼女が自分の子を忘れることはなかったんだ。その子がどんなに成長していても、ね。そして、その愛ゆえに、彼は思いだしてしまった。そして、狂い、暴走した。──それをボクが殺したんだ」


 ソフィアは笑っていた。いつもと変わらずに、それでもオーフィスには、どこか泣いているようにも見えた。


「ボクたちは、友達だったはずなのにね、ボクは彼の、本当の名前さえ、知らないんだ」


 オーフィスにはかける言葉が見つからなかった。ただ、『四門』が許せないと思った。自らの母親を殺させるなど、それが狂ったからといって、友達に殺させるなど、人のすることとは思えない。


「だから、オミちゃんは、ボクたちに関わっちゃいけない。そんな世界には関わっちゃいけないんだよ」


 ソフィアはただそう言った。

 彼は『四門』がどれだけ非人道的な組織で、どれだけ手段を選ばないのかを、伝えたかったのかもしれない。だから自分を黙って出ていかせてくれ、と言いたかったのかもしれない。


 だが、彼女には逆効果だった。

 そこまで聞いておいて、はいそうですか、と追いだせるわけがない。それができると思っているのなら、オーフィスに対する最大の侮辱である。

 オーフィスは、さらに襟首をつかむ手を引きながら、さらに視線に力を込めた。


「それで、その話がどうやって、──ここにいます、という言葉につながるのだ? 聞いていなかったのか? 私はそれ以外の言葉を受けつけるつもりは微塵もないぞ……ッ」


「え……っとぉ……」


 彼はまさかここまで話して、さらに引きとめられるとは思っていなかったようだ。あきらかに戸惑っている。


「あの、でも、ね……」


「でも──、なんだ?」


 それでもソフィアは抗弁しようとしたが、オーフィスの視線がそれをさせなかった。さらに苛烈に彼を責めたてる。


「あァうぅ……」


 ソフィアは呻き、そして、あきらめるように、それでも言わずにはいられないように、口をひらいた。


「……きっと迷惑がかかるよ?」


「かまわん」


「……姫さまに怒られて、追いだされるかもしれないよ?」


「姫さまはそんな狭量な方ではない」


「…………」


「…………」


 そして、ソフィアはがっくりと肩を落として言った。


「……ここにいます……」


「よし」


 それにやっと彼の襟首から手を離した。オーフィスは笑みを浮かべながら長大剣を鞘におさめる。


 これからは、忙しくなるだろう。それでも、彼女は自分の決断を後悔したりしないとわかっていた。


 窓の外を眺めると、すでに白み始めており、新しい日をむかえようとしていた。

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