第11話 刺客襲来


 そして欠けた月が美しい夜のことだった。


 珍しくその日はアレクシアが離宮の自室で眠りについていたため、オーフィスはいつも通りに姫さまの部屋の前の扉に寄りかかって寝ていた。


 そこに気配を感じた。

 最初は、ソフィアが動きまわっているのかと思ったが、違う。それは複数いた。それが窓からアレクシアの部屋へと侵入していく。


 オーフィスは飛び起きた。


「姫さま!」


 扉の蝶番が吹き飛びそうな勢いで扉をあけた。


 アレクシアとデュランはすでに目覚めていた。

 一人と一匹の瞳が金色に輝き、死地へと誘う鬼火のように揺らめいて見えた。全身の産毛が逆立つような威圧感に背筋が震えた。その視線は、窓辺のほうへ向いていた。そこには、闇と同化するような人影が五つあった。オーフィスは皮肉げにため息をついた。愚かな奴らだ。この世で最も喧嘩を売ってはいけない存在を敵にまわして、どうしようというのだろう。


 アレクシアが巨剣を振りあげて嗤った。


「久しぶりに、ヒトの肉が喰えそうだな……ッ」


 オーフィスは思わず、暗殺者たちに、死者にするように聖印をきっていた。





 その頃、ソフィアの部屋にも『四門』の暗殺者が現れていた。


 闇夜に浮かぶその姿は、長身痩躯。黒髪を無造作にのばし、何重もの布で眼を隠している。身にまとうのはその他の暗殺者と同様の黒装束である。その手にもつのは、極東の島から伝えられし武具──刀。


 暗殺者は殺気を隠そうともせず、悠々とソフィアの部屋に足を踏みいれた。


 こんな強烈な殺気を浴びせかけられて眼が覚めぬはずもなく、ソフィアはすでに起きていた。寝間着から、いつものメイド服に着替えてさえいた。

 彼は暗殺者を前にして、盛大なため息をもらした。


「まさかね、こんな日がくるとは思ってなかったよ、列空」


「そうか? オレはいつかこんな日がくると思っていたぞ。幻魔」


 それに対して、暗殺者──列空は、鉄を擦りあわせるような低い声で答えた。

 幻魔──ソフィアは肩をすくめた。


「それは、ボクがその眼を焼いたときからかい?」


 それに、列空が押し黙った。

 周囲の空気が冴え渡るような──触れた瞬間に斬られそうなほど殺伐としたものへと変貌していく。


「やはり、おぼえていたのか」


「そういうことになるのかな。ボクって薬が効きにくい体質みたいでさ」


「では、やはり裏切りということで、──いいのだな」


「裏切るだなんて、そんな──」


 殺気を多分に孕んだ声に、ソフィアはわらって答えた。


「──もともと、仲間だなんて思ったこともないよ」


「奇遇だな。オレもだ」


 列空が刀の柄に手をおく。


 ソフィアも両方の手の指のあいだにナイフを一本ずつ計八本もつ。


 二人はそれぞれ部屋の端と端に陣取っていた。間合いは成人男性の足で八歩ほど。普通に考えれば飛び道具を持っているソフィアが有利だが、相手が列空では、それはありえない。むしろ列空に有利な間合いである。


 先行したのは、ソフィアだった。

 手にしているナイフを八本まとめて投擲する。それは空を切り裂き、列空へと迫る。


 だが、彼はこれを体捌きのみで躱してみせた。眼も見えぬはずなのに、見事なものだ。さすがは心眼の使い手。全方位に死角なしとはよく言ったものだ。ソフィアはさらに投擲しようと手首をかえした。左右の指に四本ずつナイフが挟まれていた。それを投げようと腕を引き、振りぬこうとする。

 だが──


「──散れ」


 それよりも迅く、列空は一閃を放っていた。


 しゃあぁぁ──ん。


 鞘鳴りは、後から聞こえた。

 その鞘鳴りとともに、ソフィアの身体が両断されていた。

 どう考えても、刃が届かない間合いから斬りつけられていた。


「……ぁ……ッ」


 上半身が滑り落ち、血が霧となって宙を舞った。尋常でない切れ味だった。

 抵抗むなしく、ソフィアの命は儚く散った──


 ──りいぃ……ん。


 はずだった。

 空気が鋭く鳴り、いくつものナイフが列空を強襲した。

 それを列空が刀を振るって迎撃した。そのままの流れで、刀を鞘におさめる。


「……手ごたえがあったと思ったが……」


「残念、幻だよ」


 ソフィアは傷ひとつなく、窓枠に腰かけていた。


「あいかわらずの切れ味だね、いや、前より冴え渡ってるかな?」


「当然だ。オレの真空刃に斬れぬものなど、──存在しない」


 そう、届くはずもない間合いからソフィア──その幻──を斬ったのは、高速の鞘走りから生じる──真空の刃だった。


 全方位を知覚することができる心眼と、鉄をも断ち、敵の間合いの外から不可視の刃を放つことができる真空刃の使い手。

 さすがは当代最強の暗殺者の一人である。


「ボク一人の手には、ちょっと余るかな。そもそもボクって、ガチでやりあう戦闘は苦手なんだよね。この幻術で相手を惑わし、罠にはめる。そういう戦い方のほうが向いているのに、眼が見えない相手じゃあ、幻で惑わすのも難しいし」


 思わずソフィアの口から愚痴がもれた。


「そうでもないだろう? この眼を焼いたときの力はどうした? あれも幻術ではないのか?」


 わざわざ独り言に、列空が口をはさんできた。ソフィアはため息をつきつつ肩をすくめた。


「あれは、ボク一人の力じゃないよ。里のみんなの死に際の魔力が、ボクを通じてカタチを得ただけ。じゃなきゃ、『幻獣王召喚』なんて奥義、つかえるわけないでしょう」


「そうか、残念だな。あれを斬るのも、ここに来る楽しみのひとつだったのだが……」


「ボクの本領は、惑わし、騙す幻術。千の姿をもち、組織の誰一人として、ボクの本当の姿を知らない。あるときは妙齢の娼婦。あるときは筋骨隆々の大男。どこにでも潜入できるし、どこにでもいることができる。そういう使い方があってるんだよ。あ、ちなみに今は幻術つかってないからボクの本当の姿が見れるよ。まあ、眼が見えないキミは気配でボクのことを見てるから関係ないんだろうけど。おかげで生きてここにいることがバレバレだよ。キミが相手じゃなければ、このまま死んだことにして逃げるのも手だったのに、ねぇ」


「そうだな。貴様を殺すのには、なにひとつ関係がないな」


 その言葉にソフィアは肩をすくめてみせた。


「あーあ、だから心眼使いって嫌いなんだよね。冗談は通じないし、幻術は効きにくいし、だけど──」


 鈴の音が、空間を震わす。


 それと同時に、ソフィアの姿が増殖した。声が重なって聞こえ、あらゆるところに彼の存在を感じることができる。


「「「気配のある幻影をつくることも、できたりするんだよねぇ」」」


 何人ものソフィアが笑った。


「「「さて、どれが本物でしょう?」」」


 それに、列空た唇の端をゆがめた。嘲笑ったのだ。


「どれが本物でも関係ない。全て斬ればすむことだ」


「「「うげ……ッ」」」


 その言葉に、ソフィアたちが一斉に顔をしかめた。


「散れ──」


 連続した鞘走りによって生まれた幾百もの不可視の刃が、部屋とともにソフィアたちを切り刻んだ。






 離宮を震わす轟音に、オーフィスは思わず振り返った。


「いまの音は……」


 ソフィアの部屋があるところからだった。


 あいつのことだから、たいして心配していなかったのだが、もしかして向かったほうがよかったかもしれない。だが、姫さまの護衛を放りだして行くこともできなかったし──とそんなことを考えていると、そのソフィア本人が窓からこちらに入ってきた。女官の服はボロボロに斬り裂かれ、ところどころ血が滲んでいる。強姦殺人されかかったところを命辛々逃げてきたといった感じだった。


「いやー、ホントにみじん切りにされるかと思った」


 笑いながら、オーフィスのもとにやってくる。


 少なからず驚いた。オーフィスでは彼に傷ひとつあたえることができなかったのに、傷を負っているのだ。


「なにやっているんだお前は?」


「あははは、ボクが裏切ったのがばれて、もう少しで殺されるところだった──って、こっちもすごいね、まともな死体がひとつもないじゃない」


 ソフィアが驚くのも無理はない。

 これを、アレクシアとデュランがやったのだ。オーフィスは手をだすこともできなかった。


 あの一人と一匹の戦いかたは、いつ見ても戦慄を禁じえない。


 アレクシアの動きはまさに野生の獣そのままで、その動きを眼で追うことすら困難だった。

 魔獣のごとき筋力で跳躍したと思ったら、空中で反転し、天井を蹴りつける。その勢いで敵に襲いかかる。それもあの巨大剣でだ。あの鉄塊が視認するのも不可能なほどの速度で振り下ろされるのだ。その攻撃を受けた敵は、果実を壁に叩きつけたがごとく弾け飛ぶ。盛大に臓物と血をばら撒きながら、壮絶な最後をむかえることになるのだ。


 そして、アレクシアは一人の敵を葬ったからといって、停滞することなどありえない。その場でさらに跳躍して、壁を蹴りつける。そして、一度たりとも着地しないまま、壁や天井のあいだを跳ね回り、立て続け敵を血祭りにあげていくのだ。

 まるで悪夢のような光景が、さび鉄の臭いとともに展開される。


 さらに、デュランはその上をいく。

 アレクシアが縦横無尽に敵を葬り去る獣なら、デュランはただ一直線に敵を葬る最強の矛だ。低姿勢で筋肉を膨張させ、まるで引き絞られた矢が放たれるがごとく、敵を強襲する。その姿は音よりも迅く、轟音とともに視界から消えたと思ったら、人間が肉片となって爆散しているのだ。この攻撃を防げる種族などこの世界には存在しないだろう。デュランの顎から滴る鮮血を見ていると、肌が粟立つような恐怖を感じずにはいられない。


 五人しかいない暗殺者など、まさに瞬殺だった。


「さすがは姫さまとデューくんだね」


 ソフィアはあっけらかんとした笑顔でそうのたまった。


 血臭が漂い、人の残骸──喰いちぎられた腕や足、血から肉片、内臓や、ながく伸びた腸までが散乱し、湯気すらあげるなか、表情ひとつ変えることなくそう言えるこいつの神経は、もはや死滅しているのではないかと思う。


 オーフィスはため息ひとつつくと、この血肉で汚れた部屋をどうやって片づけようと思い、いまはソフィアがいるからこいつにやらせればいいか、と考えついた時点で悩むのをやめた。


「ところで、お前はもう少しで殺されるところだったと、ぬかしていたが、その暗殺者はもう倒したのか?」


「んー、いや、逃げてきたから。ほら、もうそこにいるよ」


 ソフィアが入ってきた窓辺に、長身痩躯の人影が見えた。

 その男のまとう雰囲気は、抜き身の刃のごとく、触れるものはみな斬り裂くという殺気に満ちたものだった。


 一瞬で肌が粟立った。

 それに、身体が脊髄で反応し、オーフィスは愛剣トゥヴァイハンダーを構えた。

 対峙するだけで、背筋に汗が流れる。信じられないほどの強敵だ。本当に人間かとさえ思った。


 その背後では、侵入者に気づいたアレクシアとデュランが、暗殺者──列空に視線を向けていた。その二対四つの金色の瞳は、新たな敵に対して殺気を宿し、爛々と輝いていた。まるで獲物を見つけた喜びに打ち震えているようだった。


 それに対して、列空はやはり殺気で応えた。鬼気の渦巻く虚無的な双眸が斬りつけるようにオーフィスたち四人を見据えている。

 まるで化物同士が争う中に、裸で放り込まれたようだ。殺気が空間を侵食しているのではないかと錯覚してしまう。


 ソフィアがおもむろに口をひらいた。


「どうする列空。キミ一人でこの四人を相手にしてみるかい? ボクは絶対にすすめないけど、死にたいって言うのなら止めはしないよ」


「今宵は退こう──」


 列空は、即座に窓枠を蹴って宙に身を躍らせた。


「──だが、おぼえておけ。貴様は必ずオレが殺す」


「楽しみに待ってるよ」


 ソフィアは遠ざかる人影にひらひらと手をふっていた。


 こうして、暗殺者による襲撃は、ひとまずの終結をえた。

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