第10話 さらなる刺客

 そうして日々はすぎていき、すでにソフィアがいることが当たり前となった感があった。


 アレクシアと魔狼デュランは森を駆けまわり、気がむいたときに帰ってくる。そのときはともに食事をしたり、離宮で寝たりもするが、基本的にはオーフィスとソフィアの二人で過していた。


 そして、はじめてソフィアが城に入ってから一月が経過したときのことだった。


 場所は変わって、シェルマータ城下町のとある裏路地でのこと。


 そこは、日が差さず、じめじめしていて昼間であるにもかかわらず、薄暗かった。人が通ることすら希なところだった。


 だがそんな裏路地に、六つの人影があった。

 六人はともにそこらにいても不思議ではない容姿と服装をしていて、表通りに出てもすぐに人ごみにまぎれてしまうような者たちであった。

 だが、そのなかにひとりだけ異彩をはなつ人物がいた。


 長身痩躯の男で、年は三十代半ば。黒髪を無造作にのばしていて、腰には極東の島から伝わりし片手剣──刀をさしている。服装は黒装束で、両眼にあたる部分が焼け爛れており、それを隠すためか、包帯のような細い白地の布を無造作に巻きつけている。あきらかに盲目であるが、健常者となんらかわりなく振る舞っていた。まるですべてが見えているかのようだ。


 それだけではない。

 普通の人が持ちえないような、殺気というか、鬼気のようなものを垂れ流している。

 ただそこにいるだけで、全身が震え、咽が干上がり、心拍数が跳ね上がる。生存本能が警告の絶叫をあげてしまうような──まるでただの裏路地が、男がいるだけで修羅場にでも変わったかのような緊張感が漂っている。


 この男たちに共通しているのは首から提げた『四門』の認識票と、暗殺者であることだろう。


 そう──ここにいるのは、ソフィアからの連絡が途切れたために集まった『四門』の使徒たちである。『獣姫アレクシア・L・クロスティアーネ・シェルマータ』の暗殺に、召集されたのであった。


「『幻魔』から連絡は?」


 盲目の暗殺者が低い声で問うた。それだけで切れそうな印象がある鋭さが宿った声色だった。


「ない」


「草からの連絡は?」


「草は城には潜り込むことはできても、『森』の中までは無理だ。あそこは人外の魔境であるからな」


「そうか」


 盲目の暗殺者は顎に手をやり、


「獣姫の噂を聞く限り『幻魔』が任務に失敗し、逆に殺されたというのもあり得なくはないが……」


 ここでしばし黙考する。


「いや、やはりあり得ないな。あいつが死ぬわけがない。この国から出たという情報もない、ということは標的の近くにいるんだろうが──」


 盲目の暗殺者は数瞬だけ押し黙り、再び口をひらいた。


「よもや、裏切ったか」


 他の暗殺者達が低く唸った。


 そんなことはあり得ない。

 そう言いたかったのだろう。

 才ある子を幼少の頃に浚ってきて、さらに洗脳して暗殺者に仕立て上げるのだ。裏切るなどということは発想からしてあり得ない──はずなのだ。


 そうあり得ないはずなのに、ときおり思い出したかのように、組織を抜け出そうとする者が現れるのだ。

 最近も、ひとり逃走を企てた暗殺者がいた。


 斧刃──というあざ名の殺戮の才能に秀でた少年だった。

 ある一件の暗殺から記憶を取り戻し、暴走。何人もの暗殺者を虐殺して、脱走したのだ。

 そして一ヶ月ものあいだ逃げ続け、追っ手によって始末された。

 斧刃を殺したのは、あの幻魔だ。

 まさか、それに感化されたわけではないだろうが、斧刃と幻魔は近しい間柄だった。

 それが原因で逃走を企てるというのもあり得なくはないかもしれない。


「まあいい。行けばわかるだろう」


 盲目の暗殺者は刀の柄に手をやりながら囁くように言う。


「裏切っていなければそれでいい。もし裏切っていれば標的もろとも始末すればいいだけだ」


 彼がそう口にした瞬間、斬りつけるような殺気が放たれた。 

 指がのび眼隠しの布に触れる。正確にはその下にある火傷の痕を。

 決まって幻魔のことを考えると、失ったはずの眼が疼く。

 まるで、幻魔を殺すことを渇望しているかのように脈動するのだ。


 脳裏に浮かぶのは最後に見た光景。

 暗殺者たちが飛び交い、血と炎で染まった隠れ里。初めての殺しだった。そして初めての敗北だった。


 幻獣の王といわれる竜が狂喜の咆哮をあげ、それを使役するかのように立ちはだかる銀髪の少年とも呼べない年の幼子。そして竜の吐息によって身を焼かれ、光を失った。


「そういえば、あいつには借りがあったな……」


 その声は鬱々と昏く、死のなかに生きる兇手たちすらも戦慄させるほどの憎悪と狂喜が込められたものだった。


「決行は深夜だ。それまでに準備を整えておけ」


 その言葉を最後に、城に向かって歩き始めた。

 そこに──


「ぃよお、兄ちゃんたち、こんなしけたところで一体なにやってやがるんだァ?」


 いかにも荒れくれ者という風体の男たちが数人やってきった。

 暴力の臭いを全身から漂わせていそうな輩達であった。

 そこに、風体だけは普通の人間と変わらない暗殺者たちがいたため、からんできたのだ。


 これは、自然からはずれ、本能という能力を失った人間という種族だからこその所業であろう。

 もし野生の獣ならば、声をかけるどころか、一秒だってこの場に留まっていることはできないだろう。ただちに生存本能の訴えにしたがって逃げ出してしまうようなイキモノの集まりなのだ。


 だが、荒れくれ者たちは声をかけた。

 獲物を見つけたと勘違いし、自分たちこそが喰われる側だと気づきもせずに。


 暗殺者たちは誰一人眼をむけもしなかった。

 ただひとり盲目の暗殺者だけが反応を返し、こう言った。


「先に行け」


 それだけを呟き、暗殺者は腰にさしてある刀の柄に手をおいた。


「なんだぁ? やるってのかオイッ!」


 体格では比べものにならないほど違う。

 体重は倍以上も違うだろう。 

 それでも、戦闘能力という値は、天と地ほども違うのだ。


「顔に布なんぞ巻きつけやがって、前が見えてんのか、ぁあッ?」


「──散れ」


 しゃあぁぁ──ん。


 荒れくれ者たちの言葉にかぶさるように澄んだ音が裏路地に響いた。

 それは、鯉口をきり刀身が鞘走ったために発せられた音であった。

 このとき荒れくれ者たちと、盲目をした男との距離は、歩数にして五歩以上──刀を振っても届かないほど離れていた。

 だが──


「な……んだァアあアアぁア嗚呼ああ──ァッ!」


 荒れくれ者たちの身体が無残にも、横一線に両断されていた。


 男たちは全員なにが起きたかもわからず、驚愕の顔つきで、腹から血と臓物を噴出しながら裏路地に転がった。


 即死だった。

 それに一瞥すらくれず、男は踵を返した。

 抜く手も見せず、剣を一閃させた技量。

 剣が届く間合いでもないのに、人の身体を容易く両断して見せた斬撃力。


 暗殺者のあざ名は『列空』。


『四門』が誇る──最強の暗殺者のひとりであった。


「さて幻魔──おまえは裏切ったのか?」


 ──りいぃ……ん。


 つぶやく彼を監視するように涼やか音が空気を振るわせた。




 同時刻──


 ソフィアは眼をとじて、ほうきで廊下を掃く手をとめた。


 遠幻視。

 自分の魔力によって空気を歪め、蜃気楼を望むがごとく遠見をする幻術のひとつである。


 任務につく前に街中に仕掛けた鈴に反応があったのだ。

 沈黙することしばらく。

 ソフィアは吐息をもらすと、嘆くように愚痴をつぶやいた。


「…………そろそろ来るとは思っていたけど、よりによってあいつが来ちゃうのかぁ」


 いま遠見した結果を思うと、世を儚みたくなってくる。


「そもそも暗殺者のくせして殺気垂れ流しで行動しちゃってさ、昔から嫌いなんだよねあの刃物マニアめ」


 それからもソフィアはひとりでぶちぶちと文句をたれていたが、やがて諦めたように空を仰いだ。


 ソフィアが亡命して少なくない時間が流れている。

 それから組織とは連絡は絶っているし、追撃の暗殺者がアレクシア暗殺の期限までには送られてくるだろうとは思っていたが、あまり相性のよくない相手が選ばれたようだ。


 いや、最悪と言っても差し支えない兇手だ。

 姫さまが殺されるようなことはないだろうが、案じるべきは自分が生き残れるかどうかである。

 連絡が途切れたことから、自分がすでに死んでいると思っていてくれれば一番ありがたかったのだが。


「そうはいかないみたいだねぇ……」


 だが、まだ大丈夫だ。計画をたてるときは、常に最悪の事態を想定しておくものである。


「さてさて、計画も要にさしかかりつつあるね。姫さまのほうも準備できたって言ってたし、生きるも死ぬも今夜が分かれ目かな」


 ──相手が誰であろうと、惑わし、欺き、騙しとおす。逃げると決めたときに、そう誓ったのだから。


 そうして、ソフィアは掃除に戻っていった。

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