第9話 雌雄を決するとき
ついにこの日が来た。
あらゆる屈辱をそそぐ、この日が。
そう、今日は、オーフィスとソフィアが、勝負をする日なのだ。
昨日の、度が過ぎるいたずらを許してもらうために、ソフィアから言いだしたことだ。もちろん、これであのときのことを許すことはないが、そのぶんの鬱憤をここではらしてくれる。
そして、オーフィスとソフィアは裏庭で対峙していた。
「さあ、勝負だ! 覚悟しろ、ソフィアっ」
オーフィスは長大剣トゥヴァイハンダーに鞘をつけたまま、ソフィアに突きつけた。これは力余って彼を殺さないためにこのまま戦うことを示唆している。
ソフィアは、笑いながら頷いた。
「約束だからね。これで昨日のこと許してね」
「ああ。条件は、一対一、相手が参ったというか、倒すまで続ける。幻術もなしで、殺しもなしだ」
「う~ん、ボクから殺しと、幻術をとると、この可愛らしい顔しか残らないんだけどなぁ」
ソフィアが苦笑するようにそう言って、距離をとる。
オーフィスも同様に、後ろにさがる。間合いは、二人の足で十歩ほどだ。
「いくぞ──」
オーフィスは長大剣トゥヴァイハンダーを背に担ぐように構えた。戦闘体勢は万全である。
ソフィアは懐から、手のひらにおさまるぐらい大きさの、スローイングナイフを取り出した。光を反射しないように黒く艶消し仕様になっている。彼はそれを指のあいだに挟むようにもち、笑いながら口をひらいた。
「いつでもどうぞ──」
その言葉が終わると同時に、オーフィスは地を蹴っていた。地面が爆発したように弾け、その場に深々とした靴あとを穿つ。
それは、瞬間移動じみた急加速であった。
オーフィスは、一呼吸のあいだに、十歩ある間合いを詰めていた。ソフィアの眼が驚きに見開かれる。
「──ふっっ!」
そのことに内心笑みを浮かべながら、鋭い呼気とともに長大剣を振りおろす。身の丈ほどもある刃が遠心力を存分にあたえられて加速した。
「わあああっ!」
悲鳴をあげながらソフィアが全身で飛び退いた。
その横を、轟音をあげながら長大剣が通りすぎ、地面を盛大に陥没させた。
「……あの、オミちゃん?」
ソフィアが深々を抉られた地面を見て、ポツリとこぼすように言った。
「さっき殺しはなしって言ったけど、こんなの喰らったらボク死んじゃうよ……?」
「不幸な事故だな」
「ちょッ、オミちゃんっっ?」
「喋っている余裕はないぞ!」
ソフィアの悲鳴じみた声を無視して、オーフィスは長大剣を振りあげた。
「うっきゃあっ!」
悲鳴をあげながらも、ソフィアは見事な体捌きで、斬撃を躱した。それと同時に、指に挟んでいたナイフをこちらに向かって投擲した。
鋭い風斬音をあげて飛来するそれを、オーフィスは長大な剣を盾にするように構え、弾き飛ばす。
「あまいぞ……っ!」
オーフィスは地を駆けて、ソフィアとの間合いを狭める。それに彼は牽制のように大量のナイフを投げてきた。どこからそんなに取り出しているのか、手首をかえした瞬間には、新たな手投げナイフが指のあいだに挟まっている。それを次から次へと投擲し、位置を変えながら、なんとか距離をおこうとしているが──
「──無駄だ!」
オーフィスは高速で飛来するナイフを、巧みな体捌きと、歩法によって捌く。躱せないと判断したものだけを、長大な剣を振るって迎撃して、歩みを進めていた。
「うそぉ──っ?」
ソフィアがまたしても悲鳴をあげた。彼がなげるナイフは次々と地面へと打ち捨てられていく。
「ふっふっふっふ──いままでの怨み、ここではらしてくれる!」
「そういう私情で戦うのはよくないと思うな!」
「うるさい! お前は私のストレス発散のため、黙って殴られていればいいのだ!」
「だから、そんなので殴られたら、ボク死んじゃうってぇっ!」
「死ねぇ!」
「本音がでたっ?」
距離をつめ、オーフィスは斬撃を放つ。それをソフィアが転げるように躱していた。ついでとばかりにナイフをばら撒く。
「無駄だというにっ!」
剣を一閃。それだけでナイフは弾かれた。
ソフィアが手首をかえした。だがその指には、ナイフが二つしか握られていなかった。いままで最低四本は一度に投げていたのに、とうとう矢玉──ならぬナイフ玉が尽きたらしい。彼は頬に汗をたらしながら気弱げに口をひらいた。
「えっと、降参すれば、勝負は終わるんだよねぇ?」
「ああ、勝負は終わるな。──制裁は終わらないがなァ」
「ひどいよっ! 結局結果は変わらないじゃないかぁ!」
「ふっふっふ、この怨みはらさぬでおくべきかぁ……ッ」
オーフィスは笑みを浮かべながら、じりじりと間合いを狭めていく。ソフィアが恐怖に顔を歪めて、後ろにさがっていく。
とうとう覚悟を決めたのか、彼は左右の手に一本ずつナイフをもち、投擲の姿勢にはいる。両方の腕を背後に引き、かすむほどの速さで振りぬいた。
視認するのも困難なほどの速度で、ナイフが空を翔る。それは互いに、タイミングをずらして投げられているが、関係ない。オーフィスはひとつを、剣を振るうことで弾き、もうひとつを半身になることで避けた。
ソフィアがそれに会心の笑みを浮かべた。
「ここだッ!」
それぞれの手を勢いよく引く。すると弾かれたナイフと、躱したはずのナイフが軌道を変え、再度こちらに飛来してきた。
「なあッ?」
それに度肝をぬかれ、半ば転げるようにして、二つを避けた。
「まだだよ、オミちゃんっ!」
ソフィアが手を動かすと、それにあわせてナイフがまたもや軌道を変える。それを剣で弾き返すも、ソフィアが腕を振るたびに飛来してこちらを襲ってきて、きりがない。
「さあ、オミちゃん。降参しない? ボクはオミちゃんと違ってやさしいから、制裁なんて怖いことしないよ」
「黙れ! 誰が降参などするものかっ!」
こうなれば、即座にソフィアを斬り捨てるまでだ。攻撃にまさる防御など存在しないのだから。
だが、ソフィアは巧みにナイフを操り、自らも絶えず位置を変えていて、接近を許そうとしない。
そのことに歯噛みしながらも、オーフィスは冷静にナイフの軌道を読み、長大剣で弾いていた。まずこのナイフをどうにかしない限り、ソフィアにはたどり着けないようだ。なにかカラクリがあるはずだ。普通に考えれば、手を離れた手投げナイフを自在に操るなどできるはずがないのだから。
そう考えながらも、よく見ると、ナイフの柄頭の後ろが、きらり、と光って見えた。
「これは──!」
脳裏にひらめくものがあり、オーフィスはナイフを弾くのをやめ、身を屈めるようにして、それをやり過ごす。そして──
「──はぁっ!」
気合一閃。ナイフが通った後を長大剣トゥヴァイハンダーで薙ぎ払う。すると、かすかな手ごたえとともに、ソフィアが、あっ! と声をもらした。
ナイフは戻ってくることもなく、そのまま地に落ちた。
「なるほど、──糸か」
払った剣身を見ると、細いなにかが、陽光を反射していた。視認しづらい極細の糸で手投げナイフの軌道を操っていたらしい。形としては、紐の先の錘をつけて攻撃する、流星錘という暗器に似ていた。
「だが、これで、頼りの綱は、文字通りなくなったわけだ」
オーフィスは剣呑な笑みをうかべ、ソフィアを睨みつけた。
「あ、はははは──」
ソフィアは笑みをうかべると、怖気づいたように後退した。
「オミちゃん。手加減してくれると嬉しいなぁ」
「ああ、してやろう。それはもう──力一杯になァ……ッ」
「うわぁ、絶対する気ないよ……」
その言葉を無視して、オーフィスはゆっくりと歩みを進めた。だが、決して油断しているわけではない。投擲武器が尽きたからといって、まだ武器を隠し持っていないとは限らない。そう姫さまの暗殺時にもっていた『く』の字に湾曲した黒い短剣は、まだその姿を見せていないのだから。
「あーぁ、結構自信あったのになぁ」
ソフィアがぼやくように言った。
「ああ、お前はよくやったよ。まさか投擲武器に糸がついているとは思わなかった」
──しかもそれを自在に操るなどとは。
ソフィアは嬉しそうに笑った。
「ありがと。でも、こうは考えなかった? 糸がついているのは、二つだけとは限らない──って」
その言葉に、はっ、として周囲を見渡した。地面には大量のナイフが落ちている。
「──まさか?」
「そう、そのまさか」
ソフィアは勢いよく手を引いた。
その動作にあわせて、周囲に落ちていた全てのナイフが宙を舞った。
「──く……ッ!」
オーフィスは長大剣トゥヴァイハンダーを旋回させるように振りまわしたが、いかんせん──数が多すぎる。
それは雨が降りそそぐように、オーフィスへと向かってきていた。
「──ほい」
ソフィアが手首をかえした。それあわせてナイフが巧みに軌道を変え、オーフィスの周囲に展開する。糸が纏わりつき、彼女の身を拘束した。
オーフィスは身動きを封じられたのだ。
だが──
「──舐めるなァッ!」
その身を封じるのは、たかが糸。その気になれば引き千切るのは、容易かった。
「オミちゃんを舐めるなんて、そんなこと──」
ソフィアの声が、眼の前からきこえた。
拘束した一瞬の隙を狙って、懐に入り込まれたのだ。それは、先ほどのオーフィス匹敵するほどの瞬速歩行だった。しかも彼の場合は音もなく、気配すら感じさせなかった。技量としては、ソフィアのほうが上かもしれない。
「くそ……ッ」
思わず罵り声がもれた。彼の手には、黒く内側に反った短剣が逆手に握られていた。
ここまで間合いを詰められてしまえば、トゥヴァイハンダーのような長大の剣は使えない。逆に、短剣のような短く軽い武器は、この間合いこそ本領を発揮するのだ。
オーフィスはいささかの躊躇いもみせず、剣の柄から手を離した。そして、即座に組み打ちにいく。このようなときのために、無手の武術も会得しているのだ。
「せいッ!」
気合とともに掌底を、彼の顔に向かって突きだす。
ソフィアはそれを仰け反って躱すわけでもなく、受け止めるでもなく、さらに踏み込むことによって、その攻撃をいなした。
「なァ──?」
そのことに驚き、眼を見張った。
ソフィアがさらに距離を詰めたことにより、オーフィスと彼は、ほぼ密着していた。これではナイフを振るうにも近すぎる。ソフィアの顔が眼の前にあった。長い睫毛がおとす影まで確認できるほどだ。吐息がくすぐったかった。
そして──
──ちゅっ。
唇がかるく重ねられた。
「…………ッッッ!」
気が動転した。こいつは今なにをした。頭の中が真っ白になり、脳が沸騰したように熱をもった。
それが、致命的な隙になった。
ソフィアは彼女の腕をとると、流れるような足取りで後ろにまわった。その行動が、オーフィスの混乱を押し流し、反射的に防衛本能を立ちあがらせた。
──関節を極めるつもりか?
オーフィスは体得していないが無手の武術のなかにそのような技術があるのは知っていた。
関節技──
極めれば相手の動きを封じ込めることも、瞬間に相手の関節を破壊することもできる。護衛を生業にする者が好んで習得する技術だ。
反射的に、肘を伸ばさないように力を込める。伸びてしまえば、そこでお終いである。
だが、ソフィアの動きは、普通に関節技をかけるための動きとは少し違った。動きを停滞させることなく、片腕で手首をとり、わきの下にもぐりこむように、肩を入れる──まるで担ぎ上げるように。
それで気づいた。これは関節技ではない──投げ技である。
しかも、ただの投げ技げではない。肘の関節を極めながらの投げ技だ。
「しま──ッ!」
オーフィスは唸った。本能にせかされるように、ソフィアの動きに逆らわずに、地を蹴り、自ら跳んだ。
そうしなければ、自らの体重で肘の関節を破壊されて、地面に叩きつけられることになるからだ。
これを防ぐには、相手の力に逆らわずに、自ら跳んで、あまんじて投げ技を受けるしかないのだ。
視界が、猛烈な勢いで流れ、空が見えた。
受身をとろうとしたが、その必要はなかった。ソフィアが地面に叩きつける瞬間、オーフィスの身体を引っ張りあげてくれたようだ。達人は相手に投げたことを悟らせずに投げることができるというが、これもそれにちかいのかもしれない。
オーフィスは仰向けに倒され、その首には漆黒の短剣がそえられていた。
「チェック・メイト──だね。オミちゃん」
負けたのだ。
正々堂々と戦って、幻術もつかわない、真っ向勝負で。
しかも、こんな軽薄な女装暗殺者に、──唇まで奪われて。
「うぅ……」
オーフィスの内心など関係なしに、ソフィアはあいかわらず明るい笑みを浮かべたままいった。
「オミちゃんてさ、剣の腕では最強クラスなんだけど、搦め手にめっぽう弱いよね」
「ううぅ……っ」
さらにはダメだしまでされてしまった。
「もっと思考をやわらかくしてさ──」
「──うるさいっ!」
それ以上は聞きたくもなかった。
「え、あの……」
ソフィアが戸惑ったように言葉をとめた。
「うるさいっ。うるさいっ。うるさいぃっっ!」
オーフィスは手につくもの──そこら辺に転がるナイフを片っ端から投げつける。さらに投げて、投げて、投げまくる。
「ちょッ、オミちゃんっ? うわぁっ! さ、さすがに刃物を投げるのは危ないと思うよ──って、泣いてるの……?」
「──ぅぅうるさぁああいっ!」
彼に背を向けると、オーフィスはいじけたように膝を抱えた。まるで子供のように。
「えぇ……っとぉ?」
ソフィアがその様子をみて、困ったように頬をかいた。
「あ、あのさ、オミちゃんは強かったよ。だからそんなに落ちこまないでよ。ただボクみたいに相手を罠にはめて倒すタイプとは相性が悪いっていうか、頭が固いから予想外なことが起こると対応できないっていうか、変則的な戦い方をしちゃえば怖くないっていうか──って、あれ? そうなると結局、弱いってことになるのかなぁ?」
──“弱い”──その一言が、オーフィスの心を貫いた。
それを引き金として、感情のタガが、完全に外れてしまった。
「うわぁあああああああああああああああ──んっっ!」
思いっきり泣いた。
「オ、オミちゃんっ?」
ソフィアは慌てた。
「あ、いや、ごめん! 違うって。オミちゃんは弱くないって。えぇっと、……そう! ボクが強かっただけで──ぁあ、いや、違うか?」
「ひっく、おまえなんか嫌いだっ。あっち行けぇ! うえぇええええ────ん!」
彼女は嗚咽まじりにそう言うと、さらに盛大に泣きだした。涙がぼろぼろとこぼれてくる。
「あぁ、うぅ……っ。ど、どうしよう……?」
おろおろと助けを求めるようにソフィアが周囲を見渡した。
だが、誰かが助けに現れるはずもなく、ただ泣き声だけが魔の森に響きわたっていた。
「あうあう……」
珍しく、途方にくれたようなソフィアが、彼女の周りをうろうろとしていた。
「うぅ────っっ!」
それでも、しばらくオーフィスは泣きやむことはなく、力をこめてさらに、ぐっと泣いてしまった。
それを困惑の極みに達したソフィアがいつまでもいつまでもオロオロと見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます