第8話 暗殺者を排除する方法


 暗殺者との同居はストレスの日々だった。


 追いだすために何度も、勝負を挑んだ。うまくいけば事故に見せかけて殺してやる、と思っていた。

 それなのに、ソフィアには、軽くあしらわれるばかりだった。


 初めの頃は、正々堂々と勝負を挑んでいた。

 最初の勝負はいまでも忘れない。屈辱とともに思いだすことができる。


 オーフィスは裏庭にソフィアを呼びだし、正々堂々、一対一で勝負を挑んだのだ。


 だが、あろうことかソフィアは幻術をつかい、オーフィスはそれに気づかず、幻相手に一晩中戦っていたのだ。


 朝になったら幻が消えて、『もう少し、相手を見ようねぇ、オミちゃん』というメモだけが残されていたときは、正直、激憤のあまりに悶死しかけた。そのことに頭に血がのぼりすぎたためか、それとも一晩中剣を振るって疲労の極地だったためか、気絶し、ソフィアに看病されていたときは、本気で死にたくなった。


 正面からいくのは無理と判断し、いきなり斬りかかったら、それはソフィアの幻を重ねられていた姫さまで、慌てて平謝りをしたし、寝込みを襲えば、逆に気絶させられて、一緒のベッドで寝かされ、それを、様子を見に来た女官長に見つかって叱られるということもあった。


 一度などは、湯浴み中に、襲いかかったこともあった。

 なにも身につけていないところを強襲するのだ。これで勝てないはずがない。

 湯煙にけむる風呂場に侵入し、背後から斬りかかった。


 だが、それも失敗した。


 もっていた濡れた手拭を投げつけられた。それが顔に張りつき、視界をふさがれたのだ。

 それを、やっと引きはがせたと思ったら、ソフィアの裸身をもろに直視してしまい、声なき悲鳴をあげた。相手が裸だということは、予想してしかるべきだったのに、武器をもたず無防備になること以外、考えもしなかった。首筋まで真っ赤にして、慌てて眼をそむけようとして、ありえないものを見てしまい、さらに唖然とさせられた。


 なんと、ソフィアには胸があったのだ。


 男じゃなかったのか、と下を確認すると、確かに、男だった。それに、ソフィアが、オミちゃんのエッチ~! と身体をくねらせたことに、我にかえり、慌てて視線をそらした。顔が信じられないほど熱かった。


 な、なんで男なのに胸があるんだっ? と叫ぶように訊くと、彼はなんと、胸を外してみせた。それは特殊樹脂でつくられた人工の胸だったのだ。どっから見ても本物にしか見えなかった。


 ほら、日夜綺麗に見せるためにはこれぐらいは用意しなくちゃね、とソフィアは笑っていた。その胸は、とても偽物とは思えない感触で、眼の前がくらくらした。


 さらには、ほら腰を細く見せるために、ここの肋骨を抜いてあるんだ。どうしても、男と女って体格が違うからここまでやっても、まだ足りないんだけど、あとは幻術と、演技力でどれだけカバーできるかが腕の見せ所だね、という言葉をはいていた。


 だが、オーフィスはほとんど耳にいれることはできず、のぼせあがったように顔を真っ赤にして、鼻血をふいて倒れた。


 男の裸を見て、鼻血をだすなんて。さらに気絶までするなんて──、一生の恥である。


 そのような経緯で、勝負はいまのところ全敗。散々な目にあっていた。

 それでも、オーフィスは諦めなかった。

 正々堂々の真っ向勝負だったら、負けるはずがないのだ。絶対に勝つ自信があった。


 真面目に勝負しろ! 卑怯だぞ、と何度言ったことだろう。


 それに対して、ソフィアの答えはいつも決まっていた。


 ──ボクってば暗殺者だよ。卑怯なのは当たり前。背後からの攻撃、寝込みを襲う、どんな手段でも、相手を殺せればそれでいいんだから。


 それをすべてやって、返り討ちになったオーフィスはどうなる。そもそも、卑怯な手段など自分にはあっていないのだ。どうしても後ろめたい思いが消えず、気後れしてしまうのだ。


 あまりにも勝てず、ソフィアに相手にもしてもらえないので、姫さまに相談すると、頭をやわらかくして、変則的な戦いにも対応できるように、とのことであった。


 その言葉を胸に、精神集中から始めようと、オーフィスはいま、大木の木陰で座禅をしているところだった。

 こうして、過去の戦歴を思い起こしながら、怒りや屈辱に支配されることなく、精神の高ぶりをおさえながら、心を平坦につとめる。


 まるで心は、凪いだ水面のように、波紋ひとつたたぬように。

 オーフィスの心はかつてないほど、落ち着いていた。


 そこに──


「オミちゃん、なにやってるの? 昼寝? 気持ちよさそうだねぇ」


 ソフィアがやってきた。

 オーフィスは、ちらりと片眼だけあけ、それを確認すると見なかったことにして座禅を続けた。


「あー、無視? そうなの無視なの? ねえ、オミちゃんてばぁ!」


 ソフィアが喚きながら、オーフィスの肩を揺さぶる。彼女はそれも無視していた。


「あぁ、そう! じゃあいいもん! オミちゃん、今晩のデザート抜きだからね!」


 それに、ぴくんっ、とオーフィスの肩が震えた。そのことを恥じながら、だがしかし、デザート抜きはないだろう、と内なる心が叫んでいた。それに活をいれて、オーフィスはさらに心の奥深くまで沈んでいった。精神、集中──


「あー! 本格的に無視するの! ねえ! オミちゃんてばぁ! グ、グレるよ! ボク相手にしてくんなきゃグレちゃうよ! それでもいいの! あぁあああ~~っ! お願いだから無視しないでよぉお!」


 ソフィアがかつてないほど動揺しながら、オーフィスの肩を揺すりまくっているが、それに答えることはすでになかった。もう声も聞こえていない。


「あぁあああ~~ん! グレるからね! 絶対グレてやるんだからね~~っ!」


 ソフィアの声はすでに泣いていた。


 ──精神集中──


 それから、どれくらいの時間がすぎただろう。すでに太陽は中天をすぎ、傾いていた。空は赤く染まり始めている、もう夕方である。


 眼をあけると、隣には背後の木によりかかったソフィアが気持ちよさそうに寝ていた。

 幸せそうな顔をしている。これが暗殺者の寝顔なのか? そのことに毒気を抜かれてその横顔を眺めた。だが、そろそろ夕食をつくる時間だし、起こしてやるか、と思いたち、手をのばした。


「ソフィア。起きろ」


 その肩は、男とは信じられないぐらい細く華奢だった。

 揺すられたソフィアは軽く眉をしかめると、寝返りをうつように、オーフィスによりかかった。


「んん……、オミちゃん……、……デザート抜き……」


 寝言なのか、怖ろしいことを呟きながらも、なかなか起きない。


 いま思えば、疲れているのかもしれない。この細い身体で、離宮の家事をすべてこなしているのだ。あれだけ広いところなのだ、掃除だけで一苦労だろう。そもそも、あの離宮の切り盛りを、たった一人の女官に任せるというのが無謀なのだ。普通なら女官は、姫さまの身のまわりの世話だけでいいのに。コックがやる料理も、掃除婦がおこなう片づけまでも、ソフィアがたったひとりでやっているのだ。


 そう思うと、少し申し訳ない気持ちになる。


「──くちゅんっ!」


 可愛らしいくしゃみが聞こえた。ソフィアは猫のように身体をまるめると、オーフィスの肩からずるずると落ちていった。


 冬があけたとはいえ、日が沈むころあいになると、少し肌寒い。

 オーフィスは苦笑すると、自分の上着をぬぎ、ソフィアにかけてやった。すると、寝顔が安らかになったように思えて、少し笑った。

 そして──


 ──自らの行動を自覚した瞬間、顔がものすごく熱くなった。

 慌てて首を横に振る。そして自分に言い聞かすように言葉を呟いた。


「駄目だ駄目だ! しっかりしろ私! こいつは暗殺者なのだぞ。こうして私たちの日常に入り込んでいって、相手が油断した頃に、殺すつもりかもしれないのだぞ! 姫さまがあの調子のいま、私がしっかりしなければいけないのだぞッ!」


 そうして何度も、何度も首を振り、立てかけていたトゥヴァイハンダーを手にもつ。オーフィスはしずかに鞘から剣身をあらわすと、呼吸を落ち着けるようにその剣を構えた。冴え冴えとした剣身が夕日を反射した。


 ソフィアはまだ眠っていた。まるで草原に横たわる妖精のように。


 そして、オーフィスは彼女に向かって、なにかを断ち切るように、思いっきり、剣を振り下ろした。


 それは外れることもなく、ソフィアを斬り裂いた。その刃は、肉と骨を斬る確かな手ごたえを伝えてきた。


 ソフィアは左の肩口から胸にかけてを斬られ、血が噴水のようにふきだした。オーフィスは返り血をあびた。それは温かく、鉄錆の味がした。


「え……、う、そ……」


 思わずそんな声がもれていた。理解はあとから追いついた。血に染まった長大剣トゥヴァイハンダーが手から滑り落ちる。


「な、なん……で?」


 ありえないと思っていたことが現実になり、オーフィスは気が動転した。

 震える手が、ソフィアにのびる。いつかのように幻だと思ったのに──さわれる。まだあたたかい。だが、冷たい風がソフィアから体温を奪っていくのがわかった。膝が震えて立っていられなくなった。彼の前に膝をつく。眼が離せない。血にまみれた彼の顔は、まだ寝ているように安らいでいた。オーフィスが上着をかけたときそのままに。


 頭がぐちゃぐちゃになっていく。眼の前が歪み、胃がひくひくと痙攣するようにうごめいた。気持ちわるい。まるで初めて人を斬ったときみたいに、身体中の震えがとまらず、思考が渦をまいていく。


「……こいつは、暗殺者だ──」


 他人のような声が、オーフィスの口からもれていた。


「いつ手のひらを返して、姫さまに害をなすかわからない」


 血の匂いが、むせるように充満している。それは、ソフィアの死の匂い。


「だから、……殺したんだ──」


 ──だから、自分は間違っていない。


 そう考えた瞬間、──吐いた。

 気持ちわるかった。ソフィアの死体を見ていることができなくなって、うずくまってしまう。

 そこに──


「うわぁっ! オミちゃん、大丈夫っ?」


 ──信じられない声がきこえた。反射的に顔をあげると、そこには心配そうに顔をゆがめたソフィアがいた。


「なんで……、死んだん、じゃぁ……」


 視線を、死体があった場所に向けると、そこにはなにもなかった。取り落とした剣にも、血はついていなかった。まるで白昼夢でも見たかのようだった。


「な、なんで? どうして? なぜに?」


 オーフィスは完全に混乱した。

 確かに、斬ったとき手ごたえがあったのだ。それが今でも手にこびりついているような気さえする。ソフィアの頬に触れたあたたかさ、それが失われていく哀しさ、血の生臭い死の匂い、死顔の安らかさまで眼に焼きついているのに。そこには死体がなく、眼の前では心配そうに声をかけて、支えてくれるソフィアがいる。


「ごめんねぇ。悪ふざけがすぎたよ」


 どこか、しおらしい態度でソフィアが謝った。


「ボクを倒したがっていたから、少しでもそれを味あわせてあげようと思って、それがこんなことになるなんて……、本当に、ごめんねぇ……」


 いつもはそこぬけに明るいソフィアが、珍しく沈んでいる。

 オーフィスは恐る恐る、彼の頬に触れた。


「ほん、もの……?」


「うん、そうだよ」


 なぜか涙がでた。


「わっ、わっ、なんで泣くのぉっ?」


「うるさい……っ! 見るな! あっちに行け!」


 オーフィスは顔をそむけて、ソフィアを蹴っとばした。なんであいつが生きていたことに安心しなければならないのだろう。


 いつになく慌てたソフィアの声をひたすら無視して、オーフィスは涙をぬぐって、彼から顔をそむけ続けた。

 ソフィアの慌てた声はしばらく夕刻の空に響いていた。

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