第7話 暗殺者のいる日常
「姫さま! あんなやからをそばに置くなど、正気とは思えません! 即刻っ、追いだすべきです!」
何度この言葉をアレクシアにぶつけただろう。オーフィスはすでに数える気にもならなかった。
暗殺者であるソフィアの亡命を認め、引き続き女官として雇うなんて、どうかしている。なんとしてでも、ソフィアを追放すべきなのだが、アレクシアの答えはいつも決まっていた。
「大丈夫だ。あれはそう危険なものでもない。
もしかして、姫さまはあいつに餌付けされてしまったのだろうか。
「姫さまっ!」
思わず、大声をだすと、アレクシアは顔をしかめて手をふった。
「よいではないか。害があるわけでもあるまいし」
「あるから言っているのです!」
オーフィスは怒鳴りつけるように言った。
あいつの言う亡命など真っ赤な嘘に決まっているのだ。あんな姑息な、しかも女装癖のある暗殺者をそばに置くなどもっての他である。いつ手のひらを返して暗殺されるか、わかったものじゃない。
しかも、油断したとはいえ、あんなヤツに負けたのだ。幻術をつかって背後をとるなど、なんて姑息なのだろう。そのことを思いだすだけで脳が沸騰するような怒りをおぼえ、姫さまを護ることができなかった自分に、欝になりそうなほど不甲斐なさを感じた。
これもぜんぶ、あいつのせいだ。
「ですから、一刻もはやく追いだすべきです!」
そう言うオーフィスを見て、アレクシアはため息をついた。彼女の後ろにいるデュランもすっかり耳を折りたたんで顔を隠している。
「あのなァ、オーフィス……──ん?」
アレクシアは言葉の途中でなにかに気づいたように、オーフィスの背後に視線を飛ばした。
「どうかしたのですか?」
オーフィスも彼女の視線を追って、後ろをふり向いた。そこには扉があるだけで、とくに変化があるわけではなかった。
「なにがあったのですか、姫さ、ま……?」
そこには誰もいなかった。
アレクシアとデュランは影もかたちもなく、姿を消していたのだ。
そう、オーフィスの気をそらし、その隙に窓から逃げだしたのだ。オーフィスのような達人に、微塵も気配を感じさせずに動き、窓から飛び降りるなど、信じられないほどの技量である。さすがはシェルマータの戦姫と恐れられた猛者だ。
とり残されたオーフィスはうつむいて肩を震わせた。
「姫さまぁあああああああああああ!」
かっと顔をあげると、オーフィスは怒りの雄叫びをあげた。
彼女自身も窓から飛び降り、後を追ったが、そのころにはすでに魔の森深くに身を隠していた。魔獣王の一族である彼女たちならともかく、オーフィスなどがこれ以上、森に入ろうものなら、魔獣の群れに襲われてしまう。
「ああ、もうっ!」
オーフィスはため息をつくと、これは自分がしっかりするしかない、と心を決めた。
ようするに、今度こそオーフィスが姫さまを護りきればよいのだ。この前は気が動転していてやられたが、次はそうはいかない。間合いにはいった瞬間に叩き斬ってやる。
そんなことを考えながら歩いていると、眼の前に人の顔が広がった。
「わあ──っ!」
驚いて跳び退くと、それはソフィアであった。彼女──否、彼は気配もなくそこに立っていたのだ。
「どうしたのオミちゃん、むずかしい顔して。あ、もしかして便秘?」
「違うわっ!」
やりにくい。いままで気づかなかったが、暗殺者だけあって気配も感じさせないのだ。簡単に間合いにはいられてしまい、そのことに余計腹がたってきた。
「男のくせに、ナヨナヨした喋りかたをするんじゃない!」
やつあたり等しい文句が口にでた。
「ええー! 男女差別だよ、オミちゃん!」
「オミちゃんと呼ぶな!」
「ええ~! 可愛いのに……」
「可愛くなくていい!」
「じゃあ、ボクのこと、ソフィーって呼んでいいよ」
「呼ぶか! だいたいなんだ、その軟弱な名前はっ?」
「ええ、可愛くない? これでも一生懸命考えたんだよ」
「あからさまに偽名じゃないか!」
「あたりまえだよ。ボクたちって──『四門』の暗殺者たちのことだけど──あざ名しかもってないんだから、現地に行くときは適当に名前をつけていくんだ」
それに一瞬言葉がつまった。
「……本当の名は?」
「そんなの覚えているヤツいないよ。『四門』では、素質のありそうな子どもを浚ってきて、薬でぜんぶ記憶を消しちゃうんだから」
「なん……だと?」
「当たり前でしょう。じゃなきゃ完璧な暗殺者をつくれないでしょう?」
なにを言っているのか理解ができなかった。
「常識とか良識とかあったら、人殺しとかって難しいでしょう。だからそれらをぜんぶ消しちゃうの。それで頭の中をまっさらにしてから、教育という名の洗脳をほどこすの。そうして、暗殺者はつくられるんだよ。だからこそ、『四門』の暗殺者は大陸中から怖れられているんだよ。殺す以外のことを知らないんだから、自分の命を護ることでさえ、ね」
死をも恐れない暗殺者の存在は噂には聞いていたが、ここまで悪辣な方法で生みだされているとは思わなかった。
「そんなの……、間違っている」
ふるえる声で、オーフィスはそれだけ言った。
ソフィアは笑った。いままでと変わりない、無邪気な笑み。
「当たり前だよ。暗殺が正しいわけないじゃない。だからこそ、それに疑問をもたれないように、記憶を消すんだよ」
オーフィスは言葉がでなかった。
「ボクも十歳をこえるころには、普通に人を殺していたんだよ」
「十歳で? 子供なのに、人を殺すというのか?」
十歳の子供に人を殺させるのか、と訊いたつもりだったのだが、ソフィアは子供の力で暗殺ができるのか、という風に受けとったようだった。
「簡単だよ。そういう風に教育されているんだから。とくにボクは見た目が麗しかったからね。暗殺技能や幻術の他にも、淑女としての振る舞いから、売春婦としてのしぐさ、房中術まで仕込まれたよ。どんな豪傑な男でも、精を放った瞬間は、無防備なものなんだよね」
くすくすと口もとを隠して笑うさまは、無邪気でありながら、蠱惑的であり、背筋が、ぞくりとした。全身の産毛が逆立った気分だった。
「ねえ、オミちゃん……」
いつの間にか、ソフィアがすぐ近くにいた。いつもの能天気な笑みが、妖艶なものに見えるのは、先ほどの話のせいだろうか。オーフィスは後退りながら咽を鳴らした。
「な、なんだ?」
「もし、たまっているなら、ボクに言ってね……」
「な、なななななな……っ!」
ソフィアの手が頬をなでていた。顔が近づいてくる。なのにオーフィスは退がることができなかった。その濡れたような青灰色の瞳に射竦められたかのように、身動きが取れなくなっていた。吐息が甘くくすぐったい。それを感じることができるほど、顔が近づいていた。
「眼、とじて……」
言われるまでもなく、眼の前の光景に耐えられなくって、ぎゅうっ、と眼をつぶっていた。思わず息までとめている。
それからどれくらい経っただろうか。なにもないことを訝しげに思い、恐る恐る眼をあけると、視界は白と黒で埋められていた。近すぎてよくわからないが、顔になにか貼りついているようだった。それをはがすと、それは長方形の紙で、『オミちゃんの、エッチ!』と書かれていた。
一瞬の空白のあと、視界が真っ赤に染まるほどの怒りが吹き荒れた。
──絶対に、殺してやる……ッ!
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