第6話 亡命希望
目を覚ますと、自室の寝台に横になっていた。
半ば白く染まった思考のまま、身体をおこすと、首の後ろに鈍い痛みがはしった。
それで意識がしっかりした。痛みとともに昨日の記憶が引っ張りだされた。
「──姫さまッ!」
飛び起きると同時にかけられていた毛布を身から一気に引き剥がした。
なんということだろう。
まさか、あのふざけた侍女──ソフィアが暗殺者であったなんて、夢にも思わなかった!
このオーフィス──一生の不覚だ。
昨夜の自分の体たらくをおおいに嘆きながら、そのまま扉にむかって走り、廊下に飛び出る。
部屋から出る際も、出た後も、慌てすぎて周りが見えておらず、いろんなものに蹴っ飛ばし、しっちゃかめっちゃかに散らかしてしまったが、それでも愛用の長大剣は手にもっていた。
このとき、オーフィスは焦りのあまりに完全に視野が狭くなり、思考もひとつのことに集中していた。
だから思い至らなかった。
なぜ、姫さまの部屋で気絶させられていたはずの自分が部屋に戻っており、しかも寝台に横になり毛布までかけられていたのか。そのことに気がつけば、この後のことも展開も少しはマシになったのではないかと思うが。
まあ、それは後の祭りではある。
とにかく、オーフィスはその勢いのまま、二階にある姫さまの部屋に向かおうと、階段へ向かっていた。
そして、階段の通り道であり、離れの中心地である居間に出ると──、そこで信じられないものを目撃した。
「オーフィス、騒がしいぞ。食事中だ、静かにしろ」
いつも通りの食事の風景が展開されていたのだ。
アレクシアはとっくに席につき、朝食を召していて、その下では、デュランが床におかれた皿に鼻先をつっこんでいる。その頭をソフィアが笑顔でなでていた。
頭が混乱した。
ただ呆然とそれらを見ていると、ソフィアが苦笑しながら近づいてきた。
「ごめんねぇ、オミちゃん。みんなでいただきますをするまで食べちゃダメって言ったのに、姫さま聞いてくれなくて、でもちょうどよかった。いま朝ごはんができたから、起こしにいくところだったんだ。さあ、座って」
銀髪をひるがえし、ソフィアはパタパタと炊事場と卓を行き来して給仕を再開した。
オーフィスは彼女の言葉に頷くこともできず、ただ眼を見開いて固まっていた。
一瞬これは夢で、自分は、まだベッドの中にいるのではないかと疑い、頬をつねってしまった。
「……痛い」
ということは夢ではない。
「なにを大口をあけて呆けておる。さっさと座らんか」
いまだ呆然としていたオーフィスは、そのアレクシアの言葉に反射的に従う。
すると眼の前のスープからかぐわしい匂いが鼻をくすぐり、腹が、くぅ~、となった。そのことに赤面しつつ、一気に現実へと引き戻された。
「おまたせ。さあ食べようか」
ソフィアが用意をすべて終わらしたのか、頭から三角巾をとると、席についた。
「いただきます」
彼女はいつもどおりに手をあわせ、笑顔でそう言った。
そのことに、昨日のことこそが夢で、あんなことは現実にはありえなかったのではないか、そう思えてきた。首筋にはしる痛みも、ただ寝違えただけだとか。
だが、姫さまが離宮にいるあいだ、自分が自室で寝るなどあるはずがない。そう自分は昨夜、確かに姫さまの部屋の前で眠りについた。
ようやくそのことに思い至った。
昨夜のことは確かにあったはずなのだ。
「ねえ、オミちゃん」
その思考を、ソフィアの声が打ちきった。彼女は唇を尖らして、オーフィスを軽く睨んでいた。
「ご飯の前は、いただきます、でしょう。なにを、ぼーとしているのかな?」
「あ、ああ、いただきます──じゃなくて!」
反射的にそう言ってから、オーフィスは卓を叩いて立ちあがった。
「おい、ソフィアッ!」
「ん、なあにオミちゃん、食事中にいきなり立ち上がるなんてお行儀が悪いよ?」
「いや、そんなことはどうでもいい! 貴様アレだ──」
オーフィスは混乱する頭をどうにか回転させながら、眼の前の異常事態に対応しようとしていた。
「──昨夜、そう昨夜だ! 貴様、姫さまの寝所に忍び込んで……、姫さまを殺そうと、──そうだ。殺そうとしていたくせに、なんでこんな平然と食事の準備などをして、いただきます──なんてことをしているんだッ!」
その言葉に彼女は、ぱちくりと大きな眼を見開いて、オーフィスを見つめた。アレクシアも食事の手をとめてこちらも見ている。デュランまで何事かというように首をめぐらせていた。
誰もなにも言わず、食事どきの喧騒から、いきなり、しん──と静まり返ってしまった。
だがそれは、探偵が犯人に真実を突きつけるような緊張感ではなく、どこか呆れたような生暖かい空気があった。
それに、オーフィスは、もしかして昨夜のことは本当に夢で、自分の脳内妄想だったのではと疑い、再び混乱してきてしまった。
思考がグルグルと渦を巻き始め、嫌な汗が頬を伝った。
そして、思考力は焼き切れ、沈黙に耐え切れなくなったオーフィスは、先ほどの発言を取り消そうと口をひらいた。
それと同時に、ソフィアが言った。
「殺そうとしたけど、オミちゃん、もしかして今まで忘れてたの?」
「すまない──って、はぁあっ?」
一瞬、聞き間違いかと思った。彼女は昨夜のことをケロっと認めたのだ。
「オーフィス、おぬし、一週間も扉の前で眠っていたから、頭が風邪をひいたのではあるまいな」
アレクシアまで、そんなことを言ってきて、オーフィスは一瞬の間をおいて、やっと正常な考えができるようになった。
──そうだ、やっぱり自分は間違っていなかったんだ。
そう思い至ると、続いて告げられた事実に対して怒りがわいてきた。あんな醜態をさらしたのでは、なおさらである。
オーフィスは激情にかられて大声をだした。
「──だったら、なんでこいつがここにいるんですかっ?」
思いっきり卓を叩くと、食器が一瞬浮き、がちゃんっと音をたてた。
「なんだはしたない。こいつが亡命したからに決まっているだろう」
「姫さまに、はしたないだなんて言われたくありません!」
反射的にそう答えてから、姫さまの言葉の意味を理解して、頭が痛くなった。オーフィスは思わずこめかみを押さえた。
「亡命だなんて──そんなの口からでた、でまかせに決まっているでしょう! なに暗殺者の用意した食事なんて食べているのですか!」
「ああ、美味いぞ」
「毒が入っていたらどうするのですか!」
「姫さまに毒はきかないよ。初日に無味無臭の毒をいれたのに、てんで効果なかったし」
ソフィアはあっけらかんと言った。
「ああ、わらは半分魔獣だからな。毒はおろか薬でさえきかないぞ」
アレクシアも平然とそれに答え、食事を続けた。
二人とも普通に会話をしていた。
ここでは常識人である自分の方が変な眼で見られている。気が狂いそうだった。
「なんでッ、そうなったかッ、一からッ、十までッ、全部ッ、説明してくださいっ!」
「嫌だ、めんどくさい」
アレクシアは手づかみでパンに食いつきながら、鼻を鳴らした。
「……ッ! ──姫さまぁあっ!」
再び、卓に手を叩きつけると食器類が盛大に宙を舞った。
それらをアレクシアは自分の分だけ素早く掴み取り、ソフィアは慌てることなく残りをすべてを空中で拾い上げた。指の隙間や二の腕、頭の上にまで皿をのせている。スープの一滴すらこぼれていない。
ふたりとも尋常でない反射神経と器用をもちあわせているらしい。
「もう、オミちゃん。そんなに怒んないでよ。高血圧でポックリ逝っても知らないよ?」
「おまえがっ、すべてのっ、原因なんだっ!!」
三度、バンッと手を卓に叩きつけて怒鳴る。
そろそろ血管の一本や二本は切れてもおかしくない気がする。
「落ち着いてよオミちゃん。ボクが全部説明するからさ。ほら座ってよ」
彼女の言葉に従うのは癪だが、姫さまが説明しないと言ったのだから、口を割らせるのは並大抵のことではできないだろう。ということはソフィアに事情を聞くしかないのだ。
オーフィスはこんな立場にいる自分をおおいに嘆きながら、表面上は憮然として席についた。
それを見て、ソフィアは空中で掴み取っていた料理の数々を再び並べなおしながら、口をひらいた。
「うーん、どこから話せばいいのかな。えっとボクが暗殺者だってことはもう察しがついているよね。ボクが所属している暗殺組織は『四門』と呼ばれているんだけど、知ってる?」
その名前に戦慄を覚えた。
思わず背においてある愛剣に手が伸びた。
「まあ、オミちゃんほどの人が知らないわけがないと思うけど」
オーフィスは黙して頷いた。
大陸に潜む影のなかの陰──禁忌の一族である殺人集団。それに命を狙われて生き延びたものはいないとまで言われている特一級の犯罪組織である。
「ボクはそこの一員で、あざ名は『幻魔』。幻惑し欺きし者。『四門』によってつくられた後天性の暗殺者だよ」
首からさげている薄い金属片──四門の認識票を見せ、ソフィアは笑顔のまま言ってのけた。
オーフィスは警戒レベルを最大限まで引き上げた。長大剣を腰まで引き寄せる。彼女がおかしな挙動を見せたら即座に斬り捨てることのできる構えだ。
ここまで警戒しても足りないくらいである。本当なら話も聞かずにここで斬ってしまいたい。
四門の暗殺者は死を恐れず、標的の『死』のみを求めると聞いているからだ。
これが詐術で、隙あれば姫さまに刃をむけるつもりであったとしても、全然おかしくない。むしろそっちのほうが納得できそうである。
「んもう。そんなに睨まないでよ。ボクってばもう降参して、亡命を求めたんだから」
そう言って、ソフィアは両手を軽く挙げてみせる。
それでも、オーフィスは警戒を解かず、話をうながした。
「ボクが姫さまに仕掛けた殺しは、全部で六十六通り。すべてきれいにいなされたけどね。そうして最終手段の武力行使したんだけど……」
ソフィアはわざとらしく嘆息してみせた。
「無理。無理無理の無理。無理の最上級。人の身で姫さまに勝とうなんて分不相応の極みだね」
この短い期間──一週間で、そんなにも仕掛けていたことも驚きだが、姫さまに単身で挑んだことも驚きである。
「それで、このまま殺せずにおめおめと戻ったら、それこそ組織に殺されちゃうから姫さまに亡命を希望したってわけ」
「それで、わらは亡命を受けいれたというわけだ」
アレクシアが指についたソースを舐めとりながら、口をはさんだ。
説明しないなどと言っていたくせに、最後のところだけ持っていった。
オーフィスは頭痛を覚えた。
「亡命を希望したってわけ、でも、受けいれたわけだ──でもありませんっ! ですからこんな輩は信じられんと言っているでしょうが!」
アレクシアに盛大に訴えたのだが、まったく無駄であった。
かわりにソフィアが悲鳴をあげた。
「ええ~~っ、でも手土産もつけたし、このまま帰ったらボク本当に殺されちゃうんだよ。可哀想でしょう? ここに匿ってよぉ。うまくいけば姫さまに返り討ちにされたと誤認してくれて逃げられるかもしれないんだから。ね、ね?」
「可哀想なわけあるかぁっ! おまえなど、とっとと殺されてしまえ!」
「ええ~っ! ひどいよオミちゃん! ボクとオミちゃんの仲じゃない。匿ってよぉ。ほらボクってば炊事洗濯から夜のお相手までバッチリできちゃうから」
夜のお相手──というところで顔をこれ以上ないほど紅潮させて、オーフィスは怒鳴った。
「ふざけるなぁぁぁっっ! そ、そのような、ふふふ、ふ、ふしだらなこと……ッ! 貴様などとできるかぁっ!」
「まあまあそんなに興奮しないでよオミちゃん。ほらさっきから話に夢中でぜんぜんご飯食べてないじゃない。ほら食べて食べておいしいよ~」
「暗殺者のつくったものなど危なくて食えるか!」
「ええ~、いままではあんなにおいしそうに食べてくれたのにぃ。悲しいなぁ、ボク悲しいなぁ」
肩を落とし泣く真似などをしつつ、ソフィアがこちらに流し眼を送った。
「今晩は奮発してプリンパフェをつくろうと思ってたのにぃ。──それも食べないの?」
その言葉に一瞬ぐらついてしまった自分の心の弱さが恨めしい。
「あ、ああ! 絶対に食べん!」
「そう、じゃあボクが食べちゃうよ?」
脳裏に、デザート抜きにされた地獄が思いされる。それでも、オーフィスは自分に活をいれて首を横にふった。
「す、好きにしろ。私は、女のように甘いものにうつつをぬかしたりしないんだ。お前のようにな!」
その言葉に、アレクシアが反応した。ああっ、と手を打ち鳴らす。
「そういえば、ソフィアは女じゃなくて、──男、だぞ」
またも一瞬、オーフィスの思考は停止した。
「な、な、なななななにいいいいっ? お、お前、男だったのかァっ?」
「うん、当たり前じゃない」
ことなげもなく、ソフィアは頷いた。流れるような銀の髪、おおきな青灰色の瞳。線の細いその姿は儚げで、とても男であるとは思えない。
「信じられん……」
ここでオーフィスは、あることを思いだした。
「お、お前っ、男なのに姫さまと寝所を共にしたのか!」
「うん、デューくんって、ほんとうに暖かいんだよ」
「こ、この、女装癖の変態男が!」
怒鳴りつけるが ソフィアは動じもしない。
「なんで? オミちゃんだって、女なのに、男の格好してるじゃない」
その一言に、オーフィスは一歩退いた。
「な、なんで、私が、お、女だと……」
もしかして、姫さまが言ったのか、と疑ったがそれは違った。
「そんなの一目見ればわかるよ。オミちゃんみたいに綺麗な男の人なんているわけないでしょう」
「なァっ、ななななな──」
その言葉に、顔が一気に熱をもち、オーフィスはまともに意見を返すこともできなかった。
こうして済し崩しに、暗殺者との同居がはじまったのであった。
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