第4話 獣姫と暗殺者


 夜。


 王妹の寝室。

 白い獣に抱かれて、金と銀の人影が横になっていた。


「わあっ、ほんとうにぬくぬくですねぇ」


「だろう」


 ソフィアは白い上等な寝間着に着替えて身を横たえ、アレクシアは先ほどの身なりのまま横になっていた。


 二人はデュランを背にして大きな四肢とまるで毛布のような尻尾にくるまれ、向かいあうような格好であった。


「おまえは本当に怯えることを知らんな」


 唐突にアレクシアがそう言って、ソフィアの頬へと手をのばした。


 ソフィアはそれを避けることもせず、笑顔で受けいれた。


「昔からよく言われます。おまえには恐怖心がないじゃないかって」


「それに、綺麗だな」


 ソフィアはその言葉に微笑みをかえした。


 確かにソフィアは美しかった。

 髪粉を落としてからその容姿にさらに拍車がかかっていた。

 長い銀髪は放射状に広がり、星々の川のようなきらめきを宿していた。瞳をとじたその横顔は幻のように儚く、月の光のもとだと妖精のように非現実的さえある。


 先ほどのように騒いでいればまだわからないかもしれないが、黙って笑みをうかべて横になっている様は、妖艶ですらあったのだ。

 その容姿はひたすらに可憐であるのに、ふとした仕草や雰囲気のなかになんともいえない色香が漂っている。

 ソフィアはそれを自覚して微笑んでみせる。


「いえいえ、ボクなんてそんなそんな──、姫さまのほうがお綺麗でいらっしゃいますよ」


 ソフィアは謙遜し、アレクシアをもちあげた。


 そうアレクシアもまた美しかったのだ。

 野生の獣そのままにしなやかな体つきをしていて、最も眼をひくのが金色の髪の毛だ。荒れ放題のその髪は光の洪水を思わせ、月の光を反射しているのではなく、髪の毛そのものが光を放っているようですらある。

 瞳の色は最上級の緑翠玉。それに宿る意志の光は見るものを鷲づかみにして離さない。


 その世辞をアレクシアは鼻で笑って、手をソフィアの頬から首元へと滑らせた。


 ソフィアは抵抗をしなかった。少しくすぐったそうに眼を細めるだけで、されるがままにさせている。


 そして、アレクシアの手が首もとの細い鎖に触れた。

 それを引っ張ると、それにつながれた細い金属片のプレートが顔を見せた。


 アレクシアはそれを見て切れ上がった眼を細めた。


「ほう。これは珍しいものを持っているな」


「ええ、普段から身につけて離さないようにしているんです」


 その首飾りには、漆黒の刻印が刻まれていた。まるで死神の鎌を連想させる紋章。それは、世界の裏に通じるものならば誰でも知っている『四門』の紋章であった。


『四門』とは『死門』に通じ、この大陸で最も怖れられる暗殺組織の名である。


 この紋章を身につけているということは、『四門』の使徒──暗殺者であることを意味している。


 それを見られてなお、ソフィアは平然と笑みを浮かべたままでいた。


 シェルマータの獣姫の武勇は天下に轟いているというのに、ソフィは身じろぎひとつしなかった。

 アレクシアがその気になれば、いまこの場でソフィアを殺すことなど虫を潰すことよりも容易いことだ。


 だが、アレクシアは特になにもせず、『四門』の認識票をソフィアの胸の中に押し込んだ。


「その胸。よくできているな」


 ソフィアはかすかに眼をみひらいた。

 だが動揺をすぐに消し、もとのように微笑んでみせた。


「いつ、わかりました?」


「最初からだ。匂いが違う」


「髪粉のことといい、本当に姫さまは鼻がおききになりますね」


 アレクシアは鼻を鳴らすことで応え、眼を細めた。

 その緑翠色の瞳が金色の光を宿し、虹彩が縦に割れて見えた。


 ソフィアはわずかに身体をこわばらせた。

 狩られるのかと思った。


 だが──


「さあ、もう寝るか」


 そう告げてすぐアレクシアは眼を閉じた。

 眠りについたのだ。


 驚くべき寝つきのよさだが、それよりもなお驚きなのは──


「──暗殺者を前にして、本当に寝るんだ……」


 四門の存在を知らなかったということはあり得ない。仮にも一国の姫なのだから。


 彼女の寝姿は実に堂々としたものだった。

 まるで天敵の存在しない百獣の王が野原で腹をだして安心しきって寝ているようにも見える。


 彼女は知っているのだ。この世に敵となりうる──否、自分を傷つける存在などありはしないということを。

 だから、こんなにも無防備でいられるのだ。


 仮にここでソフィアが刃を持ちだし殺そうとしても、髪の毛ほどの傷もつけられず、その牙と爪の餌食になることであろう。


 しかも、アレクシアの後ろには、彼女すら超えるバケモノ──魔獣の王に連なりしものが横たわっている。


「……これは予想以上だったかも」


 ソフィアはかすかに嘆息して天井を見あげた。


 この世で最も魔界に近いとされるシュラトーの森。

 標的──アレクシアは最強種の血をその身に宿している。

 たぶん、この世でかない得る者は存在しない。少なくともソフィアは知らない。

 そして人目はほとんどない。

 護衛は聖騎士ただひとり。

 ここは、草──間者も入り込むことはできない魔境。

 つまりは『四門』の組織の眼はここには届かない。


「そして、姫さまの度量は──特上級である、と。条件はすべてそろったかな」


 なにかを懐かしむように眼を細め、ソフィアは窓から見える月を眺めた。


「あぁ、いい月夜だね、斧刃。計画を始めるには、とてもいい夜だ」


 そのまま吐息をつき、ぽてりとアレクシアの横に身をなげだした。


「成功して生き残ることができるか、それとも君のように屍をさらすことになるのか。そこから見てて、ね……」


 そうして、ソフィアは眼を閉じた。

 間をおかず、寝息が聞こえてきた。完全に寝入ったのだ。


 今宵、彼女たちは、互いに、相手の正体を知りながら眠りにつく。


 銀の暗殺者は、標的を前に刃を振るわず。


 金の獣姫は、獲物を前に牙を剥かず。


 それぞれの胸のうちに、ただ企みをひそめながら。

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