第3話

 肺が締め付けられるような気がして、私は息を深く吸って、吐いた。心臓が鳴る音がうるさい。アルコールと相まって気分が悪くなりそう。でも、自分から声を掛けておいてだんまりもできない。葵の疑問も当然だ。「普通なら」目にすることもないはずの、美容クリニックのパンフレット。もしも私がまだ実家暮らしだったら、親の目を気にして取り寄せることはできなかっただろう。それくらい、心理的にハードルがあることを私はしたんだ。それは、具体的な目的があってのことだろうと思うのは当然だ。


「……小顔。エラを削りたくて。今なら式に間に合うから。エステのお陰って言えば何とかなるかな、って」


 私は両手で頬のラインを包んだ。骨格の問題はメイクで誤魔化すにも限界がある。こうすればもう少し見れるんだけどな、と何度鏡の前で思っただろう。プロポーズしてもらったのも、式の準備を進めるのも、とても嬉しくて幸せなことだ。でも、同時にその日のことを思い浮かべると消えてしまいたくなる。さっきみたいに、フレンチ居酒屋の抑えた照明の下、せいぜい十何人かに注目されるのとはまるで違う。真っ白なドレスで着飾って、親や親戚や上司や友達、もしかしたら百人単位の人の視線を浴びなければならないなんて。こんな私が。こんな顔で。


「そっかあ」


 琴美は、今のままで可愛いよ、とか当たり障りのないことは言わないでいてくれた。他人からどう言われても、「私の」気持ちが収まらないということを、分かってくれた。惨めな思いをさせないでくれた。さりげない相槌は、本当に助かる。


「痛みとか痕とか心配? 場所は違うけど、相談に乗る?」

「ううん……」


 ああ、葵は本当に優しい子だ。うんざりしそうなお説教なんかナシで、私の力になろうとしてくれている。こんな良い子に、私はひどいことを言おうとしている。自分自身に吐き気を覚えながら、私は首を振った。ジントニックを一気に呷ってから、言葉を吐き出す。


「ねえ、お金を出して整形した意味、あった? そ、そんなに──」

「まあ、そんなに変わってないっていうか、まだまだブスだよねえ」


 アルコールの勢いを借りて、それでも言い切れずに濁してしまったのをさらりと汲み取って、葵はまた軽く笑う。明るいけど、少し困ったような気配もある、苦笑だった、その表情で分かる。葵も私と同じことを考えていたんだ、って。


「そんな、ことは……」


 ああ、さっきの葵みたいに潔くなれない。気休めの嘘だって分かってしまうだろうに、ありきたりなことしか言えない。


 パンフレットを眺めるだけでも、整形美人、なんてそうそうあり得ない存在だと悟るのには十分だった。何百万円もかけて何か所も直して、でも効果は永続するとは限らない。それに、何より。ブスが頑張ったところでブスのままなのだ。葵に限らず、パンフレットに顔出ししていた人たちを見て思ったことだ。名前も知らない、会ったこともない、それぞれ悩みがあったであろう人たちだ。本当に失礼なのは分かってるけど、でも、正直な感想だった。


順平じゅんぺい──彼に、指輪はいいから手術したいって言ったの。新婚旅行もいらないから、って。OKしてくれたけど、意味がないなら──」

「そのままの君が良い、とかじゃないんだ……」

「それも、言ってくれたけど。でも、私が嫌だから」


 そう、その点では彼も葵と同じく優しかった。私が本気で言っていると、分かってくれた。でも、内面を好きになってもらえたと単純に喜ぶには、私は捻くれてしまってる。他人に対してなら人は見た目だけじゃないと言えても、自分のことについては、分からない。


 心から賛成はしないけど、それで君の気が済むなら、と。彼は困った顔で言ってくれた。彼の寛大さには感謝してもしきれないけど──エラ切り費用は、約百三十万円。大金を整形につぎ込む踏ん切りを、私はまだつけられないでいる。


「葵は……どう? 何か変わった? 後悔、してない?」


 だから、経験者の話が聞きたかった。何が変わるのか、変われるものなのか。それが、私の目的だった。


「私は誰にも何も言われなかったな。整形した? もキレイになった? も。だから無駄っちゃ無駄だろうね」

「そう……」


 淡々と語った葵に、私は深く溜息を吐いた。やっぱり、元が悪いと「お直し」にも限界があるんだ。それなら、お金の無駄遣いは止めなくちゃ。私を好きって言ってくれる彼を信じて、式や旅行や新居のためにお金を使うべきだ。でも──


「だから、良かったと思ってるよ」


 私と真逆の結論を吐いた葵に、私は目を見開いた。改めてまじまじと見つめても、彼女の顔は前に会った時と変わらない、と思う。私以外の同期も整形なんて疑ってもいないようだった。何十万もドブに捨てたようなものじゃないの? なのに、なんで笑っていられるんだろう。


「みんな、人の顔なんてあんまり見てないんだな、って分かって」


 口に出すまでもなく、葵は私の疑問への答えを教えてくれた。葵の意味深な笑みに、惹き込まれてしまうのが不思議だった。葵の悪口を言うような子はいないけど、褒める時だって優しいとかしっかりしてるとか、暗黙の了解みたいに中身に触れるのがいつものことなのに。今の葵の表情は、ドラマか映画のワンシーンのように、なんだか画になって決まっていた。堂々としている、っていうことなのかな。人の──私の目を気にしていないと分かるから、だから格好良いと思う。


「私だってさ、気にしてはいたんだけどね。整形までしても気付かれないんだもん、悩んでるのがバカバカしくなっちゃった」

「そう……!」


 今度の相槌は、溜息を吐いたんじゃない。葵につられてか、笑顔が自然と浮かんでいた。

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