第4話

 家に帰ってスマホを見ると、順平からのメッセージが入っていた。同期会だということは伝えていたからだろう、楽しかった? と短くひと言。早く帰りなよ、とか、女子の集まりに水を差すことは言わないけれど、疑問形にすることで私からのリアクションを期待できる、そんな気遣いが見て取れた。私なんかに、とは思うけど、彼のひいき目がなかったとしても若い女は色々気を付けるべきだということは一応分かってる。


 荷物を置いて、顔を洗って──鏡の中のすっぴんの私はできるだけ見ないように──部屋着に着替えて、パソコンを立ち上げる。それから、私は順平に電話をかけた。葵と話していたら思ったより遅くなってしまったから、心配しているかもしれない。


『──琴美? お疲れ』

「うん。メッセージありがと。あのね、みんな相変わらずで楽しかった」


 案の定、何秒も待たずに順平の穏やかな声を聞くことができた。まさか、スマホを睨んで待っていたのかな。


「式の予定も発表してきたよ。みんな、空けといてくれるって」

『そっか、嬉しいな。これから色々詰めなきゃだけど』

「そうだね」


 相槌を打ちながら、私は右手でマウスを握ってウェブブラウザを立ち上げた。目当てのサイトはブックマークに登録しているから、会話を途切れさせることなく、滑らかに開くことができる。


「でも、その前に指輪、見に行きたいな、って」

 悪戯っぽく囁いてみると、スマホの向こうで順平が息を呑む気配がした。いつも穏やかな表情の彼が、大きく目を見開いたところが見えるみたい。

『……ほんと?』

「うん。えっと……一生もの、でしょ? まずはネットとかで目星つけなきゃだと思うんだけど」


 結婚式で、両親や友達の目を誤魔化すためだけの安物じゃない、何年も何十年も使うであろう、「ちゃんとした」結婚指輪を──順平の震える声に少しおかしくなりながら、私は念を押すように付け足した。これまでは、その分のお金を整形に使わせて欲しいと言ってた私が、急に意見を変えたのだ。順平が驚くのも動揺するのも、そして疑うのも当然だろう。でも、きっと最後には嬉しいと思ってくれるはずだ。


『じゃあ……『あのこと』は諦めてくれた?』


 彼にとっては、整形、なんてはっきり口に出すのも憚られるような言葉らしいから。多分、そういう選択を採る人が世の中にいることも許せない、なんてことはないだろう。将来を考えた──考えてくれてる──相手がだと、ものすごく抵抗があるってだけで。


「うん。今日ね、それもちょっと相談したの。それで、少し楽になったから」

『琴美、良い友達を持ったね』


 だって、こんなにしみじみと呟いてくれるんだもの。私の判断に任せると口では言ってくれていたけど、反対しても意固地になるだけだと思ってたのかもしれない。


「うん。本当に」


 順平とのやり取りは、次のデートの予定に移っていく。会って遊ぶだけじゃなくて、式場選びとか、お互いの両親の顔合わせのためのレストランかホテルを探したりとか。面倒で大変だけど、きっととても楽しくて幸せなこと。


 そんなことを話しながら、私は例の美容クリニックのホームページの、ウェブ予約フォーマットを開いていた。もう何度も訪ねて、何なら途中まで入力したことだってある。その履歴をブラウザは覚えているから、片手にスマホを構えて、手元に手帳を開きながらでも送信画面に辿り着くことができた。


『次に会えるまでちょっと空いちゃうね。仕事、忙しいんだ?』

「たまたま重なっちゃった感じかな。でも、電話はできるから」


 私が何をしているか、順平は想像だにしていないだろう。「送信完了」の画面と、それから予約確認のメールを確認して、でも、私は不思議な満足感を味わていた。

 葵は、整形してもしなくても変わらなかった、と言っていた。でも、誰も人の顔なんて気にしてないことが分かって安心した、とも。整形したことを後悔しないための強がりではないと思う。あの子の晴れ晴れとした笑顔は、心からの、自然に浮かんだものに見えた。


 葵は、だから整形しなくても良いんじゃない、って私に言おうとしていたんだと思う。考えてみるね、と言って別れた時の雰囲気は、多分そういう感じだった。順平と同じく、整形は「よっぽどのこと」で「やらないに越したことはないこと」と思っているみたい。あの子自身が満足していることと、それを友達に勧められるかどうかはまた別の話なんだろう。そういう感覚は、よく分かる。他人と自分はまったく違う存在だもの。葵を良い子だって、外見よりも中身だって心から思う一方で、私は自分自身にはそれが当てはまらないと思っている。


『なんだっけ、ウェブ会議のアプリ、あるでしょ。あれなら顔見て話せるよね』

「ごめん、そういう設定、よく分かんなくて」

『設定してあげるよ』

「うん、じゃあ次にうちに来てくれた時にお願い」


 でも、葵のあんな顔を見ちゃったら、どんな気持ちになるのか試してみたいじゃない。本当に気付かれないものなのか──本当に、誰も私を見ていないのか。百聞は一見にかずって言うじゃない。葵から聞いた話だけじゃなくて、自分で試してみないと納得できない。

 だから順平に嘘を吐かなくちゃ。美容クリニックの予約も、手帳の空いたスケジュールも、会議アプリの設定くらい、自分でできないはずないってことも。みんな、彼には言わなくて良いことだ。

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