第7話

 帰ったらすぐ調べるつもりだった。

 店がある場所や、写真で見ただけじゃわからないケーキのことを。悠太さんが焼いてくれそうなケーキがあればいいなって思う。

 桜宮商店街が学校から近ければ、悠太さんと見に行けるかもしれない。お兄さんと一緒にケーキを選べるようなひととき。悠太さんには執事としての仕事があるし長くはいられないだろうけど。


「お店にはココっていう女の子がいるんだ。それで」

「聞いてないのに、なんで店のことを話す」

「ごめん、話せることがほかにないから」


 またつまらないことで謝ってきた。

 知りたいことを話されたら調べる楽しみがなくなってしまう。調べて見つけたいんだ。悠太さんと一緒に笑えることも、ショコラとシフォンに聞かせてあげることも。


「言っただろ、君はサポートに徹していればいいって」


 階段を昇りきって見えた、戸が閉められたいくつもの教室。

 そうだ、確かめなきゃいけないな。僕の家のことや父さんのこと、日向が先生から聞いているのかを。僕が黙ってても日向が口を滑らせでもしたら。そうならないよう、聞いてるなら口止めしとかなきゃ。


「君、僕のことで何か聞いてるのか?」

「ううん、仲良くするよう言われただけだけど」


 安堵する僕の前で日向は首をかしげる。

 知ってるのが先生だけならそれでいい。余計なことを言う人には見えなかったしバレる心配はなさそうだ。それにしても転校するなり遅刻だなんて、悠太さんに話したらどんな顔するだろう。


「僕達の教室はB組。大丈夫かな……こんなに遅くなって」

「遅れていいって、先生に言われてるんだろ」

「その、雅先生じゃなくて学級委員長が」


 同じ顔に浮かんだ困惑。

 たぶん、日向は人のことを考えすぎるんだ。空気を読むとか、状況を見て動くこととは違う。怒らせたり傷つけることを恐れ、言いたいことや言うべきことを封じ込めてしまう。

 とはいえ、ずっとここにいる訳にもいかない。

 今は日向を動かさなきゃな。


「何してるんだ? 君が行かなきゃ教室に入れないだろ」


 慌てたように歩く日向を追い歩く廊下。

 壁に貼られた掲示物。プリントより目立つのは手描きのポスターだ。カラフルな色合いに不釣り合いな絵。僕も何かを描けるだろうか。絵を描くのは好きなんだ。

 日向が足を止めた教室の前。聞こえてくるのは男子生徒の朗読。国語の時間なのか。

 戸に触れた日向の手が震えている。

 同じ顔の僕達を前に、どんな反応をされるかの不安。新しい日々がどうなるのか……わからないけど、僕の自由は解き放たれた。


「開けるよ、結城君」


 ゆっくりと戸が開けられていく。見え始めた先生と知らない顔の生徒達。彼らが反応を見せたのは戸が開ききったあとだった。

 向けられた先生と生徒達の目。

 途切れた朗読のあと、響きだしたざわめきとガタンッという物音。

 席を立って僕を見てる女の子……ありすだ。


「みんな静かに。授業の途中だが紹介しよう、転校生の結城翼君だ」


 閉められた戸と立ったままの日向。

 先生の『席へ』という身振りに反応し、日向は足早に僕から離れていく。


「結城君、みんなに挨拶を」


 先生に背中を押されるまま一歩踏みだした。


「結城翼です。よろしくお願いします」


 前の学校名は伏せ頭を下げた。

 途切れないざわめきと、僕を指差し顔を見合わせる生徒達。その中でありすは立ったまま顔をひきつらせている。


「結城君の席は1番うしろの窓際だ。佐倉、昨日の威勢はどこに行ったんだ? 」


 ありすの体が弾かれたように揺れ、こわばった笑みが浮かんだ。不安げにありすを見てる子、確かまなかって名前だったっけ。あの子も同じクラスだったのか。


「彼女は学級委員長の佐倉ありす。私がサポートするってはりきってたんだが」


 きゃあっ‼︎ とでも叫ぶように、開いた口を両手で塞ぎもごもごと何かを呟いている。ありすの慌てようが僕に告げるのは腹を立てていた理由。先生がサポートに選んだのが日向大地だったから。そんなことで僕をチビ呼ばわりするなんて。

 日向は長びいた遅刻を怒られると思ったみたいだけど、あの様子じゃそれどころじゃなさそうだ。


「みんな仲良くするように。結城君が席につき次第、授業を進めよう」


 先生にうながされ席に向かう。

 向けられる視線とざわめき。日向の顔が赤いのは、僕と交互に見られている恥ずかしさからか。

 僕と目が合うなり人懐っこい笑みを浮かべた男子生徒。気づかないふりをして彼の横を通り過ぎた。

 ざわめきと集まる視線の中、空席だった机に触れ感じ取る冷たさ。


 僕が席についたのと同時に響きだした黒板をなぞるチョークの音。先生の声を聞きながら教科書とノートを広げた。登校中知った来夢という洋菓子屋、僕と同じ顔の日向大地。不本意な転校初日の遅刻……来夢のことは悠太さんに話すけど、他のことは黙ってたほうがいいのかな。


『ミントが教えてくれたから。変えていける魔法があることを』

『僕は……ミントを信じる』


 僕の中を巡る日向の声。

 来夢に行けばミントに会えるだろうか。


 微かな期待と同時に、僕の奥底で響く声。


 魔法なんてこの世界にありはしない。

 あると言うなら……僕に見せてみろ。








 ***


 チャイムが鳴る音が響き、先生が教材を手に教室から出ていった。1時間目の授業が終わり、教室がざわめきに包まれる中ひとりの男子生徒が近づいてきた。席に向かう途中、僕に笑いかけた子だ。


「はじめまして、僕は佐野拓也」


 緊張や警戒する素振りを見せず笑いかけてくる。僕の気づかなかったフリには気づいてないみたいだな。


「君に会うの楽しみにしてたんだ。ね、日向君」


 佐野の弾む声は、日向だけじゃなく何人かの生徒を振り向かせた。

 顔をこわばらせ、僕を見るありす。

 日向が席を立つより早く、ありすが近づいてきた。

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