第184話 濁りゆく平穏 1

 王都アズノロワ城の絢爛な廊下を、十将第七席ラナロフ将軍が靴音高く闊歩していた。

 昼を少し過ぎた頃合いである。執務に向かう政務官、警護の為に巡回する兵士、甲斐甲斐しく掃除に精を出す使用人。行き交う人の影は多く、そしてその殆どが、すれ違うラナロフの姿を盗み見ては通り過ぎていく。



「…衆人環視とはこの事か…」


 苦笑いを浮かべながら執務室に戻ったラナロフを、薬湯片手のギャラルが迎える。


「お疲れ様です、将軍。心労が絶えませんね…ちょっと出ただけでじろじろ見られるんです、休まらないでしょう?」

「仔細ない。元より十将は民達を見守り、また見守られて育つものだ」


 自分の席には戻らず、ギャラルの向かいに腰を下ろしたラナロフは、少し逡巡した後、ゆっくりと口を開いた。


「…とは思っていたのだがな。何をするにも、こうも皆の視線に晒されるとなると…流石に少し堪える」

「でしょうね…僕なら到底耐えられません」


 心配そうな面持ちのギャラルに気付いたラナロフは、大きく息を吐くと口角を上げる。


「少し付き合ってくれないか。折角の秋晴れだ、籠っているばかりでは気が滅入る」



 眩しいまでの夕暮れが、アズノロワ城と取り巻く市街、そして城壁に立った二人をも染め上げる。緩やかな寒風が空気を凛と澄ませ、領土の先の先までもが鮮明に見えていた。


「思っていた通りだな…こんな日は絶景が望める。やはり外に出てみて良かった」


 努めて明るい声を出すラナロフの二歩後ろを、ギャラルは黙ったまま付き従った。自らの信念に誓い、孤独な戦いを独り続ける将軍の思い悩む表情は、背中越しには分からない。


「…我が母国は素晴らしい。こういう景色を目にする度、何度となく実感してきたものだ。この打ち震える思いを上手く言葉に出来ないのは、誠にもどかしい限りだが」

「…大丈夫。充分、僕には伝わっています」


 言葉少なにギャラルは返した。国や立場こそ違えど、己の中の愛国心に従い、その他の全てをなげうっているという点に於いて、二人は思いを共にしている。


「全ては…そう、全てが母国を護る為だった。国民をして至宝と言わしめるあの第一席さえ疑ったのも、全てが」


 静かな口調で自らに言い聞かせる様に、ラナロフは語り続ける。


「だが、ふと気付けばどうだ。いつの間にか私には国賊、謀反人の嫌疑がかけられている。どれほど言葉を尽くしても、湧き上がり続ける不愉快な噂の中心には、いつも私の名がある。事実無根だ。…私は…何もしていない」

「えぇ。勿論、存じ上げています」


 ラナロフの語尾に被せる様に応じたギャラルは、その大きく孤独な背中を見つめている。風にはためく外套だけが、無言で訴えていた。


「…少しばかり疲れた」


 ぼそりと漏らされた言葉は、本当なら秋風に飛ばされてしまうところだった。だが、耳ざとく捕らえたギャラルの身体は反射的に動いた。鋸壁の間から縁にふらふらと歩み寄っていくラナロフへと、必死に手を伸ばす。


「将軍!いけません!」



 伸ばした手の先に、ラナロフの姿はない。だが、眼下に広がる街並みに散ってもいない。


 ギャラルの手がその外套を掴むよりも早く、ラナロフは身を翻していた。自分に向けて伸ばされた手首を右の手で乱暴に握り、左手では背の辺りを掴み、城壁の外へとギャラルを放り出す。


「…くっ…!」


 宙に投げ出されたギャラルは、腕輪の留め金を外して城壁に投げつけた。鉤状の留め金が鋸壁の凸部に架かり、繋がれた頑健な細い紐のみが体重を支える。

 間髪を入れず壁の側面を跳ねる様に蹴ったギャラルは、三度目の跳躍で再び城壁の上へと舞い戻った。ただ、ラナロフとの距離は大きく開いている。


「あそこから生還するとはな」


 低く構えたギャラルを見下ろしたラナロフの目は冷たい光を帯びている。


「とんだお戯れですね、ラナロフ将軍」


 睨む様に見上げるギャラルは、口角を少し上げる。


「…とでも僕が言えば満足かい?そろそろ正体を明かしたらどうだ」

「見抜かれていたか。スロデアの客人はやはりただ者ではないと見える」


 言うが早いか、ラナロフの姿をした何者かは地を蹴りながら抜剣した。疾風のごとくギャラルに肉薄すると、短剣を鞘から抜く暇も与えず、下から刃を斬り上げる。


「が…っ…!」


 おびただしい血しぶきが夕空に舞い上がる。虚ろな眼でこちらを見るギャラルは、手にした短剣を力なく落とし、自らの血溜まりの中へと倒れ込んだ。



「先ずは厄介な客人を無事始末した。これで将軍がスロデアに攻め込む筋書きに説得力が出る」

「具体的には?」

「当初の予定では、謀反の理由など、どうとでも後付けするつもりでいた。だが、あれの出身を利用しない手はない。命を狙われた事に腹を立て、私兵を動かしスロデアに報復を企んでいた事にすれば良い」


「なぁるほど…これで、こそこそ嗅ぎまわっていた将軍を上手く始末出来ると」

「あぁ、そうだ。ラナロフは勘が鋭い。それに鼻も利く。これ以上探られると面倒だ」

「確かに…計画に支障が出る可能性がありますからね」

「うむ。戦を起こしてでも六災を我がデルヴァンに集め、火竜レギアーリを討伐し、我が国の繁栄をもたらす。全てはその為に、努めて秘密裏に進まねばならん」



 そこまで話した後、男はふと気付いた。

 …俺は一体、誰と話している?


「やはり、見立て通りに進んでいましたか…リュン、今の彼の言葉、聞いたね?」

「あぁ、勿論!しかとこの耳で!」


 聞き覚えのある声に、男の焦りが急激に募った。


「貴様…死んでいなかったのか?!姿を見せろ!」


 そう叫んでから、男は自分に視界が奪われている事に更に気付いた。いや、正確には前後左右、頭上から足元まで、見渡す限り漆黒の中に立ち尽くしている。


「流暢に良く話してくれたね、礼を言うよ。ついでにもうひとつ教えてくれないかな…ラナロフ将軍をどこに監禁してる?」


 ギャラルの声のみが暗闇の中に響き渡る。


「馬鹿め!ラナロフなど、とうの昔に殺されたわ!」

「それは無理があるよ。将軍を謀反人として民衆の前で首を撥ねなきゃ、ガウロ将軍の御威光は高まらないんだから。そのうち始める戦の為に絶対的な力を得たいのなら、今はまだ殺せない。そうでしょ?」


「黙れ!将軍ならヴォルゾワにあるシュナイゼン将軍の別邸に幽閉しているなどと、誰が口を滑らせるものか!」

 意地悪く叫んだ後、男は思わず両手で口を覆った。自分の思惑とは関係なく、勝手に口を突いて言葉が漏れ出る。


「そっか、分かったよ。色々と話してくれてありがとう、助かった」


 暗闇の中、少し先に、ギャラルの姿が浮かび上がる。混乱と怒りに震える男は、向けられた満面の笑みに逆上した。手にした剣を構えて走り出す。


「そこを動くな!今殺してやる!」



 男が喚き散らしながら剣をかざし、自ら城壁の外へと身を投げ出す様に、リュンは言葉を失っていた。


「どういう形でも、僕が執務室を出たらついてきて」


 事前に彼がギャラルに言われていたのはこれだけである。言われた通り、リュンはその一部始終を見ていた。

 二人は、何もしていない。城壁の上でしばらく佇んだ結果が今の顛末である。スロデアの諜報ギルド「名も無き銀貨」の底知れぬ恐ろしさを垣間見た気がした。


「さて…ここからどうするかだね」


 何事もなかったかの様に、ギャラルは腕を組むと独り呟いた。

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