第157話 レジアナの長い二日間 2
幸運にも、最初に訪れた宿―物静かなカササギ亭がニザ達の構えた拠点だったけど、皆に会う事は叶わなかった。聞けば、何度目かの迷宮探索に挑んでいるという。
「じゃあ、空きはもう全くないって事ですか?」
女将と交渉しているのは、入手出来なかった六災の代わりについてきた盗賊、ディジオだ。
ガベルなら誰もが知っている義賊は、地下牢を抜け出したところで行く宛てがなかった。私らはどこへなりと消えて貰って構わなかったけど、救われた恩義でも感じているのか、今じゃ小間使いさながらに、面倒ごとを進んで買って出てくれている。
「あぁ、お陰様で商売繁盛だよ。うちは団体客が多くてね、部屋数もそれなりにあるんだけど、もう満室なんだよ。こりゃ増築でもしなきゃならないか…って、今朝も旦那と話してたところさ」
「…だそうです。他を当たりましょう」
肩を落とすディジオの報告を受けながら、私は酒場を兼ねた宿屋の広間を見渡した。時間が早いからか、席はまだまだ空いている。
「その前にここで腹ごしらえにするよ。飯でも食いながら疲れを癒して…宿探しはそれからでも間に合うだろ。私は少し市場をぶらついてくる」
「独りで…ですか?」
ネネイがしっかり疑惑の目を向けてくる。でも、何の疑いも持たれず、これをかわす術を私は知っていた。
「折角こんなところまで来たんだ、屍術に使える薬や魔具なんかを少し物色してくるよ。すぐ戻る」
「なるほど…分かりました、お気を付けて」
ほらね。
街で一番立派な大通りに出ると、見渡す限りの人混みの中を、流れに任せてのろのろと進む。祭でもないのに、この混雑は圧巻と言う他ない。スロデアじゃなかなかお目にかかれない賑わいだ。
一見のんびり歩きながらも、気だけは常に張り詰めておく。少し先に見える櫓の上、たった今すれ違った一団…兵士達が自分を監視の対象にしている事は、送られてくる視線と、向けられた顔に浮かぶ警戒でありありと分かっている。
もっとも、今更そんな事実を確かめる為に雑踏に繰り出したわけじゃない。屍術に用いる薬がどうとかも、勿論、単独行動する為の言い訳でしかない。
大通りから小路に入り、更にぶらぶらと歩き、目に付いた適当な小路に歩を進めた。立派な露店の数と巡回する兵士の姿は、何度か角を曲がる度に減っていき、代わりに胡散臭い品ばかりを並べた怪しげな店と、壁にもたれかかる目つきの鋭い男どもが目につく様になってきた。
「おい、あんた」
背後からの問いかけに、最初は聞こえないふりをしてそのまま歩き続ける。
「そこのお前だよ、赤い髪の女ぁ!」
随分と挑発的に呼ばれてから、足を止めてゆっくり振り返った。
「…私の事か?」
「他に誰がいるんだよ、あぁ?」
目の前に居並ぶ男の数は五人。先頭で凄む間抜けな顔の男を筆頭に、二人ずつが二列、その後ろから顔を出してニヤついている。大方、数で威圧しようとでも考えているんだろう。
「…何の用だい」
絵に描いた様なごろつき然とした佇まいに、思わず返事に溜息が混じってしまったが、男達が気付く素振りはこれっぽっちもない。
「いやさ、俺達これからちょっと酒が飲みたくてよ。ただ、残念ながら持ち合わせがねぇんだ。少しばかり貸してくれるとありがてぇんだがな」
「それなら話が早い。急いでるんだ、これで勘弁してくれると助かるよ」
懐の小銭を間抜けな顔の鼻先に投げると、三枚の銅貨が地面で音を立てた。途端に、ごろつきの顔が真っ赤になっていく。
「おい…ふざけてんのか?これで酒が飲めるかよ!」
「それはそっちの事情だろう?『貸して』と言われたから素直に従っただけじゃないか。いくらなんでも、わがままが過ぎるってもんだ」
「良いから有り金置いてけや!」
これだけおちょくっておけば、こうなるのは分かってる。額に何本も青筋を浮かべた男は、一切の力加減なく殴りかかってきた。
…それにしても遅い。季節が春なら、蝶が拳に卵のひとつも産み付けかねない。
相手と同時に踏み込むと大きく屈み、次の一歩を踏み出す代わりに、右足を天高く蹴り上げる。ブーツの爪先が顎を捉えた感触を感じた時には、男の身体がぐるんと弧を描く。
だが、その顔が地面に激突するのを待っていられるほど、私の気は長くない。地面を強く蹴り、後ろにいた男の腹に肩から激突する。
踏まれたヒキガエルに似た声を上げて吹っ飛ぶ男を目にすると、並んで立っていた一人が何か叫びながら拳を振り下ろしてきた。まぁ、普通はそうなるだろう。
ここは俗に言う裏路地だ。左右を壁と壁に挟まれ、二人並ぶのがやっとの細い道。そんな狭い空間で、周囲の仲間に配慮しながら、自由に立ち回る一人の人間を相手に、上手く殴りつけるのは無理がある。
やっぱり、放たれた拳には力も速さも乗っていない。腕を両手で取ると、向かいの壁を蹴って空中で身体を捻った。片膝を着いて着地した時には、肩を外された男が叫び声を上げ、のたうち回っていた。
ゆっくり立ち上がって土埃を払う。視線の先では残る二人が、それぞれ手に短刀を構えて殺気立っていた。まぁ、これも勿論想定内。一瞬でここまで劣勢に追い込まれれば、武器を手にしたくなる気持ちも分からなくはない。
私の前では、極めて悪手だけど。
右、左と斬り下ろされる二本の切っ先をしばらくかわし、三歩だけ距離を取った。思った通り、刃物を使い慣れていない。ご自慢の武器が当たらず苛立った男の一人が、胸元目がけて突いてくるのを待って手刀を二回。最初に手元から短刀を叩き落とし、次に男の後頭部に一撃。
白目を剥いて伸びる男を見下ろしながら、私は転がる短刀を手に取った。独り残された男の顔からは、敵意も余裕もなくなっている。
「もう止めておこうじゃないか。その方がお互いの為だ。…そうだろ?」
私だって、何も好き好んで人を殴りたいわけじゃない。暴れれば、それなりに手や足だって痛む。余計に疲れるのは御免だ。
…それに、この男には訊きたい事もある。
何度も首を縦に振る男は、すっかり腰が引けたのか、両手で胸元に短刀を握ったまま、小さく震えている。そのすぐそばに詰め寄った。
「誰の差し金なんだい?私の首にはいくらかかってる?」
さっきの立ち回りを見る限り、こいつらは明らかに喧嘩慣れしていない。大方、つまらないこそ泥や、無駄な大声での恐喝で飯を食う類のごろつきなのだろう。
そんなけちな連中が、持ち慣れない武器を手に、私をつけ狙う理由はひとつしかない。破格の報酬だ。
残念ながら、震える男の口からはその先を聞く事は出来なかった。男達とは逆方向の小路の先から、何人もの人影が駆け寄ってくる音がする。こいつらと同じ輩か、それとも監視し続けている兵士か。
どっちにしろ、今見つかると厄介なのは間違いない。小さく舌打ちすると、道端の朽ちかけた木箱に飛び乗り、何度か壁を蹴って屋根の上へと身を躍らせた。
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