第156話 レジアナの長い二日間 1
「だーかーらー!分かんない人だなぁもう!人違いですってば!」
兵士達を相手取り、顔を真っ赤にしながら反論し続けるネネイの横で、私はとうの昔に閉口していた。
ガベルでの六災入手が空振りに終わった後、共に抜け出した囚人達の帰郷の面倒をある程度見届けるまでにふた月を要し、「そこまでする必要はない」とネネイにちくちく小言を言われながら国境を抜け、昼前、ようやくマドゥルに着いた矢先。
「失礼ですが…貴女、お名前はレジアナではありませんか?」
…確かに、わずかに呆けてしまっていたのは認める。地下牢から今に至るまで、満足に休む暇もないままだったから致し方ないとは自分でも思う。
事情はどうあれ、その問いにうっかり「そうだが何か」などと答えてしまったのが運の尽きだった。詰所の兵士達から全く身に覚えのない貴族殺しを問い質され、
「ここはガベルではないので罪に問われる事はありませんが、貴方の行為は人としてやって良い事ではありません。早々に引き返し、大人しく罪を認める事をお勧めしますよ。ね?」
などと諭される始末。まぁ…未亡人という点だけ偶然一致はしているけど、何度話をされてみたところで、身に覚えがないのは間違いない。
「そうは言われましてもねぇ…我々も、『レジアナという赤い髪の女性が来たら教えてくれ』と頼まれたわけでして…」
「あぁ?どこのどいつにだよ?そいつ連れてきてくれねぇかな。そしたらこんな茶番、すぐに終わるんだがよ」
「俺達ゃ長旅で疲れてんだ。さっさと街に入れて宿取らせてくれや。それとも何か?ここで一晩、あんたらと楽しく喋りながら夜を明かせってか?」
仲間達は強面全開で兵士達に詰め寄っている。その気持ちは非常に有り難いが、このままだと別の問題に発展しかねない。
溜息をつきながら、私は出まかせを並べ立てる為に口を開いた。
「世の中ってのは広いんだねぇ…そこまで私に似てる人間がいるだなんて思いもしなかったよ。何度も言ってる通り、残念ながら私はあんた達が聞いてた尋ね人じゃないよ。本当に、ただの旅芸人の座長さ。
納得出来ないなら、軽業のひとつも披露すりゃ良いかい?」
こちらの問いかけに、兵士達は何やら小声で相談してる。わざわざ意見をかわすほどの事かね…頭が痛くなってきた。
「分かりました。では…お手数ですが、私達が全員唸るほどの軽業をお見せいただけますか?」
馬鹿馬鹿しいにも程があるとは思うけど、ここまでくるともう立派だ。腹の底から笑いがこみ上げてくる。
「…はいはい、それじゃしかとご覧あれ。皆さん、ちょいと手伝っていただける?」
苦笑いを噛み殺しながら、四人の兵士を等間隔で立たせ、ネネイから受け取った林檎を全員の頭にひとつずつ乗せる。一番右の兵士の前に立つと、私は腹から息を長く吐いた。
右脚を振り抜いた上段の蹴りでまずひとつ。
その脚を軸にして、二人目の林檎は左脚の後ろ回し蹴りで。
丁度正面で向き合う形になった三人目の前で、前方に宙返りしながら三つめ。
着地してすぐ、四つめは右の踵落としで割る…と見せかけて、軌道を変えて林檎を左へと蹴り払う。
転げ落ちる林檎を左足の甲でそっと受け、勢いをつけて高く上げたら、落ちてくるのに合わせて高く跳ぶ。身体をよじって空中で蹴り割って、余興はおしまい。
「どう?ご納得いただけたかい?」
ぽかんと口を開けたままの兵士達からは、当然、異論は上がらなかった。
無事にマドゥルへと足を踏み入れはしたものの、さっきのやり取りはそのまま、心の片隅に引っかかっていた。
他人の空似にしちゃ、少しおかしな話だ。赤い髪の女なんて大して珍しくもないけど、名前まで一緒だなんて…そんな偶然があるものだろうか。これまで生きてきた中で、自分と同じ名前の人間になど会った事がないだけに、尚更違和感を覚える。
「ニザ分団長達が取ってる宿、なんて名前でしたっけ?」
「確か…なんとやらのカササギ亭…だったはずだよ」
私のうろ覚えの返答に、地図を見ながら歩いていたネネイが眉を寄せてこちらを見てくる。
「…そこ、一番肝心なところでしょ?総団長しか宿の名前知らないんだから、しっかりして下さいよ。ただでさえ『カササギ』が付く名前の宿屋が三軒もあるんですからね?」
そもそも三軒も似た様な名前の宿があるなんて知らなかった…そう喉まで出かかったところをぐっとこらえる。弁解すればするほどネネイの小言は増えるし、そうなれば果ては理詰めでこってり絞られるのが目に見えている。
「済まなかったよ…地図で一番近い宿から回っていこう、面倒をかけるね」
「分かれば良いんですよ、分かれば…」
口を尖らせたネネイはまだ何か言いたそうにしていたが、私の眼はその横顔の遥か奥、巡回する兵士達を捉えていた。
なるべく悟らせまいとはしているが、こちらを見て何やら小言で会話をしている。いや…こちらではない。きっと私だ。どうやら先の詰所で聞いた話は、私がこの街に到着する前、既に彼らの間に広まりきっている。
貴族を殺して逃亡している隣国の人間を目の当たりにした時、もし私が兵士ならどうするだろうか。自国の民でないからには、当然、この国で罪には問えない。
だけど、人を殺めて逃げている様な人間からは、目を離せるはずもない。
「それにしても良い天気だね…ふぁぁー…」
両手を高く伸ばし、欠伸をするふりをしながら、私は腰から上をわずかに回した。迷宮目当ての人間や亜人で溢れ返る往来には、治安維持の為、幾人もの兵士達が警備や巡回にあたっている。
露店と露店の間、三叉路の分岐点、ロギッツァ像の両脇、噴水の傍ら…そこら中にいる兵士達が、軒並みこちらを気にしている。
おぼろげに、私の中で何かが見え始めてきた。兵士に偽の情報を流したのは、私の自由を縛り、動きにくくする為に違いない。
なぜ、私を兵士達に警戒させる必要がある?考えるまでもなかった。恐らくはこの後、私に降りかかるだろう荒事を、なるべく速やかに進めたい奴の根回しなのだろう。
傭兵稼業に身を置いているからには、何かしらの恨みを知らずに買っている事も決して少なくない。だが、今回はいつものそれではないと私の勘が告げていた。ガベルからの帰路でこの展開は、あまりに出来過ぎている。
何者かの狙いは六災。しかも、入手出来ていない事を知らないまま、私らを…或いは私を襲撃しようと画策している。思わず深い溜息が漏れ出た。今回の遠征は、ただでさえ骨折り損だったというのに。
「…最悪だよ…」
「最悪?良くまぁ呑気に欠伸しといてそんな事言えますね?!」
傍らのネネイに睨まれながら、私は再び閉口した。やっぱり最悪だ。
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