赤の魔竜と歪の月
待居 折
序章
「一曲頼む」
うらぶれた酒場の隅でリュートをつまびく吟遊詩人は、声をかけられ、小銭を受け取るとにこやかに微笑んだ。
「どうも。…で、何を演りましょう?」
「銀月のエシューを頼む」
請われた吟遊詩人は少しだけ怪訝そうな顔をした。客の依頼は、長い叙事詩の中でもとりわけ人気がない章にあたる。
「銀月のエシュー…ですか?歪の月じゃなく?」
「あぁ」
銀月のエシュー。
遥か昔、この西大陸を震え上がらせた魔竜レギアーリに対峙した英雄の名である。
彼にはもうひとつの二つ名があった。そして、彼の物語を語る上では、そちらの方が一般的だった。
言う事をきかない子供を黙らせる時、良くない事が立て続けに起きた時。畏怖の具現者として、凶事の象徴として、その名はしばしば今も口にされる。
歪の月。
魔王として非道の限りを尽くした、堕ちた英雄エシューの別称である。
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