第2話
6月も半ばに入ろうとしている夜。分厚い雲がカーテンのように空を覆って、霧も出てないのに肌がいやに湿っぽい。
仕事が終わった帰り道、私はいつものように歩いて自宅へと帰っていた。何か理由があるわけでもない。始発の電車が出ない時間だから。タクシーで帰るような距離でもないから。人の出歩きが特に少ないから。日が頭をもたげる前の薄明るい空が好きだから。夜と朝が入れ替わる支度をしているこの時間が好きだから。
……思ったよりも理由はあるのかもしれない。
とりとめもないことを考えながら歩いていたら、気づけば家に着いていた。
築30年の2Kの部屋で家賃は毎月5万円。一人暮らしには十分な賃貸部屋。
ドアノブに手を掛けて、扉が開かない。はてと思って、そういえば最近は鍵をかけて出かけるようになったのだと思い出す。ポケットを探っているうちに扉の向こうで鍵の開けられる音。その意味を理解して嘆息しながら、私はドアを開けた。
「あ、と……」
出迎えたのは血色の悪い顔をした青年。こんな時間にまだ起きてるなんて……昨日今日のことじゃないとはいっても、目元の隈は当分取れる気配はないだろう。
「……健全な人間が起きてていい時間じゃないよ」
「……すみません」
「まぁ私にはどっちでもいいんだけどね」
鍵を靴箱の上に放りながら靴を脱ぎ、彼の口癖を背中で聞き流しながら傍をすり抜けて奥へ進む。着替えるのも面倒だから後にして、ひとまず向かうは冷蔵庫。
「あの、山本さん」
「なに?」
「あの、いえ……すみません」
何かをもごもごと言いかけて、それでも言えずに言葉が消えていく。言い淀む、って言葉があるけど、なるほど確かにこれは淀んでいる。こんな有様じゃ心を読まなくったって何を考えてるか大体わかる。けれどそれを口にするほど私も子供じゃない。
「プリン食べるか寝るか、どっちにする?」
冷蔵庫から2つ出して、スプーンと一緒にテーブルに置く。仕事場から買ってきた新商品。密かに楽しみにしてたやつ。
彼はまた暫く考えて、何か呟きながらテーブルに着いた。きっとまたすみません、だったんだろう。
「あの、山本さん」
「ん」
「いただきます……」
小さく手を合わせてスプーンを手に取る彼を見ながら、私も蓋を剥がして食べ始める。
2Kの部屋は一人で暮らすには充分な広さだった。今は少し、手狭になったと思う。
そんな変化が訪れてもう1月が経とうとしていたけれど、これといって特別な感慨はわかなかった。一人で食べても二人で食べても、プリンは変わらず甘く滑らかだった。
鉄錆味の拾いモノ @TEKKAMEN
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