本の感想が苦手さん

A:本の感想がー!!書けないっ!!

なんとかして下さいセンセー!


B:まぁとりあえず……書かなければ?


A:か、書きたいの。書きたくないんじゃなくて、いや、こんだけ書けないと書きたくすらないけどっっ、この本読んで面白かったよーってのは伝えたいの、書き表してみたいの。多分。


B:読むのは好きだけど、何か後から考察とか他の言葉に置き換えたくないのかな?


A:咀嚼はしとるつもりよ。


B:そうだろうねぇ。


A:自分の芯に突き刺さってるから、それを開示するのはちょっと。抵抗があるかもしれない。


B:性癖にどストライクって書くと正解?


A:どストライクじゃなくても、充分楽しめますから。


B:あー陰キャでも守備範囲は広いわけだ。


A:どどどどしたらいい?(滝汗)


B:どうしたいんだよ? まさかフツーの感想が書きたいのかい? 「君」が目をつけるところがだいたいにおいて特殊点ばかりなのに?


A:お前はなんでそんなにきっぱりはっきり、間違わずにものが言えるんだよう。


B:ラクしたいからだよ。本当のことをそのまま言って、え、何、意外、とか思われるより、与えたい印象を固定すると、わりと自由に振る舞えるんだ。

まあそれには、そうじゃないんだけどなーということも含めて人の意見を否定せずに引き受ける必要があるけどね。

──言葉も同じだろう。おそらく。


A:……。本当のことを言えなくて苦しくないの?


B:言えないんじゃない、言わないんだ。

それはキミも同じだろう。変り身をつかって物語を書いて、束の間の自由を謳歌することに不自由を感じているかい?


A:そこしかないと思うくらい、数少ない場所の一つだ、たしかに。


B:はー面白い、はーすごい、そうした感想のなぜ? を突き詰めて行けば自分だけの理由がはっきりする。

多分、そうだな、そのへんの汲み取りは練習もいらないかもしらんね。

だが、人に見せる段になるととたんに腑抜けになってしまうのか。きっと肯定するならそれは、キミが言葉を大事にしてるからなんだろうなー。どうでもいいと僕なんか思うけど。何を書いてもキミの心は壊れないよ、本当の感想がキミにとってのそれの価値が汚されるどころか、1ミリの傷だってつかないだろう。

だって、そう思うこと、行動することすべてが尊いキミの行動だ。

僕から言えることは何も恥じるなってこと。感想を書くこと、見せること、教えることを。同じように誰も傷ついたりしない、傷つくのも傷つけるのも常に自分自身なんだよ?


A:暴論だ。


B:そのぶっきら棒で無愛想なところすべてが、愛してやまないキミなのだと気付いたかな。


A:こんな自分でも、愛すか。


B:やあやあ、僕の仲間だね!


A:光栄ですこと。




<あとがき>


読書感想文が大昔から天敵な私です。


物語を書くのは好きです、何書いてるのか分かんなくなっても、字に浸かっていれるくらいには。

本でなければ、感想を書くことはできていて、まぁ、買った物とか、復命書とか。


書けそうな技量がありそうなのに、本の感想文になると頭の中がパニックになるんだね。

どこのメモリから持って来たのか、考えることが端から定型文に変換されていって、どこかで聞いた言葉しか出てこない。

アナフィラキシーショックのじんましんみたいに。


書きたくない気持ちと向き合うだけで疲労するので、これはもうがんばって書こうではなく、この機会に克服する覚悟が必要だと思いました。(今頃)


でも向き合いたくないんで、誰か言い当ててくれる奴いないかな、と。話し相手をバールにしようか迷って、いやぁ、ここは教師の中の教師だろうと、もう少し辛辣で容赦のない心は海のように広いW・グロッケンスピールと対談。


自分の身長以上あった感想を書くハードルが20cmくらいの高さになりました。パチパチ。


対談で言ったように、自分の感想は自分だけのものという思いが強く、自分を見せて添削されることは恐怖でもあり、自由を奪われる感覚なのだと思います。


それはどうでもいいこと、と切って捨てられてますが、裏を返せば防衛本能なのだろうと理解も示されます。


理解はするが、守ろうとしているものは、守らなくても変わらないというのが、グロッケンスピールの意見。

反射の意見ではなく、色々な角度から確かめた上での結論として述べる辺りが教師としての面目躍如なところ。


訳>何事も誤解されるのは当たり前でしょ。まず感想文が、心に生まれた本当の感想を正確に写し取ることはないだろうし、誰も心(真実)を覗き見ることはできない。なら、何を書いても大して本当ではないし、平気でしょう。


この辺りで、酷いとは思いました。それじゃあ、嘘書いてるみたいじゃん。


訳>それがどんなに真実から遠くても、感想を抱いた心と向き合うこと、そして書き表してみること、そうした行為は努力に値するものだよ。


運動会の、参加することに意義がある的なマクロな解答をされた頃には、読書感想文に対する怖気のようなのものはなくなったというか、悪い言い方かもしれないけれど、感想文めっちゃどうでもいい気分で今なら書ける状態でした。


仕事の一環でその日にやるしかなかったので、地震に見舞われながら(ちょっと断水した)勢いで4本くらい書いてます。

対談に1時間かけ、感想執筆に2時間かかってる。


そんなもんです。単純です。


(ただ、小説は入ってないから本当に克服したか分からない……最近、小説本読んでないんだなあ)


同僚は書きたいことが浮かばないとか、書きたいことをピックアップして文章にしたけど、全体がつながってなくて、直してるうちにわけがわからなくなって来た、と悩んでます。


書けない理由も悩むポイントも人それぞれで、どうアドバイスしたらいいかわかりません。

私の場合、書きたいことは浮かぶかどうかの一瞬のことだし、浮かばなくても本の説明くらいはできるかな、それで充分かと思うところ。

情報の取捨選択や構成は、ちょっと時間をかけて細部まで詰めたり、訳わかんなくなって来たところからが文章を書く醍醐味だと思いますが、言ったところで絶対に参考にならないだろうというのは、察せられます。


アドバイスってそういうことじゃねんだろうな。


こっちはこっちで、書けるか以前に書くことへの抵抗に取り組むハメになったので、意外と問題は目の前の文章とは別のところにあるのだろうなとは思います。


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