感想は似顔絵に似ている(続・本の感想が苦手さん)

感想のことで頭がいっぱいだが、そろそろ正気に戻らないといかん。


小説の感想は克服したというより、なんで書けないのかがはっきりした。


小説はその他の本とは違うようだ。


書くならその「書けなさ」を回避して書くしかない。

無理矢理書こうと思えば書けるくらいには把握したらしい。

今回はエッセーみたいな感想文は避けて、小説みたいに書いた。それもどうかと思うが……気にしても仕方ないだろう。


上手く書けなくてすみませんって言おう。


小説以外は本屋の宣伝みたいな感想になり、その本を開かなくても触りがわかる、コンパクト版になった。


書く時は本に集中している。

本の内容と自分の知ってる印象のバランスに注意しつつ、読みたいように書く。


8本の犠牲になったものたち。エッセイ、図鑑、入門書、教養書、レシピ本、写真集、啓発本、そして小説。


小説以外はだいたいひと息に書けるようだ。それは何について書かれているかが、内容に関わらずはっきりしてるせいだ。

これらの本には見えない枠がすでに作られている。



小説はむり。


今回書いてみて、小説自体が不完全なものなのだと思った。

始まりは始まりではないし、終わりは本当の終わりでもない、いくらでも想像する余地のある物語の中の一つのストーリーラインを見せられて、抱く感想が綺麗な円になっていたら、それは美化し過ぎだろう読者のご都合主義だろうと疑ってしまう。


感想は物語以上に不完全で、ごつごつしてて歪だ。あやふやなものを言葉で固定して、とりあえずの輪郭を描くとしたら、なかなか力技だね。


それでも、何かを読んだ手応えはある。

他の本では得られない血肉になった手応えが小説にはある。


結局、参加することに意義がある運動会で、討死にするはめになったけど、感想や印象をそのまま書いては説明にならないので、自分のなぜどうしてだからを打ち明けるわけだが、それを回避したら、小説の印象が小説っぽくなる結果になった。


後からその本について同僚に話している時、自分が書いた部分が出てこないことに気付いて、物語の切り口が複数あることに思い至る。

どシリアスに書いてしまったが、人に話して聞かせる時は、むしろ印象に反した部分を列挙したくなるもんだということを、忘れていた。


さんざん人に話して来たのに……活かせなかった。


時間的にも実力的にも、今回はここまで。


もしまた書く機会があるなら、苦手な感想文とは違う終着点を見つけたい。


印象やあらすじの他に、多くの切り口を見つけて準備するのも丁寧かもしれない、目の前の文章をどうにかするためなら。


それより頭に浮かんでいるのは、その他の本は具体的になるように書いたが、物語は逆に形のない抽象さが感想の中心にあった方がいいんじゃないかということ。

冒険ならわくわくするし、恋愛ならどきどきする。物語の印象って細かい集積体であっても、つまるところ大きく総合される方がいい。それとも通底か。

感想を読んで小説から感じた副詞を受け取れたら、それが本当に伝えたい面白さなんだけどな。


そんなことできるのかなぁ。



サボってた(エ)のつづき、やんなきゃ。


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