第35話 死人ほど尊いものはない

「の、かもね」


 先輩は自虐的に笑った。

 肉体関係から離れた繋がりを、真剣に信じていた自分へ向けられた哀しみ。

 かも、か。

 逃げる。先輩は逃げる。自分のことを他人事にして逃げる。

 僕と、あまりに同じ。

 先輩の性格をひどく取り違えていたが、感じていたシンパシーだけは本当だった。

 彼女はきっと、セックスが嫌いというわけではない。だがそれ以上に、外崎との心の繋がりを信じていた。

 でも、知ったのだ。

 肉体と精神は決して別ものではない。どちらかが満ちているだけでは、駄目なのだと。

 今の性格は、その反動だろう。自分を護る殻だ。

 セックスについて難しく考えることは自分を孤独にすると知り、必要以上に奔放に振舞っている。

 それでも、密先輩は今まで「した」ことがないと言った。

 外崎と別れた後もなお、していないということだ。彼を想ってだろうか。

 彼女にとって外崎は死人のようなものだ。

 「死んだら二階級特進」なんてフレーズよろしく、外崎は「死んだ」瞬間、密先輩からの更なるプラスのポイントを得たのだろう。

 死人ほど尊いものはない。彼女にとって、外崎は消えることのない大きな存在だ。

 ポイントで圧倒的に劣った僕に、その隙間に入ることなどできるのか?

「その後、私が家に帰ってきても親はまったく怒らなかった。むしろ謝り続けた。私を押さえつけるとムチャしかねないから、優しく……悪く言えば腫れものに触るように接しようと決めたんだろうね」

 先輩は自嘲気味に言った。そうすることでしか、自分と向き合えないようだった。

「脚本も最近、書けないんだ。自分の中の唯一の免罪符だったのに。どうしようもないよね」

「えっと」

「怖いんだよ、人並み……違うね、特別な人間どころか、ふつうより全然下だって突きつけられるのが」

「さすがに、そうですねとは言えませんよ」

「樹くん、嫌なやつだ」

 密先輩は冗談めかしながら俯いた。

 その外崎の存在が、今も先輩に影を落としている。話によれば、先輩と外崎の関係は、彼が蒸発する形で終わった。

 今となっては、彼女の言っていたことだって、推測にすぎない。

 その不確定な推測だからこそ、先輩は苦しんでいる。答えがわからないから、考え続けてしまうのだろう。

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