第36話 明るくも優しくもない先輩

「外崎さんの連絡先ってまだ残ってるんですか?」

 僕は先輩に尋ねた。

「……」

 沈黙。消せなかったんだろうということがすぐにわかった。

「連絡先を消しましょう」

「え?」

「苦しいんです。先輩が、ずっとそのことを気に病んでいるのが」

「別に病んでないよ。もう、昔のことだから。もう七年も前だよ? そもそも、もう番号変わってるって」

「わかりました。じゃあ、最後に一回、電話をかける。それで出なかったら消す。どうですか?」

「どうして樹くんがそんなこと言うのさ?」

「それは……」

「私のことが好きだから?」

「そういうことじゃないんです」

 嘘だ。僕は嫉妬している。外崎が先輩の心に残り続けているのが嫌なのに、そのことをどうしても言えないんだ。

「わかった。かければ満足するの? かければいいんでしょ」

 先輩はむきになったように、乱暴にポケットから携帯をとりだした。画面をこちらに向ける。

 〈外崎〉と素っ気ない名字の登録と、電話番号が示されていた。

「かけるよ。どうせ出ないから」

「はい」

「……」

「……先輩?」

「わかってるよ!」

 先輩は画面と僕の顔を交互に見て、強く眉をしかめた。こめかみには、脂汗さえ浮かんでいる。

「もう、いいですよ。ごめんなさい」

 こんな風に彼女を追いこみたかったんじゃない。今謝れば、まだ……。

「樹くんが決めて」

「は?」

「かけるか、消すか。決めて」

「どうして僕が」

「最初に言い出したの、樹くんじゃん」

 先輩は拗ねたように言った。彼女の理屈は、僕にはずるく感じられた。どっちを選んだって、後悔が残るに決まっている。自分が責任を負うのを逃れようとしているんだ。

 だけど、そんな先輩の態度が、僕には愛おしく感じられた。

 明るくて優しくて、なんて都合のいい理想の人じゃない、弱い先輩を護らなくちゃいけない、と思った。

「……」

 携帯を受け取り、外崎の番号を見つめる。

 メニューを開き、「消去」を選ぶ。

〈消去いたします。よろしいですか?〉

「……いいんですね、僕が選んで」

「……」

 先輩はかすかに頷いた。僕にはそう見えた。

 OK.

 僕は震える指で、画面をタッチした。

 これでよかったんだろうか、なんて考えたくなかった。

 僕も、弱い。怖くて番号を消したくせに、その数字を頭に残し続けていた。取り返しがつかなくなることに怯えてしまったんだ。

 こんな方法じゃなく、堂々と向き合い、外崎より大切な存在にならなくちゃいけなかった。だけど、知りもしない外崎は僕にとってあまりに大きく、乗り越えられる自信など、まったくなかった。

 でも、そのかわり、僕は先輩の気持ちを絶対に救わなくちゃいけないんだと、自らを追い込んだ気持ちになった。

 先輩に携帯を返すと、彼女は頷き、教会の長椅子に腰かけた。

 彼女は僕を責めることはなかった。

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