談話室の朝食 - 皐月

 瞼に光を感じて、ゆっくりと目を開けた。寮の部屋はいつも通り、ほとんど物のない殺風景なさまで、特に感慨もない。ぼんやりした頭のまま、ベッド脇の机の時計をちらりと見て、憂鬱な気持ちになった。


 「あー…、食いっぱぐれちゃったかぁ。」


 シンプルな卓上時計の針は10時過ぎを指しており、食堂の朝食の時間はとうに過ぎている。購買部でも、昼前のこんな時間では、食品類は引っ込められているだろう。菓子くらいならあるだろうか。

 今起きたのは間違いだった。あと2時間寝ていれば、そのまま食堂に飛び込めたのに。


 「紫恩のせいだ…。」


 昨日、初めての花守授業で紫恩は、花雲を展開させる事から学び始めていた。しかし今までに使った事のない力というのは、制御が難しいらしい。上手く展開しきれずに、花雲は手の周りに薄らと滲み出ただけだった。


 放課後になっても沈んだ顔をしていたので、僕が練習に付き合うと言ったんだけど…。紫恩はノート片手に目を輝かせ、初歩の初歩から全部確認するように聞いてきて、逃げ出せなくなってしまった。


 確かに何でも聞いてとは言ったけど、だからといってその日の内に半径2メートルに展開できるようになるまで、全く諦めないのは予想外だった。夜中の3時半まで付き合った僕はとても偉いと思う。今日が日曜日で本当に良かった。


 「…んー、キッチンいこ。」


 寮のキッチンには、大体いつも陽光が食材を溜めている。多少いただいても、後で補充しておけば怒られないので便利だ。目玉焼きくらいなら僕でも作れるし。


 顔を洗って着替え、1階へ降りるとなんだか香ばしい、良い香りがした。こちらに背を向けて、なにやら作っているのは紫恩だ。


 「んー?おはよー紫恩、なに作ってるのー?」

 「あぁ、おはよ。陽光が食材使って良いよ、って言ってくれたから、雑なオムレツ作ってるんだよ。皐月も朝食まだなら食べる?」

 「おー、ありがと。もらうー。」

 「昨日は夜中までごめんな、夢中になっちゃって。今起きたんだろ?」


 こちらに振り向いた紫恩は、申し訳なさそうに「俺もそうなんだ」と笑って言う。どうやら、詫び朝ご飯らしい。キッチンまで寄っていけば、フライパンの中で卵が色んな具材と混ざっていた。

 一人分にしては多いから、元々僕にも食べさせてくれるつもりだったんだろう。


 「へー、紫恩って料理も出来るんだね。僕は目玉焼きくらいしか作れないや。」


 彼の器用さはこの数日でよく見ていたけど、本当になんでもそつなく出来るらしい。


 「いや、俺が作れるのは簡単な家庭料理くらいだな。そんなに大層なものは無理だよ。」

 「…んー、僕はそんなに綺麗にオムレツひっくり返せ無いよ。」


 見る見る内に、綺麗な焼き色のオムレツが出来上がって、皿の上に移された。ケチャップをうにうにと絞って完成らしい。


 「良いタイミングで来てくれたし、熱い内に食べよう。取り皿いる?」

 「んーん、気にしないよー。フォーク持ってくねー。」


 談話室のテーブルに2人で座って、オムレツをつつく。


 「キッチンの冷蔵庫の中身って、ほとんど陽光が買ってきた食材だよな。なんで自炊してるんだろ…。」

 「うーん…陽光の趣味ー?」

 「いやいや、ほんとか?」


 玉ねぎやピーマン、ジャガイモなんかが入った具沢山のオムレツは美味しい。特別な味じゃなくて、実家で食べるような安心する味だと思う。


 「ねー、紫恩って、本当に器用だよね。」

 「ん?まぁ…器用貧乏とは言われてたけど。」

 「んー…ご飯美味しく作れるしー、努力家だしー、授業のノートもキレイだし!いいなぁ!」

 「なんか最後のは違わないか?」




 そのまま他愛もない話を続けて、朝ごはんにしては多かったオムレツをゆっくり食べ終えた。片付けもしっかり終わらせて、使った食材を買い足すためにメモを書く。

 今日は特に用事も無いし、もう12時近い。このまま購買に買い物へ行こうかな。

 そんなことを考えていると、ふと紫恩がきょろきょろと周囲を見渡して、僕の方へ眉を下げた顔を向けてきた。


 「皐月、ちょっと…あー、見てほしいものがあるんだけどさ。今から俺の部屋まで、来れるかな?」

 「んー…え、どしたの?」

 

 なんだろう、怪しい。緊張しちゃってるみたいだし。今は僕たち以外寮には誰もいないのに。


 「えーっと、見てもらった方が早いというか、俺の知識だと説明しきれないんだけど…」

 「うーん、花関係ってこと?何かトラブル?」

 「まぁ、そうなるのか…?危険な感じはしないから、とりあえず部屋に放置してるんだよな」


 トラブルらしい。危険じゃないトラブルってなんだろう?


 「…んー、部屋に放置?」

 「あ、いや、閉じ込めてるとかじゃなくて!から、そのままにしてるんだよな。」

 「あー…それは、なんかマズくない?」


 うーん、察してしまった。紫恩の部屋にいて、花関係で、危険じゃない(らしい)、会話できる存在…。

 そんなの精霊体しかいない。


 本来、精霊体はの群生地の中にいる。素質の高い花守や、花に対して熱心な花守のそばに来ることはあるらしいけれど…。

 紫恩って、そのあたりが良く分からないんだよなぁ。花守としては前向きだけど、素質が特別高いとか、何か実績があるわけじゃ無いから。気負い過ぎじゃないかなぁ、って思ってしまう。精霊体に好かれるってことは、気持ちは本物なんだろうけれど。


 「んー…。とりあえず見るだけね。」

 「ありがとう!正直、どうしていいか分からなくて。」

 「あぁ、だろうねぇ。でも、僕もそんなに詳しいわけじゃないからね?」


 そんなことを言いつつ、紫恩の部屋へ向かう。精霊体とまともに会話なんて、できないとは思うけれど。困った顔の友達は、放っておくわけにもいかないからね。


 「よし、よし開けよう。うん。」


 自分の部屋に入るのに気合を入れないといけないのは、流石に紫恩がかわいそうだ。

 

 ドアを開けてみると、そこは水の匂いがする暖かな色の草原だった。そこら中に薄紫やピンクのレンゲソウがびっしりと咲き乱れて、遠くには小川まで流れている。

 空気には、かなり強く花雲が混ざっているように感じられた。間違いなくここは群生地になっている。


 「なっ、んだこれ…」

 「あーあー…」


 間違いない、トラブルだ。

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