花を守るもの - 紫恩

 午前の授業時間が終わり、少し早めの昼食の後。俺は、他の1期生と食堂で分かれて、一人で教室に向かっている。本格的に花守の勉強をしていく上で、基礎知識の講習を受ける為だ。


 そもそも、花守というのが何をしている人達かとか、花雲が何なのかとか、俺が知らない事は多い。早く同期に追いつけるよう、学ばないとな。


 …学ぶといえば、午前中の通常単元は予想外だった。教科書や問題集は、前の学校の物と同じだったけれど、先生がいなかった。


 いないというか、通常単元は完全に自己学習らしい。ホームルーム後に先生がいなくなると、みんなそれぞれやりたい科目の教科書を読んだり、問題集を解いたりしていた。これでテストとか大丈夫なのか、深山さんに聞くと「テストなんか無い」と言われて、しばらく意味が分からなかった。


 要は、「社会に出て困らない程度に勉強しておけ」の時間だそうで、成績すら付かないそうだ。ちょっと嬉しい気もしたけれど、つまりこの学院での評価は、全て花守としての力量だと皐月に言われて途方に暮れたのは、さっきまでいた食堂での事。


 「余計に頑張らないと、いけないじゃないか…」


 思わず独り言を吐きながら教室へと入る。中には既に青い髪の女性の先生がいて、やたらと大きな黒板の前からこちらを見ていた。


 「感心ですわね。予鈴の5分以上前に戻ってくるとは。」

 「いえ、俺のために時間取ってもらってるんで、これくらいは。」


 先生は一つ頷くと、満足そうに微笑んだ。


 「良い心掛けですね。わたくしは佐々木ささき瑠璃るり、ネモフィラの花守で式・陣の研究者兼、教員ですわ。」

 「よろしくお願いします、佐々木先生。」

 「予鈴はまだですが…せっかくですし、先に特別授業を開始しましょうか。適当に座ってくださいまし。」


 そう言うと、先生は黒板に大きく『花』と書いた。このまま始めるようなので、俺は自分の座卓を黒板前に移動させて座る。それにしても随分背が高く見える。多分俺よりも、身長あるんじゃないか…?




 「まず…納富君、花について知っていることは?」

 「えっと、植物の繁殖機関で、特等の力を持っていて、植物以外の生物にその力を分け与えてくれる、ですかね。」

 「そうですね、概ね間違っていないわ。では花雲については?」


 関係ないことを考えていたせいで、少しどもってしまった。質問の答えは合っていたようで、よかった。先生は黒板の『花』の隣に『花雲』と書く。


 「えっと、昨日食堂で仕込みの様子を見せてもらって、キラキラ光っているのが花雲だって、吉国先生には聞いたんですけど…正直、よく分からないです。」


 まだまだ理解が及んでいないので、素直に答えた。予鈴が鳴るのを聞きつつ、先生も「そうでしょうね」と言って困ったように微笑んでいる。


 「まず、花雲とは。先程納富君自身が言ったように、花の特等の力そのものを指す場合と、花や花守が目に見えるように発生させた霧状の物質を指す場合があります。」


 そう言うと先生は、少し自分の髪を触る。するとそこから、薄い青色の霧が流れ出すように先生の周りに広がった。


 「これが、発生させただけの花雲ですわ。花雲は、祝福を授けた花の色に近い色を持つ、エネルギーそのものです。」


 先生は、手に持っていたチョークを花雲で器用に持ち上げた。


 「こうして物質に関与する事もできますし、逆に透過させる事も出来ますね。」


 その言葉と同時に、受け皿のような形で支えていた花雲をすり抜けて、チョークが先生の手へぽとりと落ちた。


 「改めて、花雲とは<花が祝福を与えたものに貸与する力>です。常人じょうじん、普通の人々には視認も感知もすることが出来ないのですけれど。」

 「え?」


 初耳だ。誰もそんな事は言っていなかったと思う。


 「あぁ、ここは教員も訓練生も、先触れが多いですからね。自分達が見えているものが、多くの人には見えていない事を、そもそも何とも思っていないのですわ。だから誰も言わなかったんでしょうね。」

 「そ、うなんですね…」


 でも、そういう事なら、世の中で花守について都市伝説みたいな話しか聞かないのも納得できる。花雲の力を使っても見えないのだ、見えない物は想像するしかない。それで念力だ怪力だ、と不思議な話になっているんだろう。


 「その話は一旦、置いておきますわね。花雲についてですが。実はこの力、近年少しずつ弱くなってきているのです。」

 「そうなんですか?」

 「えぇ。科学が発達し、人間が切り開く土地が増えるにつれて段々と。花や我々花守も、新しく生まれる者の力は弱くなっています。」


 そう言う先生の目は、じっと俺を見ている。


 「後受けの花守には、それが大変顕著に現れますわ。」


 予想は出来たが、少し怯んでしまう。


 「それって、どのくらい…?」

 「まぁ、一言で言えば花雲を発生させる限界値、通称『許容量』が少なくなってきているようですわ。」


 ふと先生がこちらへ寄ってきて、俺の手を取った。


 「しかし…。納富君の御印の大きさからして、許容量は並の先触れ程度にはありそうですわね。手の甲も手のひらも…まるで手首までペンキに浸したよう。」


 それだけ確認すると、先生は黒板へ戻って『花守』と書いた。


 「花、花雲についてはそんなところですが。花守については噂に聞いた程度、という認識でよろしいんですわね?」

 「は、はい。」


 「わたくし達、花守とは。花を守り、栄えさせるための花の使者であるとされていますわ。」

 「花の使者…?」


 なんだかピンとこない言葉だ。


 「そうです。と言っても、何が花のためになるのか。それは、祝福を授けた花によって千差万別ですわ。」


 続く先生の言葉に、ますます分からなくなってきた。


 「花によって、違うんですね…」

 「…正確には、花守によって違いますわね。」

 「えぇっ!…それって、なんて言うか。」

 「えぇ。分かりませんの。」


 先生はうんうんと頷いているが、それで大丈夫なんだろうか。


 「花は花雲を使って、花に良い環境を作ろうとしますわ。その最たる物が樹海と『庭園』です。」

 「庭園、ですか?」


 「そうです。庭園とは、何らかの理由で花雲に満ちた特別な空間を指します。その中では花がより長く、美しく咲くことが出来るのですわ。ここ、春櫻樹学院も、花雲の力で宙に浮く庭園ですわね。」

 「な、なるほど。」


 「そして、その庭園を守ってもらうべく、わたくし達人間や、野生動物、昆虫に花雲を与えて守らせる。それが有史以前に成立した、花守の姿だったとされていますわ。」


 先生は再び花雲を発生させると、ふわふわと周囲に漂わせた。


 「それから2000年以上たった今、わたくし達花守は、花雲の技術を磨き、樹海や庭園を守る以外にも、人の社会に溶け込み人の為に花雲を使う事も増えましたわ。それでも、ありがたい事に、花は我々に力を貸してくれていました。」


 くるりと黒板へ向かった先生の表情は見えないけれど、困っているような雰囲気を感じた。


 「しかし、先日の納富君の事例が起きてしまった。花園社から教員へ共有されたのですが…正直、信じたくありませんでしたわ。」

 



 「精霊体の意思による花守の祝福の剥奪、その上で自身の種の花守を後受け一人に任せるなんて…前代未聞ですわ。」




 花園社の人にも言われたなぁ、と考えつつ、俺は神妙な顔になってしまう。


 「…レンゲソウに聞いても、ちゃんと確認したとしか答えてくれないんです。本人達も望んでいたって。」


 「花園社の報告でも、レンゲソウの精霊体の発言として記述がありましたわね。」


 黒板に『精霊体』の文字が追加された。


 「精霊体は、種としての花の総意…集合意識だとされていますわ。基本的に気まぐれで穏やかですが、花雲の集合であり生き物では無いので、接し方には注意が必要ですわ。よくよく、気をつけて下さいまし。」


 彼らは花雲だから、妹には見えていなかったのかと、俺の小さな疑問が解決した。


 「納富君。ちなみに聞きますけれど、レンゲソウの精霊体は呼び寄せられるんですの?」

 「あ、はい。呼んだら出てきますよ。呼びますか?」

 「今は大丈夫ですわ。…そういう技術だと、春櫻樹ここではなく薩摩の夏凌霄かりょうぜんの方が、詳しいですわね。あとはあなたの同期の、灯里とうさとさんも一定条件下で呼び出しが可能ですね。何かあれば彼女に相談するのが良いでしょう。」


 教員わたくし達は呼べないの、とすまなそうに呟いて、先生は展開していた花雲を霧散させた。


 「精霊体が気を悪くしないように、今の話題はわたくしの花雲で防音させてもらいましたわ。」


 言われて、そういう使い方もあるのかと驚く。本当に知らないことばかりだ。


 「まぁ、ここは花園社に一番近い庭園持ちの学院ですので、何かあっても対処は可能ですわ。」


 つまり、俺は監視対象として春櫻樹に入れられたと言外に言われ、今日一番のショックを受ける。俺って…一体…。


 「あ、あぁ、悪い意味ではありませんのよ?春櫻樹ここがあなたにとっても一番いいと、花園社も判断したんでしょうし…。まだ授業時間はありますわね。聞きたいことはありませんの?答えられる範囲で教えますわよ?」


 フォローされて、先生が悪いわけじゃないし、なんだか一人で勝手に盛り下がって、申し訳なくなってきた。

 すっかり消沈した気分をなんとか持ち上げ、俺は午後の授業時間いっぱいまで質問を続けるのだった。

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