名門、春櫻樹 - 紫恩.2

 吉国先生は、俺たちが入ってきた御簾から教員室を出て、右手へと足を向けた。急いで追いつくと、右側の御簾がかなり長く続いている事に気づいた。じっと見てみると、背の低い長机がいくつも並んでいる。奥の方はよく見えないが、この学舎には珍しく壁があるようだ。


 「どーしたのー?食堂、気になるの?」


 隣を歩く半田君から、不思議そうな声が上がる。


 「いや、他の部屋より大きいから、何の教室かと思ったんだ。そっか、食堂もあるんだな。」


 すると、前を行く先生が足を止めて食堂の方へ目をやった。


 「あー、今の時間は仕込み中だろうが、6時半からは夕飯が食えるぞ。春櫻樹の食堂のメシは美味いんだ。特にこだわりがない奴は、ほとんどここで済ませてるな。」


 先生はそう言うと、徐ろに御簾を捲って食堂の中へ入っていった。今、仕込み中だって言ってたんだけど入っていいんだろうか。


 俺と半田君もそっと御簾を捲る。部屋の中は外廊下から見た時よりも広く感じた。大教室の半分くらいの部屋で、教員室と同じく全体が板の間だ。俺達が入ってきた外廊下側には、長机と座布団が等間隔に並んでいる。奥の方はよくみると壁ではなく、部屋の一辺がまるごとカフェテリアカウンターで、その向こうに厨房がすこし見える。


 「おーい納富、ちょっとこっち来てくれるか。」


 先に入っていた先生は既にカウンターの所にいて、こちらに向かって手を上げていた。


 「はい…あの、先生。今、入っちゃって大丈夫なんですか?仕込み中なんじゃ…」

 「ん?大丈夫大丈夫。厨房に入らなけりゃ、あいつら怒ったりしないからよ。」


 先生はそう言うと、厨房にいる数名の料理人に視線を向けた。


「ほら、厨房の方を見てみろ。花雲について聞いてただろ?実際に使ってるところ見た方が分かると思ってな。安全に見学出来るのはここ以外ねえし。」

 「えっ」

 「あー、確かにそうかもねー。ここは危ない使い方する人いないし。」


 横から半田君も肯定してくる。花雲って、そんなに取り扱いが難しいのか…?


 「あ、料理人さん達も花守なんだね…?」

 「そーだよー。他にも庭師さんとか、救護室の先生も、みんな花守だよー。」


  半田君は当然、と言った様子で教えてくれる。でも、どう考えても花守の人数が多過ぎる気がする。


 「言っただろ?春櫻樹ここにいるのは事務員以外、全員花守なんだよ。流石に料理人達は後受けの花守ばかりだけどな。ほれ、料理人達の周りをよく見てみろ。」


 先生に言われ、厨房の料理人達へ集中する。先程見えた時にはよく分からなかったが、目を凝らして見ていると、彼らの周囲に薄らと輝く靄が掛かっているように見える。


 「体の周り、ちょっと光ってるのが分かるか?あれが花守が紡いだばかりの花雲だ。あぁ、向こう見ながら聞いてくれればいいからな。」

 「は、はい。」


 先生へ向き直ろうとすると、厨房の方を見るように言われた。何があるんだろう。

 じっと見ていると、一人の料理人の周囲から突然、風もないのに靄がするすると流れ始めた。その動きはとても滑らかで、調理台の上へと移動して凝縮されていく。美しい光の流れに、俺が目を離せなくなっていると、横から先生の声がした。


 「あれが、一番簡単な花雲の使い方だな。花の力そのものに『形』を持たせて、物質へ干渉するんだ。」


 料理人の花雲は、蔦のように伸びて調理台の上のジャガイモに届くと、表面をスルスルと這う。通った後には皮が消えて、薄黄色の中身が見えていた。


 「花は気に入った人間に力を与えて花守にする。そうして花が、植物が世界で栄えるように守ってもらうのは知ってるだろ?花守の不思議な力っつーのは、花雲を操作して起こしてるんだよ。」


 そのまま見ていると、花雲は皮を無くしたジャガイモを持ち上げて、空中でまたスルスルとジャガイモの周りを滑る。一通り滑った後、調理台の上にそっと戻されたジャガイモは、ざらりと崩れる。よくよく見ると、賽の目に切られていたようだった。


 「花雲の微細なコントロールが上手いと、あぁして細かい作業に使えたりする訳だな。」


 そこまで言うと、先生は俺と半田君の肩をぽん、と叩いて外廊下へ足を向けた。


 「ま、詳しい事は明日だ。とりあえず、あのキラキラが花雲って分かってればいいぞ。」


 そのまま御簾を捲り、行くぞーと言いつつスタスタと歩いていってしまう。僕と半田君も厨房へ頭を下げて、慌てて先生の後を追った。


 食堂から一番近い上がり口から外に出て、少し遠くに見える山の方へと向かうと、白い玉砂利はすぐに途切れて、石畳の道になる。道中、至る所に花壇があって、その全てを10人程の花守の庭師達が管理しているらしい。たくさんの花、中にはヒマワリやツバキ…季節外れの花もちらほらと見える。どうやら、そういうのも花雲の力でやっているらしい。


 本当に不思議な力で驚いてばかりだ。自分にもそんな力がある、と言われても実感がまだ無い。


 「ここは普通の体力作りに使うグラウンドだな」と短く解説された施設の横を通り抜けると、少し先に8棟、アパートのような建物が等間隔でずらりと並んでいるのが見えた。


 「よし、寮に到着だな。1期生の寮は一番手前だ、中まで案内するぞ。」

 「はい、ありがとうございます。」


 寮までは食堂から15分くらいで着いた。そうそう遅刻することもないだろう。


 「はぁー、僕はちょっと疲れたかも。」

 「半田は体力作りもっと頑張ろうな。今からでも格闘研究会入るか?」

 「うぇー…むり…。」

 「あはは…」


 和やかに話しつつ、俺達は一番手前の1期生寮へと入る。中は洋風建築で、学舎とのギャップに少々面食らってしまう。


 「寮はねー、一般家庭の生活様式に合わせてるから、こんな感じなんだよー。」


 俺の顔が固まったのを見て、半田君が教えてくれる。


 「そうだ。いきなり環境が変わり過ぎると、体も心も影響が出るからな。そこは学校として考慮して、このシェアハウス型のアパートになってるんだ。」


 靴を脱いで玄関を上がりつつ、先生が教えてくれる。確かに、俺もいきなりあの建物で暮らせと言われても、落ち着かないと思う。


 玄関を上がるとすぐに、広い絨毯の上にソファがいくつか並んだ居間のようなスペースになっていた。ソファの無い方の壁には大きなテレビも掛かっている。


 「ここが談話室、まぁリビングだな。こことキッチンは共用、あと風呂と洗濯場は男女別で共用だぞ。んで、北側にあるのが、3階の男子部屋に上がる階段で、女子の方は南側な。絶対間違えるなよ。」

 「あー、ミヤコちゃん怖いもんね。」

 「そうじゃない、倫理的にダメって事だぞ。」

 「わ、分かりました。」


 誰かは分からないが、半田君曰く怖い女子がいるらしい。


 「とりあえず。北側上がって、手前から2番目が納富の部屋な。大きい荷物はもう運び込んであるから、荷解き頑張れよ。今が丁度5時なる所だ、6時には談話室に降りて来れるようになー。」

 「はい、案内ありがとうございました。」


 そう言うと先生は委員会を見に行くと言って、寮を出て行った。


 「よしっ、とりあえず片付け始めるか…。」

 「んー、あと1時間かぁ、やっぱり僕も手伝うね。」

 「えっ、いいのか?さっき疲れてるって言ってただろ?」

 「あー、確かにちょっと疲れたけど、普段の授業終わりより全然元気だよー。」


 半田君はすたすたと階段を登っていく。


 「それにねー。納富くん、僕の隣の部屋なんだ。ご近所さんは手伝うものでしょ。」


 笑顔でそう言われては、お願いするしか無い。俺と半田君は、さっそく扉を開けて、段ボールの山と向き合うのだった。

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