食事中の危険
テレビのニュースで小学生が給食のうずら卵で窒息して命を失った、と言っていました。
今までうずら卵ってそんな危険だと思っていなかったので、すごく驚いてしまった。でも確かにあの形状、そういうことがあっても不思議じゃない。なんで思いつかなかったんだろう。そう思うぐらい納得。うずら卵が3つついたフライ売ってますが、あれ大好きなんですよ。
食べる時に危険なものとして第一に挙げられるのは「お餅」ですよね。毎年年末になると詰まった時の対処とか、詰まらないための方法をあっちこっちでやってるのを目にします。
父がお餅が好きだったので、一緒に食べる時にいつも心配しながら見てました。
でも父は本当にお餅が好きだったんですよねえ。ちょっと風邪っぽいと「雑煮して」って言うし、ラーメンにも焼いたお餅を入れるのが好きでした。大丈夫だろうと思いながらも、いつもちょっと気にしながら作ってたなあ。
そのせいか、自分も一人の時にお餅を食べるのが不安で、妹が家に一人の時に食べると聞いて心配して笑われたこともあります。心配し過ぎと。でも自分も一人でいる時には食べないようにしてました。そのぐらいお餅に警戒してた感じです。
今は仕方なく一人でも食べてますけど。というか、今日のお昼、ラーメンに焼いたお餅入れて食べました、もちろん一人で。慣れるとなんてことはないけど、でもやっぱり気をつけながらは食べてます。これから若くなることはないから、どんどん気をつけないといけなくなっていくんだろうな。
話は戻って、お餅はそのぐらい警戒されてますが、前に何かで、一番喉を詰めて事故になってるのはパンだと聞きました。実際の事故で命を落としてる人の一番多いのがパンだそうです。
もっとも、お餅と違ってパンの方が圧倒的に食べてる回数多いですから、絶対数で割ったら割合がどうなるかかでは分かりませんが。
そういやいつだったか給食でパンの早食いやってて喉に詰めた子もありました。そういうことをやってしまうぐらい、パンって喉に詰まるってイメージがない気がします。
食べるという行為は命を保つというだけではなく、味を楽しむ、雰囲気を楽しむという娯楽や教育、文化にまでつながる行為なんですよね。生存がかかったギリギリになると、味がーとか行儀がーとか、そんなこととっても言ってられないけど。
普段はなんとなく何も考えずにやってる行為だけど、こういうことがあるとちょっと考えてしまいます。
ある歴史小説で有名な作家さんのエッセイで、回数は忘れてしまったけど人生で食事する回数をつけたタイトルで書いていらっしゃったのを読んだことがあります。
「え、食べる回数ってそんなに少ないの」
その時に思ったんですが、今ざっと80歳まで生きるとして、赤ん坊の時とか無視して一年365日、一日3回食べると計算してみたら、87600回になりました。
今、この文章を読んでくださってる方の大部分はもう成人して20歳以上と仮定すると、そのうちの21900回以上は消費してるんです。つまり残りは65700回以下です。
喉を詰める詰めないはもちろん、もっと色んな意味で食べる時間を大切にしないとなあ、と思いました。
そう言いながら、忙しいからとカップ麺流し込んだりしたりする生活だったりしますが、もうちょっとだけ大事にしようっと。
とりあえず今日のお昼のお餅は無事に食べられました。
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