第5話 紹介
翌朝、春は日の光のまぶしさで目が覚めた。アラームが鳴る前に起きたのなんて、いつぶりだろうか。うう、起きなければ。今日は織田家の家臣のみなさんの前で恒興さんの弟で、新しく三郎さんの小姓になったのだと紹介してもらうことになっている。この城に来てから三郎さんと恒興さんにしか会っていないので、この城にどれほどの人がいるのか、恒興さん以外の家臣の人たちがどんな人たちなのか全くわからない。第一印象が大事だ、身なりを整えなければ。昨晩教えてもらった着物の着方を寝起きの頭で必死に思い出しながらチャレンジする。春の部屋には姿見がないので、綺麗にできているかどうかは怪しいが、なんとなく外に出ても恥ずかしくない程度には形になっているのではないかと思う。
「春さん、起きてますか。」
控えめに聞こえる隣の部屋からの声に慌てて返事をすると、春はそろそろと障子を開けた。
「おはようございます、恒興さん。」
「はい、おはようございます。」
おや、とても上手に着れていますね。似合ってます。と朝からさわやかな恒興さんに笑顔で褒められて少し照れくさい。
「では、殿のところに行く前に仕上げだけしましょうか。」
「はい、おねがいします!」
失礼します、と静かに部屋に入った恒興は春の背後に立つ。そして、春の背筋がぴしっとなるように皺をのばし、着物の形を整えた。
「これでいいでしょう。ところで、春さん。春さん、恒興さんという呼び方は兄弟間ではどうでしょうか。」
傍から見て、変な感じはしませんか。そう続ける恒興のセリフに、たしかに、と春は思った。恒興さんの弟です!と紹介されて、お互いにさん付けで呼び合っているのは、不審に思われるかもしれない。では、何と呼べばいいのだろう。お兄ちゃん?いやいやいや戦国時代的にこれはありか?なしだろう。時代劇とかで兄のことをなんと呼んでいたんだったか。
「えっと、、じゃあ、あ、兄上…?でしょうか、」
自信なさげに呼びながら恒興の方を振り向く春に、恒興は満足そうに笑った。
「はい。あなたの兄上ですよ、春信。」
それから肩までの長さの髪をひもを使ってうしろでひとくくりにしてもらったあと、春は恒興に連れられ、信長の家臣一同が待つ広間へと連れてこられた。なんと自己紹介をすればいいかとどきどきしていた。
「さっきも言ったが、こいつが恒興の弟池田春信だ。今日付けで俺の小姓として働いてもらうことにした。世話役は兄である恒興に任せる、異論はあるか?」
しかし春が部屋に入った瞬間に信長は家臣一同にこう説明した。随分ざっくりとした紹介である。当然のごとくざわつく家臣たち、呆れる恒興、おろおろする春。そして「文句がねェなら以上だ。」と、勝手に話を終わらせようとする信長。それに対して意見を述べたのは、信長の一番家老を任されている林秀貞であった。もともとは信長の父に仕えていたが、信長が那古野の城を任されたときからは信長の筆頭家老として支えてきた。年は30代後半、自分の子であってもおかしくない年齢の主の突拍子のない行動や言動に日々頭を悩ませている。彼の隣に座っている平手政秀も同様である。そろそろ胃に穴が空いてもおかしくはないし、最近少しやせてきた気がする。現代で言うところのストレスに悩んでいる様子である。
「信長様、失礼ですが。池田殿には恒興殿以外に子はいなかった、と記憶しております。」
「素性のあやしいものを信長様の小姓としてお近くに置くのは危険なのでは。」
重鎮2人の意見は最もである。それに対しての対応は恒興が早かった。
「わが父は、生前に城下で町娘と関係をもっていたようなのです。春信はその女との間にできて子であります。女は父の遺品を持っておりましたので、春信が我が弟であることに間違いはないと判断し、引き取りました。春信は城下で育ってきておりますので、武士としての振る舞いや剣術などは仕事の合間にこれから教えていきます。できればどうか、皆様にもご教授いただきたい。よろしくおねがいいたします。」
な、なるほど。そういう設定なのね…?細かい打ち合わせを一切していなかったので、春には何が何だかよくわかっていなかったが、説明の最後に恒興が頭を下げるのに合わせてお辞儀をしておいた。正直なところ、林も平手も「はい、そうですか」と馬鹿正直に信じたわけではなかった。しかし、自分たちの主君はこうと決めたら自分たちが反対したところで意見を変えることはない。何を言っても無駄だということを二人はこの数年で身をもって理解をしていた。そして、一番家老、二番家老の二人が文句なしであれば、ほかの者にも異論はなかった。佐久間信盛なんかは下っ端ができたとむしろ喜んでいた。
そんなこんなで織田家家臣たちとの顔合わせは終了した。春は何を話せばいいのだろうと緊張していたにも関わらず、自らが一言も発することのないまま終わってしまい、拍子抜けである。春がしたことと言ったら、部屋に入って兄の動きに合わせてお辞儀をしただけだ。いや今さら挨拶しろっていわれても嫌だけれども。
こうして、春の新しい生活は幕を開けたのである。
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