第18話 野食
脱衣所から追い出された朝光は、再びロビーのソファーに腰かける。その姿はまるで魂が抜け出ているようにぼんやりしている。朝光脳内は絶賛混乱中だ。
一瞬だけだったが一巴の胸元にあったのは、ささやかなものではあったけれど確かにそれは女性の乳房だった。
ということは一巴は女性ということなのだろうか。そうだとすれば、何故男の振りをして男たちと一緒にいるのだろうか。考えれば考えるほど思考がから回るばかりだ。
悶々と同じようなことをグルグルと考えていると、いつの間にか時間が経っていたようで一巴が風呂場から出てきた。
先ほどまで着ていたくたびれたカーディガンとスラックスではなく、緑色の作務衣を着ている。どうやら着替えは自分で用意していたようだ。
「……着替え持っていってたんだな。ソファーに一着置いてあったから、てっきりもっていってないと思ってさ……」
覗き見したと誤解されては困ると思いとっさに口にするが、随分と言い訳っぽくなってしまった。
「ああ、そういう事。それはアンタがサイズ合わなかった時用に持ってきていただけ。第一男性用は僕には大きいよ」
ちなみに一巴の来ている緑は子ども用だ。身長百五十センチに満たない一巴には丁度いい。
「っで、さっき見たよな?」
一歩踏み込み、ぐいぐいと朝光に詰め寄る。その様子はやけに気迫がこもっている。逃がす気はないようだ。
「えっと、見たって……おっぱ」
「お、おっぱいって言うな!」
「ちょ、い、痛いって!」
一巴は顔を真っ赤に染めて何度も、朝光の肩がバシバシ叩く。一発一発は大した威力はないものの執拗に何度もたたかれるとさすがに痛い。
「……一巴は、女性ってこと、だよね?」
答えは既にわかっているようなものだけれど、あえて口にして聞いてみる。数秒の間の後、一巴はこくんと静かにうなずいた。肯定の意に続けてもう一つ気になることを尋ねる。
「一巴も、異能力使えるの?」
一巴たちにこの世界のことをあれこれ聞いた際に全ての女性は早ければ五歳くらいから、遅くても小学校卒業までには異能力が開花するのだと。
「使えない」
きっぱりと一巴は言い切った。まるで最初からその質問が来るのがわかりきっていたかのように。
「僕は生まれつき異能力をもっていない。だから男の振りしてここで暮らしてる。異能力を持たないものは女扱いされないから……」
「でもさ、一巴はまだ小学生だろ? まだあきらめるのは早いんじゃないかい?」
多少の個人差は何にだってある。異能力だってその例外ではない。それに巴はまだ幼い。これから開花することだって十分にあり得るだろう。
「誰が小学生だ!! 僕はもう十四歳だ!」
「え? マジで!?」
小柄な一巴はどう見ても小学生にしか見えず、つい驚愕の声を上げてしまった。ギロリと一巴に睨まれる。
だが改めて思い出すと、一巴は伊三たちに比べて些か大人びていたようにも思える。それに、男性だという先入観で見ていたので余計子どもだと思い込んでいたけれど、小柄な成人女性と比べるとそう変わらないかもしれない。
「……今年でもう十四歳になったんだ。だから異能力は無理だよ」
ぽつりと悲痛な呟きがこぼれた。
それは朝光にとって他人事とは思えなかった。次々とクラスメイト達が魔法を使えるようになる中、誰もよりも遅くにやっと使えるようになった魔法も低レベルで、粗悪なものだった。
「……なんだ、同情でもしてんのか?」
黙り込んだ朝光に一巴が揶揄うような口調で聞いてくる。
「同情っていうか……仲間意識、かな?」
そんなことを言うと、怒られるのではと思いながらも素直に口にすると一巴は笑った。それは苦笑とは嘲笑どちらとも捉えれるようなものだった。
「お前なんかと一緒にすんな。僕は朝光と違って人間離れした身体能力もないんだぞ」
でも、と一巴は続けた。
「似たようなのが別の世界線でもいるって知れたからちょっとは気が楽になったかな」
ニッと、一巴は笑った。その屈託のない笑顔はとても子供っぽく見える。
勝手に抱いた仲間意識だったが、相手も同じように思っていてくれることはとても嬉しかった。
「そういえば、伊三たちは? 一巴が女性って知ってたの?」
今まで一巴は、あの二人と共に行動していたようなのでふと気になり聞いてみる。
「いや、言ってない。二人とはそんなに長い付き合いじゃないし。まあ、華胥を出てからまだ三カ月しかたってないしな」
三か月としかと一巴は簡単に言ったけれど、少女がたった一人で性別を偽り樹海で暮らすのは簡単なことではない。きっと朝光には想像もつかない苦労もあったことだろう。
「あ、そうだ。見ろよこれ!」
暗い雰囲気を払拭するかのように一巴がことさら明るい声をあげながら右手を前に出した。先ほどまで気が付かなかったが、その手にはなにやら蔦植物が握られている。小さな実がいくつも付いているが、植物に詳しいわけではない朝光にはそれが何という名前の植物なのか見当もつかない。
「何それ?」
「ムカゴだよ!」
植物の名前なのだろうが、それだけではピンとこない。そんな朝光を察して、一巴が「山芋の赤ちゃん」だと付け加えた。
都会育ちの朝光でも山芋はさすがに知っている。とはいっても、スーパーで売っている栽培されたまっすぐなものしか知らないのだが。
朝光は蔦から一つムカゴをちぎってまじまじと見つめる。この極小のジャガイモみたいなのが山芋になるだなんて言われてもいまいちピンとこない。
「これ食べれるのか?」
手にしたムカゴを思いっきり齧ってみた。
「う、にが! 何これ~。こんなの食えないって」
シャリシャリシャリして口触りは悪くはないが、灰汁が強く苦いのでとても食べられたものではなかった。山芋のような味を想像していただけに、その落差は激しい。
「朝光はホント何にも知らないんだな!」
チッチッチと人差し指を振りながら、一巴が得意げに笑う。
「まあ、大人しく見てなって」
そう言うと、一巴はムカゴを手にしたまま駆けていった。
ぐつぐつとに滾るお湯に、塩少々とムカゴを二十個ほど入れて柔らかくなるまで煮る。それだけで良いと一巴は言う。
厨房にあったカセットコンロと塩を拝借し、一巴がムカゴを調理していた。この旅館の厨房には日持ちする調味料や、調理器具が旅館として機能していた時のまま残されていた。
一巴に聞くと、客室には布団も残っているらしい。ここは引っ越しする間もなく急遽打ち捨てられたのだろうか。
「それにしても、最初っからカセットコンロも塩もあること知ってたのか?」
あの後、一巴は迷うことなく厨房に駆けていった。あらかじめ必要なものがそこにあることを知っているように。
「ここは何度か使っているからね、ある程度の家探しはしてるよ。サバイバルするためにはそれなりの道具が必要だと、東京に来て初めて知ったからな。体一貫じゃ無理だった!」
今でこそ野食に必要の知識はかなりあるようだけど、東京に来るまではサバイバルなど無縁で暮らしていたらしい。そう考えると、一巴も朝光とそう変わらない環境で育ったのではないだろうか。
「よーし、出来たぞ食ってみろ」
一巴がおたまでムカゴをすくい器に盛る。湯気をあげるムカゴの見た目は火を通す前とたいして変わらない。
小さいから皮をむかずにそのまま食べるよう言われたので、朝光は覚悟を決めてムカゴを口に放り込んだ。
ゆっくりとかみ砕いでいくと、先ほど生で食べた時とは全く違いホクホクとして美味しい。臭みも癖も苦みもなく、優しくほんのりと甘く素朴な味だ。栗と芋の中間といった感じだろうか。
「うまい!」
「だろー」
得意げな一巴もムカゴを口にする。貧相だが二人きりの和やかな時間が過ぎる。
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