第17話 温泉

 東京の樹海の片隅。とある廃墟、むせぶような硫黄の香りと風にたなびく湯煙。朝光は温泉につかっていた。


「はー、まさかこんな樹海で温泉に入ることが出来るとは思わなかった……」


 熱くもなくぬるくもない、程よい温度のお湯につかりながら朝光は気持ちよさそうに独り言ちる。

 ここは今は使われていない、温泉宿。木々と廃墟しかない東京。当然の如く電気やガスは止まっているが、源泉から湧き出る温泉は止まることはなかった。

 運よくこの場所を見つけた一巴がたまにこっそり使っているらしい。少し入り組んだ場所の奥にあり、人と鉢合わせることは滅多にないらしい。


 なんでこっちに住まないのかと朝光が訊ねたら、建物に着くまでの道が閉ざされていて、獣道を通らないとたどり着けないことと、ここはイノシシや猿が出て危険だから一巴は言った。奥多摩ならともかく二十三区で猿やイノシシが出るだなんて朝光の世界線では驚愕ものだが、ここではどこも樹海化しているためいたしかたないだろう。


 浴室の壁は穴が開き草木が顔を出しているし、湯舟は所々ひび割れているが問題なくお湯は溜められるし、入浴も問題ない。

 肩までどっぷり湯につかりながら、自身の体を改めて見つめる。火傷に擦り傷、青あざ、打ち身。正直言って満身創痍だ。あちこちが湯に染みて痛む。


 痛む首を揉みながら天井を見上げると大きな穴が開いていた。そこからちょうど雲の切れ目から除く満月が見えた。

 月は朝光が今まで見てきた月と寸分の狂いもなく同じだ。

 全く違う常識にまるで異世界に飛ばされたような感覚を覚えるが、同じ月を見上げていると元々は同じ世界なのだと痛感する。

 魔法を得た世界と魔法は得られなかった代わりに女性だけ異能力を得た世界。

 なぜ自分がこの世界に来たのかも未だにわからないのに、事件ばかりが起こる。必死に考えても答えは出ないどころかずぶずぶと深みにはまって、守りたいものが指からすり抜けていく。


「……なにもかもわっかんねぇ」


 全てを洗い流すかのように、朝光は手の平いっぱいにお湯をすくってそれを顔にぶっかけた。


 ◆


 今まで着ていた制服は上下ともボロボロで、汗も血も泥もながしてすっきりした湯上りに着る気は起きない。館内を探したら、まだこの宿が現役だった時に宿泊客に貸し出していただろう作務衣を見つけたので、それを拝借することにした。

 少しカビ臭い色あせた紺色の作務衣に袖を通す。サイズはLを選んだが、丁度いい。それだけでは寒いので、同じく残されていた真っ黒な羽織を羽織った。大した厚さはないが着ないよりはましだ。


「お待たせ一巴」


 朝光が傾いている暖簾を潜りロビーに出ると、中央に備え付けられたソファーに座る一巴に声をかけた。


「丁度いい湯加減で気持ちよかったよ。一巴も一緒に入ればよかったのに。二人でも十分入れるサイズだよ」


 風呂に入る前にも朝光は一度一緒に入るように誘ったのだが、にべもなく断られたのだ。


「嫌だよ、なんでお前なんかと入らないといけないんだよ。僕は今から入ってくるから絶対に覗くなよ! いいな!」


 再三念を押すと一巴はそそくさと風呂場へと消えていった。


「……一巴って案外恥ずかしがり屋なんだなぁ。男同士なんだから隠す物でもないだろうに。……これが思春期という奴か?」


 年頃の子どもを持つ親のようなことを口走りながら、一人残された朝光はさっきまで一巴が座っていたソファーへと腰をおろした。が、左側にとあるものを発見し慌てて立ち上がる。

 それは、紺色の作務衣。今朝光が来ているものと同じものだ。ただサイズだけが違った。『M』と書かれたタグが分かりやすいところに縫い付けられている。


「……これ一巴のじゃ」


 おそらくこれは一巴の着替えの作務衣だ。風呂場に持っていくのを忘れたのだろう。

 朝光は勢い良く立ち上がると、風呂場へと駆けだした。無いと風呂から上がった時に困ることになるだろうとの判断だ。男同士なのだから裸で出てきても構わないけれど、この真冬の風呂上りに全裸など風邪をひきかねない。

 風呂場へ向かう朝光の頭には、数秒前に覗くなと念を押されたことは既に消えていた。



「一巴、着替え忘れているよ!」


 勢いよく扉を開けると、一巴はまだ脱衣所にいた。風呂に入るために衣服がはだけた状態で。だが男同士、見られた程度のことは何ら気にならないはずだ。本当に男同士であるのならば。


「!?」


 当然の乱入者に一巴は、衣類を脱いでいる途中で動きを止め固まる。その胸元からはあるはずのない柔らかな双丘が覗いていた。


「……え、女? ……なんで?」


 想像だにしなかった出来事に朝光も同じように固まる。視線すら動かすのも忘れて。


「い、いつまでも見てんじゃねー! 変態!!」


 先に我に返った一巴が、顔を真っ赤に染めながら手直にあったドライヤーをひっつかんで朝光めがけて全力の力で投げつけた。


「っグハ!」


 未だに固まったままだった朝光は思いっきり顔面でドライヤーを受けることとなった。

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