第16話 復讐の炎

「あ、朝光! やっときた!」


 一巴たちがいると教えられた小部屋に入った途端、焦った様子の一巴が走り寄ってきた。


「どうかした?」

「伊三が……」


 言い淀む一巴にまた伊三がパニックに陥っているのではと、部屋の奥に座る伊三に視線を向けた。そこにいた伊三は予想に反して混乱し取り乱していた先ほどまでとは違い落ち着いているように見える。しかしその瞳は、どこか思いつめているような気がした。


「……兄ちゃん。俺、ベフライエンに入ることにした」

「え……?」


 それは朝光にとって思いがけない話だった。ついさっきまでそんなことは一言も言っていなかった。いや、きっとこの数十分のうちに彼は決めたのだろう。


「な、なんで?」


 座り込む伊三に詰め寄るように問う。

 理由は間違いなく甚内の死がきっかけなのだろうことはわかる。だが混乱した頭は、反射神経のように疑問を口にしていた。


「甚内の仇をとる! あの魔女、石母田竜子は俺が殺す!」


 つい先ほどまで子どもらしい表情をしていた伊三が、今は殺気を孕んだ目で『殺す』と口にした。

 朝光の知る伊三との乖離に動揺し、助けを求めるように隣に立つ一巴を見やるも、ただ困惑の表情で首を振るのみ。一巴も朝光と同様に困惑しているようだ。


「ちょ、ちょっと待て伊三。甚内を殺した犯人が竜子とはまだわからないだろ?」

「兄ちゃんは別の世界線から来たからわからないかもしれないけど、魔女は悪い奴らなんだ! 人の心なんて持ってない! 俺と甚内はずっとあいつらのせいでひどい目にあってきたんだ……!」


 伊三は心のうちの感情を吐き出すように叫ぶ。怒りも悲しみも後悔も全て。その悲痛な叫びに気圧され朝光は黙ることしかできなくなる。


「……でも、まだ子供だしさ。それに復讐なんて甚内は望んでないって……」


 口を閉ざした朝光の言葉を引き継ぐように一巴が話す。出来るだけ伊三を刺激しないように慎重に言葉を選びながら。


「うるさい! 望んでようがなかろうか知らない! ただあの魔女が生きてることが許せない! 甚内がどう思ってようが知ったこっちゃない! これが俺なりの弔い方なんだよ! 第一、大人ぶってるけど一巴だって年はそう変わらないじゃん!」


 火に油を注がれたように激高する伊三に一巴も何も言えなくなる。気まずい空気が部屋に流れる。

 暫くして、ドアをノックする音が聞こえてきた。朝光が返事を返すとすぐに扉は開かれる。顔を出したのは織部だった。


「なんだお前たちまだいたのか。ドクターは俺が言いくるめとくからもう帰っていいぞ。伊三、お前がベフライエンに入りたいって話今から全登さんに通すから一緒にこい」

「わかった!」


 織部に言われると、伊三はもう話は終わったとばかりに小走りでドアへと駆けよった。


「おい、伊三!」

「じゃあね、兄ちゃん、一巴」


 それだけ告げると伊三は部屋を後にした。バタンとドアの閉まる音がやけに大きく感じる。



「……帰ろうか一巴」

「……うん」


 暫くの間放心したかのようにその場に立ち尽くしていた二人だが、このままここにいても意味がないと諦めてのろのろと重い腰を上げた。


 ◆


 行きとは半分になった人数でとぼとぼと帰り道を歩く。お互い言葉は少ない。

 今日だけで色々ありすぎて頭がショート寸前だ。ベフライエン、十種香の石母田竜子、甚内の死、伊三との別れ。価値観の違いにも朝光生まれ育った世界線とは乖離が激しすぎて未だになれない。いや、慣れたいとも思っていたいのだが。

 さっきまで晴れていたというのにいつの間にかどんよりと曇った空の下、北風が吹きつける。焦げたジャケットは捨て、ワイシャツ一枚になってしまった朝光は、北風から自身の身を守るかのように縮こまる。


「なあ」


 たいして厚着もしていないのに、朝光と違い平然としている一巴が朝光に声をかけた。


「本当にあの赤毛の魔女……、えっと竜子だっけ? が甚内を殺した犯人だとお前も思うか?」


 朝光を見ることもなく、前だけを向いたまま聞いてくる。


「……」


 竜子が犯人とはとても思えなかった。しかし、この世界線では女性が絶対悪。というのが男たちにとっては常識らしい。ならばここで『違う』と言ってもまた馬鹿にされて終わりだろう。そう考えると口を開くのも億劫になる。

 朝光が黙り続けていると、沈黙に耐えかねたのか一巴が口を開いた。


「僕は甚内を殺したのは別の人間じゃないかと思ってる……。だってあいつは建物内に入っていかなかったはずだし、僕と伊三の事傷つけなかった。殴ろうと思ったら殴れたはずなのに……」


 朝光は一巴が自分と同じ考えを持っていることに驚いた。だが、一巴はどうやらそうではないらしい。


「あ! いや別に竜子のこと信じてるとかそんなんじゃねーよ? ただ別に犯人がいるんじゃないのかなーって思っただけなんだって!」


 黙り込んだままの朝光が訝しんでいるとでも思ったのか、一巴は懸命に言い訳する。その必死な様子に朝光はくすりと笑みをもらした。


「わかってる、俺も同じ考えだ。犯人は別にいると思っている。……例えばベフライエンの中にいる、とか」

「それはさすがにねーだろ。男同士で殺し合うとか普通ないって」


 大げさなリアクションで否定する一巴に、無いこともないだろうと返そうと口を開いた。

「ハックッション!」


 しかし口からまろび出たの大きなくしゃみだった。


「おい、唾飛ばすなって!」


 嫌そうに顔をしかめる一巴に軽くゴメンゴメンと謝る。徐々に気温が下がって行っているのか、先ほどよりもさらに寒く感じた朝光は少しでも体温を上げようと両腕を擦るも、何の効果もない。せめて風から身を守るために早く戻ろうと足を速めた。


「ちょっと温まりに行かないか?」


 急ぐ朝光の背にかかった一巴の言葉をいまいち意味が分からず、首を傾げる。どういう意味か聞こうと足を止めた時、冷えた朝光の手に温かいものが重なる。それが一巴の手だと理解できた時には既にその手は強引に引かれていた。


「ほら! 急がないと風邪ひいちまうぞ!」

「ちょっと待てって!」


 自分より三十センチ前後小柄な一巴に引っ張られるままに朝光はついていった。


 ◆


 沙也可は一人執務室にいた。手元のタブレットに映し出されているのは、朝光と竜子が戦う姿だ。あの時あの場にいたものたちは誰も気が付いていなかったが、カメラを搭載した何機もの小型ロボットが二人の戦いをカメラに収めていた。

 そうするよう指令を出したのは誰でもない沙也可だ。あの戦いは一部始終が彼女に見られていた。そうするだけの必要性が彼女にはあったのだ。

 静寂の中、ドアをノックする音が聞こえた。沙也可は画像を止めタブレットから顔を上げる。


「失礼します。『零陵』真野マリア参りました。お呼びでしょうか」

「入りなさい」


 沙也可が許可を出すとすぐに扉が開かれた。現れたのは真野マリア。長く美しい銀髪をたなびかせながら部屋の中央まで進む。


「『零陵』、君には多くは語らなくても既に知っているだろうが、『蘇合』が例の男と接触した。」

「はい、奴は異能力は使わなかったと伺っております」


 沙也可はマリアの言葉に頷く。


「よって次は君に行ってもらいたい。君の能力ならば相手が異能力を持っているのかすぐにわかるだろう?」


 マリアの異能力を正当に評価し、信用しての言葉だ。マリア自身もそれを理解して、口元に笑みを浮かべる。


「ええ、当然です。お任せください」


 マリアは深々と頭を下げると、踵を返して部屋を出て行こうとする。その背中に沙也可の声が掛かった。


「異能力を持っていたなら生け捕りにしろ。決して殺すな」


 淡々とした沙也可の命令に臆することなく、マリヤはにこりと微笑む。


「ええ、心得ております」


 それだけ言うとマリアは部屋を出て行った。再び部屋には静寂が戻る。


「十種香という奴はどいつもこいつも一癖も二癖もある奴らばかりだな……」


 静まり返った部屋に苦笑と共にため息が漏れた。

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