第15話 物言わぬ……

 甚内が一巴たちと一緒にいないのは気にかかっていた。しかしきっとベフライエンのメンバーたちと一緒にいるのだろうと思い込んでいたし、それ以上に、そんなことを気にしている余裕がなかったというのは言い訳だろう。

 気が付いた時に彼を探し出していれば、今甚内が血の海の中横たわることもなかったかもしれないのに。


「……甚内」


 渇き、ひりつく喉からやっと出た朝光の声は酷く掠れていた。現状の理解を脳が拒む。なんで、と小さく口からこぼれた。


「頼成さん……」


 動かない甚内の傍らにいた頼成に、縋るような気持ちで視線を向けるも彼は悲痛な表情で首を横に振る。それだけで、甚内がすでに手遅れなのが分かった。

 先ほどまでの興奮の余韻など既にない。スッと脳みそが、体全体が一気に冷めていく。震える唇は寒さからか、それとも怒りからか。

 いったい誰が何のために……。ぼんやり考えていると、朝光を呼ぶ声が聞こえてきた。ハッとして意識を浮上させると声のする方へと首を向ける。


「兄ちゃん、甚内いたのか?」

「伊三、来るな!」


 人だかりをかき分けて、朝光の元に駆け付けてくる伊三に来ないように叫ぶものの既に遅く、伊三の目に入ることとなった。物言わぬ甚内。


「甚内―!!」


 伊三が周囲の制止を振り切り、甚内へと駆け駆け寄る。自分が血に濡れるのも気にすることもなく、抱きしめると乱暴にその躰(からだ)を揺さぶる。


「甚内何寝てんだよ! 起きろってなあ!」


 隣にいた頼成がとめようとするも、伊三は聞く耳もたない。ただひたすらにその名前を必死に呼び続ける。まるで彼の死を否定するかのように。

 しかし甚内からは当然何の反応もない。伊三が揺するのに応じて、壊れたマリオネットの如く血の気のない手が揺れるだけだ。何も映さない濁った瞳が朝光の方を向いた。


「やめろ、伊三!」


 壊れたアラームのように同じ言葉を何度も繰り返す伊三を、諫めるために一巴がその肩を叩く。


「……一巴、甚内が」


 三度目にようやく伊三は止まった。伊三が一巴の姿を目にとどめた瞬間にその瞳からぼろりと大粒の涙が零れる。


「甚内……、う、なんでっ……」


 嗚咽を漏らしながら泣きじゃくる伊三の背中を、一巴が優しくなでる。涙が引いても、どのくらい時間がかかっても一巴はそのそばを離れなかった。

 何をするでもなく朝光はただ呆然と立ち尽くし、離れた場所から二人を眺めるしかなかった。

 実際、会ってまだ三日しかたっていない(そのうち丸二日は寝ていた)のだ。彼らのことは何一つ知らない。そんなよそ者同然の自分が立ち入るべきではないと朝光は思った。それはただかける言葉が思いつかなかっただけの言い訳なのかもしれない。


 ◆


 死因などを詳しく調べるために、甚内から引きはがされた伊三は別室に連れていかれた。引きはがされる際にひどく取り乱していた様子から一人にするのは危ないと判断し、一巴も一緒についていく。


「こりゃひでーな……」


 甚内の遺体を前にした全登が改めて率直な感想を述べる。


「胸を刺されて死んだのか?」


 甚内の遺体を目にしたとき、真っ先に目が行くのは胸元に深く突き刺さったナイフだ。このナイフが凶器で間違いないだろう。


「違うよ。多分胸の傷は死因じゃない」


 医療の知識があるあるからと言って、検死のまがい事を任されている頼成が、全登の考察を否定した。

 まあ検死とはいっても解剖なんてできる設備はないので、大雑把な事しかわからないのだが。


「じゃあ、なにが死因だってんだ?」

「首だよ。動脈を掻っ切られて、大量の血が噴き出したことによる出血死。腹や胸を何度もぶっ刺した跡があるけど、それは多分死んだか確認するためじゃないかな?」


 甚内の遺体には胸元のほかに首筋のぱっくりと開いた傷があり、真っ赤な死肉がそこから除いている。傷口から噴き出した血が甚内の全身を赤く染め、それだけでは足りずに床まで染め上げていた。

 首元とは別に腹部から胸部にかけて、おびただしい刃物の跡が残っている。頼成の言う通りそこは首を掻っ切った後にめった刺しにしたようで、傷の多さの割には出血が少ない。

 甚内の遺体を挟んで会話する二人に、背後から朝光が声をかける。


「警察は? まだ来ないのか?」


 事件、しかも殺人が起きたのだ。いくら頼成に医療の知識があろうとも、素人目では限界がある。早いところ警察に任せるべきだ。

 しかし、警察がくる気配は全くない。朝光たちがこの場所に駆けつけてから既に三十分は経っているというのにだ。


「来ないさ。誰も呼んでないからね」


 朝光の疑問に頼成が答える。淡々と、今朝の朝食のメニューを告げるかのように平然と当たり前のように。


「呼んでないって、なんでだよ?」


 朝光が驚きと困惑の混じった声を上げると、全登は馬鹿にしたように鼻で笑う。

「今の東京ここは無法地帯だ。俺たち男が何されても、何が起きても見て見ぬ振りが当たり前」


 全登の言葉に朝光は驚くことはなく、逆に納得した。三日前に蔵屋が捕まった時も警察らしき二人組は不法侵入といっていたが、殺人未遂や傷害罪などは一切口にしなかった。

 『男』とあえて言うところを見るに、被害者が女性の場合はそうではないのだろう。女尊男碑というものを改めてありありと感じる。

 朝光が自身が生きてきた世界との違いに打ちひしがれていると、全登がそれとといって付け足す。


「まあ、万が一来ても男じゃ魔女様は裁けねーよ!」

「犯人は女性だとわかっているのか?」


 朝光が誰? と聞く前に盛大な笑い声が響く。笑い声の主は目の前の全登だけではない。この場に居合わせた九割以上の男たちが朝光を馬鹿にするように笑っていた。中には指をさしながら、床を転げまわりながら笑うものもいる。


「テメーの頭には木くずでも詰まってんのか?! さっきまでテメーがやり合ってた赤毛の十種香の魔女がやったにきまってんだろ!」


 当然のごとく全登は甚内を殺した犯人が竜子だと言う。この場にいるもので異を唱える者はいない。それどころか、頷き全登の言葉を肯定するものばかりだ。誰もがそれを信じて疑わない。


「いや、それは違う」


 しかし朝光だけはそうではないと思っていた。

 冷静な声が室内に響き渡る。一瞬の静寂の後またもや男たちはドっと火が付いたように笑いだした。


「竜子はそんなことしない! アイツは……!」


 竜子は武器など持っていなかった。隠し持っていた可能性も無きにしも非ずだが、自身の拳に対して誇りを持っていた彼女がわざわざ武器を使うだろうか。

 第一竜子は、子どもには一切手を出さなかった。朝光や見張りたちはボコボコにしたというのに、途中割り込んできた一巴にも横やりを入れてきた伊三にも一切手を出さなかった。そんな彼女が甚内を殺すとは朝光はどうしても思えなかったのだ。


「なんだなんだ? 随分と仲良くなってんじゃねーかよ。ハッ、乳でも揉ませてもらったか? それとも一発ヤらせてもらったか?」


 下卑た笑いに虫唾が走る。下品な物言いに嫌気がさして全登を睨みつけるもののへらへらと笑うばかりで何の意味もなさない。

 魔女と言って女性を畏怖しているくせに、その反面性欲の対象とし手見下す。意趣返しかはたまた、男性優位だと思い込みたいのかはわからない。男性でも女性でも男女差別をするような発言は嫌悪されるべきだという環境で育った朝光にとっては、どちらにせよ楽しい話ではなかった。


 これ以上ここに居たら何をしでかすかわからないと思った朝光は、無言でドアへと向かう。甚内をこのままにしておくのは忍びないが、全登たちは殺された甚内に対しては同情しているように見えるので甚内の遺体をどうこうすることはないだろう。


「朝光君、あまり魔女に毒されない方がいい。同じ人間に見えても彼女らは僕たちとは違う生き物なのだから」


 背を向け退室しようとする朝光に声が掛かった。声の主は、唯一朝光を馬鹿にして笑わなかった頼成だ。彼は他の男たちとは違って表立って下卑た態度はとらないようだ。

 しかし彼もまた女性に対する偏見を持っている。それはこの女尊男碑の世界線に生まれ育った者たちには当たり前のことなのかもしれない。

 朝光にはわからない考え方だった。振り返ることなく、無言で部屋を出て行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る