第14話 拳で殴り合った仲

 二人が邂逅して既に一時間近く経とうとしている。両者一歩も引かず、決着は中々につかない。しかし人間には体力の限界というものがあり、永遠と殴り合うなんてことは出来ない。

 かくいう二人もそろそろ体力が付き始めてきたのか、戦い始めた時に比べて些か動きが鈍くなってきている。


「おい、お前パンチ力が落ちてきたぞ。バテてんじゃねーか!」


 切れた口元に滲む血を、手の甲で鬱陶しそうに拭いながら竜子が煽る。


「君こそ火力が落ちてるし、息も上がっているよ。そろそろギブアップしたほうがいいんじゃないのかい?」


 顔面にパンチを受けた際に鼻でも折れたのか、朝光も流れる鼻血を乱暴に拭った。

 あちこちに軽い火傷を負っているもののどれも大したことはない。売り言葉に買い言葉、負けじと焚き付けるような言葉を朝光も口にする。

 睨みつけるような鋭い視線が空中で交わされる。重々しい空気に自然と息が詰まる。見守る一巴たちも固唾を飲んで見守る。


 先に動いたのは朝光だった。笑う膝を叱咤し走り出す。竜子も負けじと向かい出た。

 これが最後だとお互いに理解していた。

 最後の力を振り絞り、すべて出し切るように朝光は拳を打ち出す。竜子も同様にすべての力を足に込め利き足に炎を纏うと蹴りを仕掛けた。

 炎が残像のように線を引く。その様は水中を可憐に泳ぐ金魚のようだ。熱さを感じさせず、涼し気に舞う。


「はあ!!」

「っらぁ!」


 お互いの渾身の一撃が炸裂した。鈍い音が辺りに響く。それ以外の音は何も聞こえない。風の音も、鳥の声も二人に遠慮するかのように静まりかえる。一瞬の静寂。


「……っ」


 膝をついたのは朝光だった。立ち上がろうと必死に足に力を入れようとするものの全く力が入らない。

 負けた――。あと一歩足りなかった。悔しさはあるものの、やけに心はスッキリしていた。


「朝光!」


 一巴と伊三が駆け寄ってくる。


「ごめん、負けてしまったよ……」


 二人には心配させてしまった。小言の一つ二つは言われることを覚悟する。


「何言ってんだよ! 勝ったんだよ、お前の勝ちだ!」

「は?」


 一巴の言葉の意味が分からず、首を傾げる。伊三がほらと言いながら指さす方に視線を向けた。そこには地面に倒れ伏した竜子がいた。

 二人に肩を貸してもらい、なんとか歩くと朝光は竜子の傍まで行く。


「よぉ、男の癖にやるじゃねぇか。お前の勝ちだ……」


 朝光の姿を目にとめると、竜子は倒れたまま視線だけを向け悔しそうに、しかしどこか晴れやかに言う。首を動かすのも億劫なのかそのまま空を見上げる。そこには冬晴れの高く澄んだ空が広がっている。

 朝光としては素直に勝ちを受け入れられることは出来ず、横に首を振って否定する。


「一人で立つ力も残っていない。相打ちだよ」


 一歩を踏み出す足もよたよたしていて、二人の支えがないと立つことすらままならない。


「いや、お前の勝ちだ。アタシはアンタに異能力を使わせられなかった」


 そう言えばそんなことを言っていたと朝光は思い出す。実際には出さないのではなく、出なかっただけなのだが。


「相手もそう言ってるし、素直に喜べばいいじゃん」


 伊三が横から小声が言ってくるのに苦笑で返す。


「じゃあ、とりあえず今回は譲ってもらうよ。そしてまたいつか再戦しよう。その時まで預かっとく」

「ハハ、次はぜって―負けねーからな!」

「こっちこそ」


 竜子が拳を突き出してきた。その意図を理解した朝光もまた同じように拳を突き出し軽く打ち付ける。これは再戦の誓いだ。

 男と女。魔法使いと魔女。違う世界線から来た人間と十種香。性別も立場も違う二人だけど、その間には確かに友情が芽生えた。拳で語り合った仲だ。


「あー、くっそ。負けた――!!」


 叫びながら、竜子はその場に大の字に寝ころび目を閉じた。冬だというのに枯れることのない雑草が頬を擽る。

 動く気配のない竜子は体力が戻るまで暫くここにいるのだろう。なら朝光は自分はどうするか少し考える。このまま竜子を放置して建物内へと戻るか、どうかと。

 決着はついたのだしこのまま別れても問題はないだろうが、魔女にたいして敵対心を持った者たちばかりがいるこの場所で、ケガを負った女性を一人にしていくのも心苦しい。


「わっ、なに!?」

「鳥?」


 そんなこんな悩んでいると、どこからともなく燕が飛んできて思ったら竜子の傍に止まった。妙な人懐こい燕だなと思ったそれは、からなにやら人の声が聞こえてきた。どうやら鳥型のドローンようだ。


『――……、――』

「ッチ、なんだよ……」


 ぼそぼそと小声で、詳しい話まではよく聞き取れない。

 誰かが近くから操縦しているのだろうか。朝光が首を回して確認してみるが、それらしき人影は見当たらなかった。


『……ほうで、――から……の、――か……』

「バーカ、こんなのただの擦り傷だ。すぐ行く」

『――……った』


 話が終わると燕形ドローンは再び空へと飛び立ち、東の空へと飛んでいった。


「さーてと!」


 軽快な声をあげなから立ち上がると、竜子は朝光に声をかけた。


「と、言うことでもう行くわ。じゃあな、朝光」

「ああ、またな竜子」


 軽く手を振ると、背を向けかけていく。怪我が心配だったが足取りに問題はなさそうだ。朝光同様、彼女もまた化け物じみているようだ。


「さて、俺たちも戻るか。って甚内は?」

「多分、中。ドクター辺りに捕まってるんじゃないかな?」


 甚内がいないことに今更気が付いた朝光の問いに、伊三が曖昧に答えた。

 このまま一巴たちが根城にしている場所まで帰ってしまいたいが、甚内を置いていくわけにはいかない。二人に肩を借りたまま、朝光は建物内へと向かった。


 ◆


 朝光たちが建物内に戻ると、ベフライエンのメンバーたちがどこか殺気立っている。竜子が去った後だというのに、魔女が来たと報告があったとき以上に緊迫しているように感じた。


「何かあったのかな?」


 不安そうに伊三が聞いてくるが、今まで外にいた朝光が知っている訳もない。

 今思えば、魔女――しかも十種香の一人が襲撃しに来たというのに、元々外にいた見張り以外誰も来なかったのは少し不自然だ。中でも何か騒ぎが起こっていたと考えるのが妥当だろう。


「なあなあ、なんかあったのか?」


 偶然通りかかった男に、一巴が訊ねた。


「あんたたち、今までどこ行ってたんだよ! あんたらの連れが大変なことになってんだ! 早く来い!」


 一巴たちの顔を見るや否や男は、切羽詰まった口調でまくし立てるとついてくるように急かした。


「連れって……まさか」


 朝光たちの仲間でこの場にいない人物というと、一人しかいない。三人に嫌な予感がよぎった。まさか甚内の身に何か起こったのではないかと思うと、自然に足が早まる。



 男に連れられてきたのは、全登たちがたむろしていた場所から少し離れたあまり広くない部屋だった。部屋の中央に人だかりができており、そこに向かって男は声をかける。


「ボス! 連れてきましたぜ」


 声に振り向いたのは全登だ。朝光たちを見るや否や、険しい表情で駆け寄ってきた。


「お前ら! 今までどこ行ってたんだ!」


 全登は朝光の胸ぐらをつかみ上げ、怒鳴りつけた。突然のことに、朝光は狼狽した。


「どこって……お前が十種香と戦ってくるよう焚き付けたんだろ」

「ああ、そういえばそうだったな……」


 それはまるで今まで忘れていた、というような言葉だった。


「何があった? ……甚内に何かあったのか?」


 ひどく嫌な予感がした。朝光の言葉に全登は、舌打ちをしながら後方――人だかりの方を指さした。弾かれたように、朝光は指さされた方へと駆けだす。脇腹がぎしりと痛んだが今は構ってられない。


「悪い、通らせてくれ!」


 ひしめき合う男たちをかき分け前へと進む。押しのけられた男が文句を言っていたが、今は取り合っている暇はない。早くこの目で何があったのか確かめなければと、気持ちが逸る。

 ようやくたどり着いた朝光が目にしたのは真っ赤な血だまり。そして、その中に倒れた甚内もまた真っ赤だった。

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