第13話 火炎

 竜子は仕切りなおすかのように、パンっと軽快に手を叩いた。


「よし、じゃあ。やり合おうじゃねーか!」


 先ほどと同じ、ギラギラとした獣の目で朝光を睨む。今度は朝光も、同じような目で竜子を見つめ睨み返した。その時間は実際には一瞬だったのだろう。しかし、二人にはひどく長く感じられた。

 二人を吹き付ける北風が一瞬、止まる。それを合図とばかりに、二人同時に動き出した。朝光は右ストレートを、竜子は蹴りを同時に仕掛ける。しかし、そのどちらも相手には届かない。両者の力は互角だ。


「は、意外といいパンチ打ってくるじゃん。アタシじゃなかったらガードごとふっとんでたよ」

「はは、そりゃーどーも」


 お互い見定めるように一旦、距離をとる。

 竜子の言った通り防御されても吹っ飛ばす勢いで全力で打ち出したパンチだったのだが、それを易々と受け止められ朝光は苦笑を浮かべる。いくらまだダメージが残っているとはいえ、自身の渾身の一撃を笑顔で受け止められたのだ。朝光も人並み外れているが、竜子もそう変わらない。


 そんな相手を女性だからというだけで、望んでもいないのに壊れ物を扱うように、まるで弱者のように扱ったら激高するのは当然だろう。竜子は対等に戦える相手を求めていたのだから。


「いや―それにしてもあんた偉く頑丈な体してんだな。あんだけボッコボッコされたってのにこんだけ動けんだ。それとも感覚が鈍いのか?」

「まあ、頑丈さだけは誇れるからな。でも、君も女性とは思えないほどに強い……」


 ここまで言って朝光はしまったと思い口を噤む。つい先ほど女扱いしあれだけ激高したというのに、また同じようなことを口走ってしまった。今更口を閉ざしても、一度言ってしまった言葉は取り消せない。

 朝光は窺うように、竜子の顔を見た。しかし、彼女は朝光が想像していた表情はしていなかった。


「だろだろ! その辺の男どもなんかにゃ負けはしねーからな! 実際一対一でアタシに勝てる奴なんて師匠ぐらいだしな!」


 カラカラと嬉しそうに笑う。想像していなかった反応に朝光は面喰った。そして、『石母田竜子』という人物像が少しだけわかったような気がした。彼女は別段女であることが嫌なわけでもなんでもない。ただ、女というだけで対等に扱われないことが不服なのだろう。


「さぁて、お前はどうかな!」


 仕切りなおすようにそう言うと、竜子は再び朝光に向かって飛びかかる。朝光とて、防戦一方ではない。お互いに殴り殴られを繰り返す。両者一歩も引けを取らない。力はほぼ互角といったとこだろう。

 拳をぶつけ合い、やり合えるのは充実感と高揚感に満たされてとても楽しい。いつまでもこの時が続けばいいとまで思ってしまう。



「うっわ、早すぎて目で追えない……」


 少し離れたところで見ていた伊三が若干引き気味に声を上げる。常識を超えた戦いに、ただただ驚愕するばかりだ。


「あれだけ、争いは嫌いだと言っていた割には随分と楽しそうだな……」

「何すねてんの一巴?」


 伊三の隣に戻った一巴はさっきからこの調子でふてくされている。


「べつにー、すねてませーん」


 ぷーっと頬を膨らませてそっぽを向く一巴。子どもじみた返しに、伊三が思わず吹きだした。


「あれはさ、争いじゃないんだと俺は思うよ」

「は?」


 争いではないというのならなんだというのだろうか。一巴は意味が分からず、思わず気の抜けた声が出た。


「拳で語り合ってんだよ」


 そう伊三には思えた。性別も立場も関係なく二人は拳を交えお互いを理解し合っているのだと。


「何それ、意味わかんねー」


 一巴には理解できず、呆れた様子で口にする。一巴には理解できない感覚だ。理解したいとも思わないけれど、不思議と先ほどまでの不安は今はもう感じなかった。


「そういえば、甚内は?」


 一巴がこの場にいないもう一人の名を口にした。魔女が攻めてきたと聞き、外へと向かうまでは一緒にいたのだが、気が付いた時にはその姿はなかった。てっきり後から来るとばかり思っていたのだけど、未だに現れる気配はない。


「さあ? ドクターにでも捕まってんじゃないの? アイツ朝光に未練たらたらみたいだし、あれこれ根掘り葉掘り聞かれてるとか?」

「あー、ありえそう」


 あとで自分たちも巻き込まれるのだろうなと思うと、一巴は自然と苦虫を嚙み潰したような表情になる。しかしそれこそ、朝光に興味を示していた割にはこの騒動に現れないのは少し不思議に思うものの、一巴の思考はすぐに未だ戦い続ける目の前の二人へと戻った。


 ◆



「さあて。あんたがやっとやる気出したとこで、アタシも

 そろそろ全力で行くとしますか!」


 今まで全力ではなかったのかと突っ込みたかった朝光だが、声に出す前に竜子がこちらに走り出したので改めて気を引き締める。

 竜子は飛ぶように駆けだすと、勢いを乗せたパンチを繰りだしてきた。朝光は防御の形を作るが、突如炎が竜子の腕を覆った。とっさに横に飛びのき距離をとるものの、炎は朝光の頬を掠めた。チリリと頬がひりつく。

 間合いを保ち、何が起きたのか竜子を注視する。驚くことに彼女の右腕は真っ赤な炎に覆われていた。これは竜子の異能力はなのだろうか。


「君も炎使いか……」


 竜子の炎を見た朝光は真っ先に一人の人物を思い出していた。三日前にみたロリータ服の女。しかし竜子の右腕を覆い隠す炎は、蔵屋のそれとは火力も炎の質もまるで違う。

 朝光の呟きを聞いた竜子がピクリと眉をつりあげた。


「そうだ私の異能力は『炎』。もしかして、お前アタシ以外の炎系の異能力持ちと会ったことあんのか?」

「ああ、三日前に対峙した子が炎使いだったんだよ」

「ああー、あのフリフリ着た女か。アイツも炎系だったのか……」


 竜子は昨日見た映像を思い出したが、早々に飽きて適当に流し見していたのでよく覚えていない。よって蔵屋の異能力が発火であることはなど記憶にはなかった。


「まあーでも、アタシの方が強いな!」


 竜子は言い切った。竜子はそれだけ自分の異能力と強さに自信があった。その様はいっそう清々しい。


「お前に、本当の炎ってもの教えてやるよ!」


 不遜な笑顔を浮かべると竜子は、再び腕に炎を纏い駆け出す。速さはあるもののただの単調な右ストレート、受けるのも避けるのもたやすい。しかし、受けるならば纏う炎に焼かれてしまうだろう。ならば避けるしか選択肢はなかった。


 先ほどのようにギリギリに躱してしまうとやけどを負う可能性がある。なので本来より早く見積もって竜子の攻撃を躱した。今度は炎が頬を掠ることもなかった。しかし大ぶりな動きは隙を生みやすい。

 追い打ちをかけるように、拳と同じように炎を纏った左足が朝光に迫る。


「ッハ!」

「……ッ!」


 連続で仕掛けられたキックは避けることも出来ずに横腹に命中しバランスを崩してしまう。それをチャンスとばかりに竜子は追撃を仕掛けるが、朝光は地面を転がって間合いを取ると衣服に燃え移った火を手で叩き、素早く掻き消した。

 お互い素手で殴り合っている段階ではほぼ互角だが、それに異能力の炎が加わるとなれば竜子の方が上だ。

 今は湿度の少ない真冬。一度本格的に火がついてしまえば火達磨になりかねない。


「炎とかずりぃよ!」


 唐突に後方から非難の声が聞こえた。二人の戦いを見ていた伊三が、たまらず声を上げたのだ。一巴が慌てながら伊三を咎めるが、伊三は聞く耳もたずまだぶつくさ言っている。


「あー? ずるくねーよ! 異能力も立派なアタシ自身の力だ」


 竜子の言う通りだ。持ちうる力を出し切りもしないで全力とは言えないだろう。むしろここで、あえて異能力を使わないというのなら朝光は、竜子が手を抜いたと思った。

 竜子は二、三伊三と言い合った後にくるりと首を朝光に戻すとオイと声をかけてきた。口調と表情から見るにどことなく怒っているように見える。


「お前も本気出せよ」

「へ?」


 突然矛先がこちらに向かってきた朝光は、予想もしていなかったことに気の抜けた声を上げてしまう。


「本気ならとうに出しているさ」


 朝光としては、今充分に本気を出している。手なんて一切抜いていない。しかし、竜子にはそう見えないのだろうか。

 竜子は首を振り、違うという。


「アンタ異能力使えんだろ。さっさと使いな、じゃないと五体満足で終わんねーよ」


 竜子の言う、朝光の異能力とは魔法のことをさしているのだろう。そのことは朝光もなんとなくわかった。対蔵屋戦のことを知っているようだったので、監視カメラの映像なりなんなり見て知ったのだろうと朝光は結論付けた。


 それにしても竜子は朝光が異能力 (魔法)を出し惜しみしていると思っているらしいが、正確には使わない――ではなく使えない。なのだが、そんなことは竜子は知りもしない。

 竜子の意図は知らないが、彼女は朝光が魔法を使うのを望んでいるようだ。しかしここに来る前に、一巴たちに魔法のことは隠す方がいいと言われた手前おいそれと使ったり(簡単に使えはしないが)話すのは避けるべきだろう。

 だがこのままにしておくと竜子がまた切れかねない。ならばどうしようかと考え、そして、


「男は異能力なんて使えないのだから俺も使えるわけないだろ」


 誤魔化してみた。


「……それもそうだな!」


 一瞬考えたのち、竜子はそれで納得した。どうやら彼女は単純な性格のようだ。朝光はうまく誤魔化せたことにホッと胸をなでおろす。

 一旦納得した様子だった竜子だが、腕を組みながらうーんと唸り声をあげながら考え始めた。


「あー、でもリーダーがこいつが異能力使えるとか言ってたような気がしたんだけど勘違いか?」


 ドキリとした。やはりこのままはぐらかせるほど単純ではなかったか。出来るだけ隠しておきたいが、そうはいかないようだ。

 とはいっても、簡単に使えるものではないと言って彼女は納得してくれるだろうか。下手したら捕まって拷問、なんてことを考えていると竜子があっけらかんとした声を上げた。


「ま、いっか。使わざるを得ない状況に持ち込めばいいだけだな!」


 それだけ言って一人勝手に納得すると、竜子はまた炎を纏い朝光に向かってきた。これはこれで面倒だなどと思いながらも、朝光は着ていた制服のジャケットをおもむろに脱ぐと左手に持ったまま構える。


「なんだなんだ? 闘牛でも始めんのか?」


 竜子は揶揄うように笑うと、訝しむことも勢いを落とすこともなくそのまま突っ込んできた。それこそまるで闘牛の牛のようだ。

 真っ赤な炎に覆われた脚がスカートを翻しながら迫りくる。朝光は避けることなく、手にしたジャケットを思いっきり迫りくる足に叩きつけた。


「ッチ」


 勢いを削がれた竜子は一瞬怯む。その隙を見逃す朝光ではなかった。空いている方の拳を握り締めると、がら空きの脇腹へと思いっきり打ち込む。


「ッが!」


 不意の攻撃に竜子はなすすべなく、盛大に地面を転がる。容赦のない一撃。

 火のついたジャケットを振りながら朝光は竜子が転がった方向をジッと見据える。

 ジャケットの火は消えたが丸焦げで穴が開いている。これではもう炎避けにも衣類にもならない。ただのぼろ布だ。邪魔にしかならないボロを投げ捨てた時、視線の先の人物がむくりと起き上がった。

 暫くは立てないと思っていたが、想像以上に速い復帰だ。


「ハハ。俺の事頑丈って言ったけどさ、君も負けず劣らず頑丈だね……」


 口調は軽いが、心中は頭を抱えたいほどには酷く窮していた。女性とは思えぬタフさに舌を巻く。


「いやー、今のは結構来たぜ。立ってるのやっとだ」


 殴られた脇腹を押さえ竜子は、楽しそうに嗤う。


「ゼッテーに本気出させてやる!」


 牙を剥く猛獣のようなプレッシャーにぞわりと朝光の肌が震えた。

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